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シリーズ「おまえ(ニッポン)はすでに死んでいる 6 加藤陽子さん 大いに語る 「それでも日本人は五輪を選びました。底を見るかもしれませんが、政府任せでは失するという教訓は学べたのでは」     =北村玲奈撮影

 日本学術会議会員を任命拒否された歴史学者 加藤陽子さんが、任命拒否が明らかになってから初めて公の場で今回の件について自分の考えを表明された。とても筋の通った考えの持ち主だとつくづく思った。2021年7月15日 朝日新聞より

任命拒否する政権

学術会議の法解釈 説明ないまま変更 不誠実さは地続き

 日本学術会議の会員に推薦されながら、菅義偉首相によって任命を拒否された問題が報道されてから9ヵ月余り。歴史学者の加藤陽子さんがインタビューに応じた。1930年代を中心にした戦前の日本近代史の研究で知られる加藤さんは、拒否した理由を説明せず、批判されても見直しに応じない現政権を、どう見ているのか。

歴史学者 加藤陽子(かとう ようこ)さん
 1960年生まれ。東京大学教授。小林秀雄賞を受賞した「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」など戦前期に関する著書で知られる。

 (記者)菅首相が6人の任命を拒否したと報道されたのは昨年10月でした。自身の任命が拒否されたことをどのように知ったのですか。
 「9月29日の午後5時ごろに学術会議の事務局から電話があり、任命されなかったと伝えられました。『寝耳に水』という言葉が実感として浮かびました。私のほかにも任命されなかった推薦者が誰かいる、とも言われています」
 (記者)詳細に覚えているのですね。日時は確かなのですか。
 「確実です。私はこの件が始まって以降、記録として残すために日記をつけていますので」
 「日記には学術会議のことだけでなく、その日の新規感染者数などコロナ禍の情報も書いています。社会の雰囲気や同時代的な偶然性も含めて記録するためです」
 (記者)拒否された6人の中で見ると、加藤さんはこの問題について人前であまり語っていない印象があります。会見には出ましたか。
「出ていません。ひと様の前に顔を出して語ることには積極的ではありませんでした。研究者としての就職を控えた人たちを大学で多く指導しているので、彼らの未来に何か負の影響が及んではいけないと懸念したのが要因です」
 (記者)では、なぜこの段階でインタビューに応じたのでしょう。
 「政府とのやりとりが先月末で一区切りを迎えたことが一因です。私たち6人は、任命が拒否された理由や経緯がわかる文書を開示するよう政府に請求していました。たとえ真っ黒に黒塗りされていようと何かしらの情報は開示されるものと思っていたのですが、実際の政府の回答は『文書が存在するかどうかも答えない』という非常に不誠実なものでした」
 (記者)6月に出された不開示決定ですね。どう感じましたか。
 「納得できませんでした。回答した政府機関のうち内閣官房は、該当する文書は存在しないと通知してきました。内閣府の回答はさらにひどく、文書が存在するかどうかを明らかにしない『存否応答拒否』でした。文書が隠滅された可能性もあると思います」
 「インタビューに応じたもう一つのきっかけは、報道機関などによる調査が進んで、学術会議の自律性が前政権の時代から何年もかけて掘り崩されてきた過程が明らかにされたことです。関係者に迷惑をかけずに私か発言できる状況が整ってきたと判断しました」

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 (記者)任命拒否が判明した直後の昨年10月、加藤さんは、菅首相の決定には法的に問題があるとするメッセージを公表していますね。
 「日本学術会議法は、会議の推薦に基づいて首相が会員を任命すると定めています。この首相の任命権については1983年に中曽根内閣が答弁しており、首相が持つのはあくまで形式的な任命権であって会議の推薦が尊重される、との法解釈が確定していました」
 「しかし今回の菅首相による拒否は、会議の推薦を首相が拒絶できるという新しい法解釈に立っています。つまり政府の解釈が変更されているのです。解釈変更が必要になった場合には政府は国会で『どういう情勢変化があったから変更が必要になったのか』を説明する義務があるはずです。けれど菅首相は説明していません」
 (記者)同じメッセージの中で、決定の背景を説明できる決裁文書はあるのか、とも問いましたね。文書にこだわった理由は何ですか。
 「私は日本近代史を研究する者として、行政側か作成した文書を長らく見てきました。だから、何か初めてのことをするときには文書記録を作成する傾向が官僚にはある、と知っていたのです」
 「ただ近年、官僚が官邸からの要求に押され、適切に文章を作成できない事態が生まれる憲法解釈を閣議決定で変えたり、検察庁幹部の定年延長に関する法解釈を政府見解を出すだけで変えたり・・・。法ができないと定めていることを、法を変えずに実行しようとする人々が、どういう行動様式をとるのか。それを確認したい気持ちが今回ありました
 (記者)任命拒否について菅首相は十分な説明をしていない、と批判してきましたね。何をすれば「十分な説明」になるのですか。
 「日本が立憲的な法治国家である以上、行政府の行為は、国民や立法府からの批判的検討を受ける必要があります。その行政活動には法的な権限があるのか、その権限を行使することに正統性があるのか。自らが任命拒否した行為について国会でそれらを正面から答弁することが、説明です
 「首相が『人事の問題なのでお答えを控える』と言うとき、彼は『なぜ外されたのか分かるよね?』と目配せをしているのだと思います。自民党を批判したからだろうとか、政府批判にかかわったからだろうとか。国民がそう忖度することを期待しているから、説明しないのでしょう。忖度を駆動させない対策が必要です」

