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人生に迷っている人は大原美術館に行くと幸せになれるよ(迷ってない人もね)

岡山県の倉敷市には大原美術館というものすごく素晴らしい場所があります。この記事では僕なりの価値観でその魅力をお伝えします。ものすごく大好きな場所なので、足を運んでみようかなーって人が増えれば嬉しいです。というか、岡山住んでるんなら毎月行けよ!羨ましい!こっちは2年くらい行けてねーんだよ!今すぐ行けよ!ってことを書きます。

どうも。ナカミチです。この記事は大都会岡山 Advent Calendar 2021の12/09分として書いています。

私は現在広島でシステムエンジニアをしています。岡山はなじみが深い土地でして。山口県の田舎から大学進学に合わせて岡山へ移り住み、なんやかんやで多分9年くらい住んでいました。東古松にあるたぬき屋のうどんは今でも突発的に食べたくなります。とてもおいしいです。

大原美術館との出会い

初めて訪れたのは大学2年生の時だったと記憶しています。当時の僕は特段芸術に造詣が深いわけではなく、一般教養の授業で岡山市内の美術館に行ったことはあったものの「ふーんこんな感じなんだ」くらいの感想でした。

大原美術館を訪れたのも、美術館でデートをするという行為が高尚でかっこいい気がするってだけの理由でした。岡山は車がないと遊びに行く場所がとても少ないため、必然的に倉敷に吸い寄せられます。「恋人と一緒に芸術に触れている、そんな私たちが好き」みたいな、大原美術館との出会いは極めて不純な動機でした。入口なんてそんなもんです。

大原美術館の最初の印象は「これ、進研ゼミ 美術の教科書で見たやつだ!」でした。教科書で見た名画たちが普通に並んでいるのです。フランスとかの荘厳な美術館に存在すると思っていたそれらが目の前に佇んでいるさまにはびびりました。

そしてクタクタに疲れました。

生の絵画は妖気のような力を発しており、見る者の体力をゴリゴリと削ってくるのです。源氏物語を研究していた友人が「遥かな時を超えて生き残った作品の力は恐ろしい。取り込まれそうになる。」と言っていましたが、そんな感じです。半端ではないです。

絵画鑑賞の作法もわからぬままに巡回し、なんとなく達成感を味わう中にも印象に残った作品があります。美術の執念というか呪いのような力を教えてくれた2つの作品を当記事では紹介します。後に、これらの作品を再び見るために年に数回ペースで通うことになります。


カット・アウト ジャクソン・ポロック

Cut Out / POLLOCK, Jackson

アメリカの画家ジャクソン・ポロックの作品です。床に置いたカンバスに顔料をぴしゃぴしゃ垂らす、ドリッピング / ポーリングという手法で描かれた作品です。中央は人型にくりぬかれています。

初めて絵画に感銘を受けたのはこのカット・アウトでした。

このころ僕は宮沢賢治や川端康成をはじめとした純文学に傾倒しておりました。そして、多感な大学生よろしく、鞄にはライ麦畑で捕まえてを忍ばせ、周囲には気怠さをまき散らし、いつも「俺は世界から見放されている」と思いながら生きていました。

そんな自称精神病んでるちゃんにこの絵画は刺さりまくりました。

背伸びして初めて大原美術館に来たはいいが、なんかよくわからんしやたら疲れるって感じの中、いよいよ出口が迫った場所でカット・アウトに出会いました。


これは俺の絵だと思いました。


無造作に飛び散らされた色彩と痛々しく切り抜かれた空洞。この絵は俺だ。俺はこの絵のことなら理解できる。この絵の持つ痛みと悲しみを僕は今も感じている。。。とかなんとか感動したことを覚えています。

いやまあね。ナルシズムも甚だしいのですが、なんにせよ絵画の凄みに気付いてしまったわけです。

大層カット・アウトが気に入った僕は、土産物売り場でポストカードを買って帰りウキウキで早速机の上に飾りました。しかし、ポストカードからは、あの時の衝撃を受けることはありませんでした。

これほどまでに違うのか!!魂がこもっているのかどうかは知らんが、生の絵画の持つ力は対面しないと感じることが出来ないのか!!もう一度、俺のカット・アウトが見たい。と、こんな感じで大原美術館に嵌っていきました。

もしあなたが人生に迷い、殺伐とした気持ちを持っているのであればポロックの絵を見ることをおすすめします。作品もすごいですが、ポロックその人もなかなかです。興味のある方は ↓ をご覧ください。

ちなみに2年ほど前、家庭も仕事もある所謂安定した状態でカット・アウトを見た際には、以前ほどの感動はありませんでした。絵画はその人の精神状態によって全く見え方が異なります。だから面白い。

