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最悪の岸田政権  彼らはこの国をアメリカに差し出して権力を維持しようとする 「理念なき対米従属を続ける自民党」2

 114兆円という前代未聞の予算を可決した自民党政権は、どのようにして誕生したのかを前回に続いて、白井聡さんの論考を引用して考えていきたい。

自主外交を試みて、アメリカの逆鱗に触れた角栄

   岸首相は総理の椅子を犠牲にして1960年安保を改定しましたから、ある意味でアメリカの恩に報いたとも言えそうですね。その後はベトナム戦争が泥沼化したこともあり、日本国内でも反戦感情が高まり1970年安保に向けた反対運動が一気に加速しますが。

白井  1970年代初頭までの日本社会と現在との根本的な違いとして、当時は反米勢力がかなり強かった、ということが蕎えるでしょう。議会では社会党が野党第一党の存在感を示していましたし、共産党もそれなりの議席を持ち、若年層においては学生運動が活発だった。彼らは社会主義的なものにある種の憧憬を抱いていたのと同時に、強い反米感情を抱いていました。
 当時のアメリカは、日本の若年"晨が総じて反本的であることに強い懸念を抱ていました。この連中が社会に出て権力を持つ世代になったときに、日本は親米国家であることをやめてしまうのではないか、という危惧を抱きます。そこで、日本の世論を親米化する工作のために日本通のライシャワーが駐日大使として送り込まれてくるなどしました。アメリカの魅力、民主主義などを積極的に喧伝するためです。

   結果として、学生運動が連合赤軍事件という形で社会に衝撃を与ぇたこともあり、反米運動は一気に失速していきます。

白井  経済成長をうまく取り仕切っているということで、自民党の政権基盤は強化されていきます。佐藤栄作政権は沖縄返還を実現させましたから、「アメリカは友好的に付き合っていけば話のわかる相手なんだ、 一度ぶん取った領土もちやんと返してくれるじゃないか」というイメージを作ることにも成功します。ベトナム戦争の終結も反米感情の低下に寄与しました。

   返還と言っても、基地を本土並みに減らすといつた肝心の要求は叶えられませんでした。

白井  しかも、実は沖縄返還を先に持ちかけているのはアメリカですからね。いつまでも 返還要求してこない日本に困惑して、「お前ら、そろそろ返還要求しろよ」とケツを叩かれた形で実現しただけ。佐藤栄作の手柄でもなんでもありません。

   とはいえ、経済も成長し沖縄返還も実現したことで、国民の側にも「アメリカとぅまくやっていったほうが、いろいろといいことがありそう」という感覚が浸透していった?

白井  吉田茂が敷いた経済優先路線が成功したということでしょう。しかし、それは反面で虚構なのです。究極的にはアメリヵは優しい庇護者なんかではない。
そこで特筆すべき存在は田中角栄です。ロッキード事件で力を失っていきますが、彼の失脚の最大の理由は実は中国国交正常化にあったとぃうことを、ジャーナリストの春名幹男先生が『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬り巨悪ヲ逃ス』(KADOKAWA、2020年刊)で明らかにしています。米中電撃国交樹立か、ということが取り沙汰されたときに、角栄はいち早く日中交渉をまとめ上げ中国との国交を正常化させましたが、これがキッシンジャー大統領補佐官の逆鱗に触れた。「こっちがまだ手探りしている状態なのに、勝手に進めて自分たちを振り回した。敗戦国の分際でふざけるな」というわけです。
 角栄はソ連とも関係を改善しようと動いていましたから、ある意味で石橋湛山のような全方位外交をやろうとしていました。アメリカからも許可取ったつもりだったけれども、アメリカは全然納得していなかった。そこでロッキードの条件が爆発した。今から見れば、角栄はあまりに無防備だったということでしょう。そして、戦後の最大のフィクサーのひとりであり、岸と同じく、A級戦犯被疑者で不起訴放免された経歴を持つ児玉誉士夫を利用する形で、アメリカとのパイプ役となってロッキード事件の裏側にある真相のもみ消しを図ったのが中曽根康弘でした。

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