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山本義隆『核燃料サイクルという迷宮』を読む。 本書は「核燃料サイクルとは核武装という妄想を抱き続ける日本支配層の欲望を具現化したもの」ということを明らかにした渾身の書である! 1

もう一つ、日本の支配層が「核燃料サイクル」に固執する理由は、核燃料の最終廃棄場所をあいまいにするためである。福島第一の燃料デブリの取り出しなどとんでもない!!10万年保管するしかない。地震、腐食等で崩れなければ・・・・


2024年8月12日 朝日新聞 第1面

 核爆弾を「原子力爆弾」と言い換え、核発電所を「原子力発電所」と言い換え、原発を核の「平和利用」と言い換えてもそれが大量の死の灰や原爆の材料となるプルトニウムを生み出し、その管理のために何十万年もかかかることを国民の前に明らかにすることを避けるために核燃料サイクルをあきらめるわけにはいかないようだ。核燃料サイクルの重要な環である「もんじゅ」が完全に失敗しても(そもそも「高速増殖炉」という名前の付けからしておかしい!!高速中性子をつかうことと、ほんの少しづつだがプルトニウムが増えることをつないで、高速にプルトニウムが増殖するイメージを作った命名)、新世代の「増殖炉研究」は進めるの表明している。

 使用済み核燃料は発熱しているので冷却水で冷やし続けなければ、核爆発することを教えてくれたのは3.11の後の福島第一原発であったわけだし
大量の死の灰とプルトニウムを含んだ使用済み核燃料をぶつ切りにして大量の放射性物質をまき散らす「再処理工場」は何度も事故を起こして、稼働延期を何度も繰り返し、その費用は天文学的数字になっている。
 以下、本書より衝撃的な個所を引用する。

核発電の根本問題 p8~10

それゆえ原発では、第一にその「使用済み核燃料」を隔離し、相当長期にわたって冷却しなければならない。冷却に失敗すれば融け落ち、大量の放射性物質が飛散することになるからである。そして、ある程度冷却された後も放射線の危険が残っているため、その後もさらに隔離し安全な所に保管しつづけなければならない。その残存放射性物質には危険性のレベルの高いものも低いものもあり、寿命の短いものも長いものもある。たとえばョウ素131は、放射性であるが、半減期(放射能の強さが半分に減る時間)は8日で、約1カ月で放射能の強さは1桁減る。福島の事故で大量に放出された放射性のセシウムー37は半減期が約30年、原子炉や原爆で生成されるストロンチウム90も半減期約29年で、ともに放射能の強さが1桁減るのに約100年を要する。半減期のもっと長いものもあり、とくにプルトニウム239は、もともと地球上にはほとんどなかったもので、軽水炉での発電中に生まれ、そのため使用済み核燃料に含まれているのであるが、危険なα線を長期にわたって出しつづける。発見した化学者グレン・シーボーグ自身が「たとえ少量であつても、とてつもなく有毒」と語ったように(拙著2022)、プルトニウムはウランの10万倍程度の毒性をもち、しかも半減期が2万4千年と桁違いに長いので、強さが1桁減るのに約8万年、実質的に安全になるまで数十万年を要し、人間の時間感覚では事実L永久的に人間の生活環境・活動領域から隔離されなければならな」。それはしかし、有限の能力しかない人間にとって「想像を絶する難題」なのである(小林 2002)。
 福島原発の事故で、1、2、3号機は炉心が熔融落、した。つまり高温になった核燃料がむき出しになり、圧力容器の底を突き破って熔け落ちた。その後の放射能汚染水の大量発生は、1、2、3号機では格納容器も損傷したことを示している。さらに1、3、4号機では水素爆発で原子炉建屋が崩壊した。
チェルノブイリ原発事故の直後、86年5月に通産省資源エネルギー庁原子力発電課長は、炉心熔融の朝 危険性について「日本の軽水炉はいわば水づけになっており、炉心に水を送りこむ装置が三重、四重についており、工学的に考えられない」と断言していた(『電気』 1986,5,13)。東電が毎年発行している『原子力発電の現状』にも、原子力発電所では、核燃料をペレツトとして岡め、被覆管、圧力容器、格納容器、建屋の「五重の障壁」で包むことで「放射性物質の問じ込めに万全を期し」ているのであり、そのため「外部に放射性物質の異常な放出をもたらすような事故が発生することはほとんど考えられません」とある(2004年版)。文科省発行の副読本にも同様の記述があった(『東京』 2011,4,19)「原発安全神話」の根拠であった。しかし福島の事故では、そのすべてが破られたのである。

 他方、4号機は工事中で核燃料が炉から抜き取られていたので、炉心溶融は免れた。しかしその棒状の核燃料は、使用済みのものとともに、1500本あまりが冷却用のプールに相当の密度で詰め込まれていたのであり、もしも地震でこのプールの冷却水が失われていたならばこの核燃料が熔融し、膨大な量の放射能が放出され、人は福島原発に近づけなくなるばかりか、首都圏を覆う大規模汚染が起こり、関東一円は人が住めなくなるというおそるべき事態におちいる可能性があった。そして実際に、冷却用の電源が津波で失われ、大惨事になる寸前であった。しかし4号機では炉がたまたま工事中であったため、隣接する原子炉上部の普段は水の入れられていない部分に水が張られていて、しかも地震で燃料用プールとの仕切りがずれたので約千トンの水がプールに流れ込んだために爆発を免れたことが、のちに判明した(『朝日』 2012,3,8)。しかも4号機でも、その原因がよくわかっていないのだが、水素爆発があって建屋の屋根が吹き飛ばされたので、上からの注水が可能になり、その後も燃料の冷却を続けることができたのである。まったくの焼倖であり、こうしていくつもの偶然が重なって奇跡的に日本は救われたのだが、正直、背筋の寒くなる話である。
 この事実は、原子炉から取り出された後の使用済み核燃料そのものの危険性と、その処分の喫緊性を物語って余りある。「福島第一原発〔の事故〕は、使用済燃料プールとそれに伴うリスクに世界の関心を向けさせた」のであった。
 かつて50年代末から60年代にかけての高度成長の過程で、化学工場等から流出した廃液や放出された排気ガスが各地で河川や海洋や大気を汚染し、自然環境を破壊し、近隣住民の命と健康に多大な被害をもたらしたことは、いまではよく知られている。「公害」と言われた事態である。有害物質がひとたび環境に放出されれば回収はもはや不可能ゆえ、対処の仕方は、基本的には有害廃棄物が生じないように作業工程を改良するか、さもなければその有害廃棄物を煙突や排水日から工場外へ出さないようにしてすべて回収し、そのうえで化学処理により無害化することにある。そのいずれもができなければ、その技術は欠陥技術として、現実の生産過程に用いられてはなしない。
 チッソの水俣病にたいする熊本地裁の73年の判決文は明確に語っている。

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