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『わたしが「カルト」に? ゆがんだ支配はすぐそばに』齋藤篤・竹迫之著、川島堅二監修、日本キリスト教団出版局、2023

 いずれもキリスト教会の牧師であり、カルト問題の第一人者である2名の著者、1名の監修者による、カルトによる危険性と対処の要点をコンパクトにまとめた書。
 コンパクトで比較的短時間で読める本ではあるが、内容的にはかなり濃密で、しかも問題の根幹となる事柄を鋭く突いている。カルト問題を学ぶ上では必読の書であると言える。

 「はじめに」にあるように、「わたしがカルトに?」というタイトルには二重の意味が含まれている。1つは「わたしがカルトの被害者に?」という意味である。これは、通常一般人が抱きがちな恐れだ。しかしこのタイトルには、もう1つ「わたしがカルトの加害者に?」という問いも含意されている。

 本書において、カルトの定義は明確である。それは「ゆがんだ支配構造によって、本来人間に備わるべき人権を奪い、さまざまな弊害をもたらすこと」である。
 カルトというのは、まずは旧統一協会やエホバの証人のような、ある特定の反社会的集団のことを指すのは言うまでもない。
 しかし、そのような集団でなくとも、場合によっては個人的な人間関係でも、「カルト化」は起こりうる。例えば、夫婦間のモラル・ハラスメントによる支配でも、スポーツや学業の指導におけるパワー・ハラスメント、セクシュアル・ハラスメントも、一種のカルト化と言えないことはない。カルト化とは、集団・個人を問わず、不当な支配による人権侵害のことなのである。

 例えばキリスト教会においてもカルト化の危険性はある。単純に「わたしたちの教会は、統一協会、エホバの証人、モルモン教とは関係ありません」と書くだけでは何の解決にもならない。
 むしろそうやって「私たちはカルトとは関係ない」と言って問題を遠ざけようとすることで、カルト問題の本質を見つめる機会を失い、自覚のないままカルトの被害者にも加害者にもなりうる危険性が高まる。
 本書では、教会がカルト化しないようにするための目安まで掲載している。

 更に私たちが警戒しなければならないのは、自分が「ゆがんだ支配に身を委ねたくなる」傾向を持っているということである。
 自分で自分の人生を決定し、自分で責任を引き受けて生きることは、楽ではない。しかし、カルトは強力な影響力、指導力で人を引っ張ってくれる。
 つまり、カルトに身を委ねるのは、楽をすることなのだ。楽ではない生き方を選ぶことがカルト化から自分を防ぐことになるということも、本書によって気付かされる重要なポイントである。

 本書の著者である牧師たちは、日々カルトを被害を受けた、あるいはカルトの一員として加害者になった当事者や家族と向き合っている。また、いわゆる宗教2世あるいはカルト2世の相談に乗ることも多い。
 その中で、脱会と生活の再建がうまくいくケースは少ないという。それほどまでにカルトの悪影響や後遺症を克服し、ありふれた平和な日常を取り戻すのは難しい。
 著者は、むしろカルトの被害を受けないための予防的な教育が大切だと説く。できれば中学生の段階でカルトの危険性を学ばせる必要があるのではないかと問題提起している。
 ここは私も、宗教教育を担う者として、使命感を新たにされる点であった。数少ないキリスト教主義学校でこそ、取り組むことができる課題である。

 繰り返しになるが、本書はコンパクトで読みやすい。しかし、少ない頁数の中にカルト問題の本質に切り込む、貴重な証言と提言が濃密に詰まっている。
 カルトについて危機感を持っている人、問題意識を持っている人、なんとなく気になる人、どんな人でも読んで学びになる良書である。
 心からおすすめする。

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