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外された「6」は忖度のシグナル 痕跡を残したい
 (記者)政権や指導者が国民や議会に十分な説明をしないことは、社会に何をもたらすのでしょう。
 「日本の歴史を振り返れば、政権や指導者が国民に十分な説明をしなくなりやすいのは、対外関係が緊張し安全保障問題が深刻化したときでした。しかし歴史は、そうした傾向が国民に不利益をもたらしたことも教えます」「戦前の日本は、満州事変(1931年)を機に国際連盟を脱退 し、常任理事国であるという巨大 なメリットをみすみす手放してしまいました。もし脱退の必要性を政権が国民に説明していたら、それは国益に資するのかという幅広い検討機会が生み出きれ、脱退しない展開もありえたはずです」
 (記者)ご自身を菅首相が外した理由は何だと推測していますか。
 「歴史記録を長年眺めてきた者の直感ですが、2014年ごろから安保法制に反対したり『立憲デモクラシーの会』に参加したりしだことを含めて、政府批判の訴えをしたからでしょう。新聞や雑誌にコラムを書いたり勉強会で講師をしたりといった大衆的な影響力を警戒されたのだと推測します」
 「任命拒否問題の本質は、政府が法を改正せずに、必要な説明をいないまま解釈変更を行った点にあり、それは集団的自衛権の問題それは集団的自衛権の問題や検察庁幹部の定年延長問題とも地続きであること。私が国民の前でそれを説明することができる人間であったことが、不都合だったのではないでしょうか」

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 (記者)菅政権が任命拒否した人数はなぜ6人だったのでしょう。
 「象徴的な数字としてのではないかと私は見ます。前回17年に105人の新会員が任命された際、当時の学術会議会長は政府側から要求されて『事前調整』に応じています。推薦者の名簿に本来の人数より6人多い111人の名前を書き、見せたのです」
 「しかし今回は山極寿一会長(当時)が事前調整に応じず、初めから105人ぴったりの推薦名簿を出しました。それに対する政権の反応が、私たち6人を外す決定です。『次回は2017年のように6人多く書いて来いよ』というシグナルなのでしょう」
 (記者)任命拒否された6人のうち加藤さんを除く5人は、学術会議会長から連携会員や特任連携会員に任命されるという形で実質的に会議の活動に参加していますね。加藤さんは断ったのですか。
「はい。昨年11月に学術会議の幹部と話した席で『特認連携会委員として会議に参加する道もありますが、どうですか』と聞かれ、希望しませんと伝えました」
 (記者)なぜですか。
 「『実』を取るより『名』を取りたいと思ったからです」
 「特任連携会員になって学術会議の活動を支援することには確実なメリットがあります。実を取る道と言えるでしょう。ただ、政府が問題のある行為をした事実、批判されても決定を覆そうとしない態度をとっている事実を歴史に刻むことも大事だと私は考えました。実質的に欠員が生じたままにしておくこと、私か外されたという痕跡を名簿の上に残しておくことが、名を取る道です
 (記者)歴史に事実を刻み得たとしても、それによって政治がすぐに良くなるとは思えません。
 「すぐには変わらないかもしれません。しかし事実として、出入国管理法の改正にしても東京都議選の結果にしても五輪の進め方にしても今、社会は政府や与党の望む通りには動いていません」
  「6人が外されたこと。6という数字には特別な意味が込められていたかもしれないこと。みんなでそれを覚えておくことが、もう一度6人を削ろうとする動きへのへ牽制球になるでしょう。そこに希望を見いだしたいと思います」
(聞き手 編集委員・塩倉裕) 

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