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藤藪庸一『あなたを諦めない 自殺救済の現場から』、いのちのことば社、2019

 読む前は、自死しかけている人をいかに救ってきたのかについての事例をいくつも紹介している本かと思っていた。しかし、実際に読んでいると、予想とは全く違っていた。
 自殺の名所と呼ばれる白浜の三段壁で、自死しそうになっている人を保護する話は最初だけ。もちろんそれも粘り強い説得が必要とされるのだが、肝心なのはそのあとだということが語られる。
 保護した人を自分の家(教会の牧師館)に受け入れ、共同生活を始める。牧師自ら経営する弁当屋の仕事に参加してもらう。収入の一部を預かり、やがて本当に自立するときのために預かって貯金しておくなどなど、その人が失った人生を取り戻すまで徹底的に関わりを持ち続けるのである。

 この本は著者の教会での牧会のみならず、子育て、子どもたちのための放課後クラブ、弁当屋の経営など、さまざまな活動を通して、失敗したことを赤裸々に語りながら、どのように成長してきたのかを綴っている。
 殊に筆者にとって個人的に印象的だと思ったのは、リーダーシップについての1章だった。著者は当初、人と接するときに大切なのは、ありのままに相手を受け入れ、対等な関係になることだと思っていたと言う。しかし、ありのままの相手を受け入れるということは楽なことでもある。放っておけるからだ。真のリーダー、指導者は相手の良いところは伸ばし、悪いところは自覚させるという指導者としての役割が求められる。そのことも著者は体験的に学んでゆく。
 また、もうひとつ強烈に心に畳み込まれたのは、自死に至らない人間を作るためには子ども時代の教育からという洞察に基づき、全寮制の学校を作りたいというビジョンを語っているところだ。家族と学校と地域が三すくみになって、子どもの人権や親権などを理由にして責任の持てる子育てができなくなっている。著者によれば、子どもの教育が崩壊したのは、過度に個々の価値観を尊重しすぎたせいでないかというのである。その行き詰まりを打破するためには、家庭から切り離して全寮制の学校を作るしかないのだと著者は言う。全国から生徒が集まった全寮制のそれは、地域を再生させるキリスト教主義学校である。

 人を自立させるというのは、放り出すことではない。関わりを持ち、責任を持ち続けることである。そして、その関わりは受け入れた人の死に至るまで続いてゆく。家族とも絶縁し、他にも関わりというものがなくなってしまった孤独な人に、著者は死に場所も用意しようとする。
 キリスト教信仰によって人を助け、活かすということは、ここまで自らを鍛え、人の生から死に際まで関わりを持ち続け、逃げずに責任を全うするということかと教えられる。牧師とはここまで自分の人生を捧げきることができるものなのか。
 私も牧師の端くれでいながら、いかに自らの生活ばかりに汲々としていることかと恥ずかしくなる。

 本書には「諦めない」という言葉が何度も登場する。自分の人生にも、関わりを持つ人の人生にも、決して諦めないということが大切なのだ。本書のタイトルは「あなたを諦めない」である。「私は諦めない」ではない。「私はあなたを諦めてはいないのだから、あなたは自分を諦めないでくれ」というメッセージなのではないだろうか。ここでも、「私」で完結しない、いつも「あなた」と関わりを持つことで、人を活かそうとする牧師としての著者の思いが伝わってくるのである。

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