ちなみにポロックの「ナンバー17A」は当時の世界最高額で取引されたりしてます。


かぐわしき大地 ポール・ゴーギャン


Te Nave Nave Fenua / GAUGUIN,Paul

かぐわしき大地の魅力に気付いてからというもの、大原美術館に足を運ぶ目的はこれを見ることになっています。僕にとって、とんでもなく魅力的な作品です。

カット・アウトで絵画の魅力に気付いてから2年が経った頃です。人の生と死が描かれた巨大な絵画が飾られている広間で、何度も見ていたゴーギャンの絵が目に留まりました。あれ?こんなに鮮やかだったっけ?みたいなことを思ったことを覚えています。一緒に来ていた友人に「すまんけどあと5分くらい見ていたい」とか言ってかぐわしき大地をずっと見ていました。

輝くような裸体、紫色の土、少し不気味なトカゲ。上手いのか下手なのかよくわからないその絵画は、しかし、見たことがないほどに鮮やかに煌めき、そこから動けないほどの衝撃を僕に与えました。

暖かいような、冷たいような、楽しいような、怖いような、たくさんの印象が流れ込んできます。目が離せない。
釘付けになるってのはこういうことでしょうか。

例のごとくポストカードを買って帰り、机の上に飾りましたが、全然物足りません。いてもたってもいられず、ゴーギャンの絵に会うためにまた倉敷に向かうのでした。ここから僕は人生に影響が出るほどゴーギャンに夢中になってしまいます。このあと多分ちょっと長くなるのでいったん総括。


絵画について小難しく考える必要なんかなくて、ただいいなーと思うものを見ればいいと思います。僕は目玉絵画の受胎告知のよさは正直わかりません。ただ好きな作品を見ているだけです。

大原美術館には日常では出会うことのできない非常に素晴らしい絵画が多数存在します。多大な貢献をした児島虎次郎さんの作品も素晴らしいのでぜひ見ていただきたい。すぐそばの児島虎次郎記念館で見ることが出来ます。光に溢れ美しいです。

絵画の魅力を知れたことは僕の人生に大きな楽しみを与えてくれました。素晴らしいぜ!大原美術館!
遠足以来訪れていないあなた!岡山県民なら是非行ってみてください。
新しい発見があるはずです。芸術は人の心を豊かにします。これは間違いない。



おまけ ゴーギャンへの想い

ここからはかぐわしき大地の作者ゴーギャンについて書く。
僕はゴーギャンが好きだ。相変わらず美術については詳しくはないし、ゴーギャンの作品全部を知っているわけでもないけど、好きなもんは好きだ。

帽子をかぶった自画像 / GAUGUIN,Paul 

絵画になじみのない方でも「ゴッホ」の名は耳にしたころがあるはずだ。少しゴッホに詳しい方なら、自身の耳を削ぎ落した直後に描いた自画像の存在を知っているだろう。耳を削ぐ直前まで一緒に生活をしていた人がこのゴーギャンだ。

大原美術館でかぐわしき大地に打ちのめされた僕は作者のゴーギャンに興味がわいた。ゴーギャン展があれば見に行き、彼の人生についても調べた。

ゴーギャンをモデルにした小説がある。
サマセット・モームの「月と6ペンス」だ。

この小説ではゴーギャンの生涯が描かれているが、それはもう、ろくなもんじゃない。家族を捨てて画家を目指すがなかなか成功せず、金はなく、親切にしてくれた人を裏切り、放蕩の末タヒチにたどり着く。

絵を描く以外全てを捨てたような男がそこにいる。

月と6ペンスの中で好きなセリフがある。

おれは、描かなくてはいけない、といっているんだ。描かずにはいられないんだ。川に落ちれば泳ぎのうまい下手は関係ない。岸に上がるか溺れるか、ふたつにひとつだ

これを読んで僕は仕事をやめた。大して好きでもないことではなく、やらずにはいられないと思えることに時間を費やそうと思った。そして、大原美術館に行くことも出来ない程の貧困にあえいだ。またやりたくもない仕事をした。僕はゴーギャンにはなれなかった。

ゴーギャンは苦難に満ちた人生の果てでタヒチにたどり着き多数の絵を描いた。かぐわしき大地からはこの世の楽園のような豊かさと、どこか不吉な影を感じる。幸福と不安が入り混じったような、呪いのようなオーラがとても好きだ。引き込まれる。

彼が自身の人生をどう思ったのかはわからないが、タヒチでの晩年が幸せに満ち溢れていたようには思えない。

彼は自殺を決意し「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を書く。この作品は最高傑作と名高い。自殺は未遂に終わるが。

人は死を前にすると神とか命とかについて考えざるを得ないのかな。黄色いキリストとかもそうだ。このあたりはキリスト教を知れば理解できるのかもしれない。

最後に

僕はポロックとゴーギャンの絵が見たくて大原美術館に足を運んでいました。

同じようにあなたの心を打つ作品がきっとあるはずです。

なんとなーく見ればいいのです。おっ!と思った作品があれば、じーっと見ればいいのです。ちっともわからなくても、なんか高尚なような徳を積んだような気持になれます。

ほんと、大原美術館にはすごい作品が沢山展示されているので通わないのはもったいない。岡山在住者が非常にうらやましい!いいなー!とかそんなことを思うのでした。
長文にお付き合いくださりありがとうございます。




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