見出し画像

洞窟の中から命が生まれた

2022年12月4日(日)徳島北教会 アドヴェント第2主日礼拝 説き明かし
ルカによる福音書2章1−7節(新約聖書・新共同訳 pp.102-103、聖書協会共同訳 pp.101-102)
有料記事設定となっておりますが、無料で最後までお読みいただけます。有志の方のご献金をいただければ、大変ありがたく存じます。
最後に動画へのリンクもあります。「読むより聴くほうがいい」という方は、そちらもどうぞ。

▼ルカによる福音書2章1~7節

 その頃、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録であった。人々は皆、登録するために、それぞれ自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家系であり、またその血筋であったので、ガリラヤの町ナザレからユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身重になっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがそこにいるうちに、マリアは月が満ちて、初子の男子を産み、産着にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる所がなかったからである。

▼新年おめでとう

 おはようございます。今日はアドヴェント第2主日礼拝です。キリスト教の暦では、待降節、つまりアドヴェントから新しい1年が始まりますので、今は新年のお祝いの季節です。ですから、「皆さん、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします……」と言いましても、ちょっと実感が湧かないかもしれませんよね。
 でも一応、ここからクリスチャンの1年が始まる。クリスマスを迎える準備をするところから、そしてクリスマスを迎えることで私たちの新しい1年が始まってゆくのだなということを、心に留めていただければありがたいなと思います。

▼ナザレ人イエス

 さて、今日お読みした聖書の箇所は、よく知られた、ルカによる福音書によるイエスの誕生の場面です。皇帝アウグストゥスが広いローマ帝国の全領土に、納税のための住民登録をせよという勅令を下します。
 帝国の役人が派遣されてきていたのかもしれませんけれども、基本的には住民は自分でわざわざ本籍地まで旅をして、登録しにいかなければならなくなったわけです。
 いつかも言ったような気がしますが、税を取り上げる側でなく、納税する側がわざわざ苦労して手間ひまかけて、税を収めるための手続きをとらないといけないという、住民にとってはずいぶん迷惑というか、屈辱的な有様は、昔も今も変わらないんだなと思わされます。
 とにかく、この住民登録をしなければならないということで、ガリラヤ地方のナザレに住んでいたヨセフという男性が婚約者のマリアという女性を連れて、自分の先祖、つまりダビデの家系があったというユダヤ地方のベツレヘムという町に旅をしてきました。
 聖書学的な見地では、このベツレヘムというのは、「救い主はダビデの家系から出るのだ」というユダヤ人の信仰に合わせた形で、こういう風に「ほら、救い主は皆さんの言う通り、ベツレヘムでお生まれになったんですよ」ということを言いたいがために作られた設定で、実際にはイエス自身が福音書のなかで「ナザレのイエス」とか「ナザレ人」と呼ばれたり、イエスについてゆく道を選んだ人たち、つまり後にクリスチャンと呼ばれるようになった人たちも、最初の頃は「ナザレ派」と呼ばれていたほどですから、イエスがナザレで生まれ育ったと考えるのが自然でしょうね。

▼ヨセフは若いか年寄りか

 このヨセフという男性も、若いのか年寄りなのかは見解が分かれていまして、プロテスタントの多くの教派では、ヨセフとマリアは同年輩の若いカップルであるかのように描かれていることが多いです。
 これに対して、カトリックでは結構歳をとっている年配の男性として描かれています。これは、イエスの兄弟をイエスより年上と見るか、年下と見るかの違いによるようです。
 マルコによる福音書に、イエスの母と兄弟姉妹(これ、最初の福音書であるマルコによる福音書では、イエスのお母さんがマリアであるなんて1回も書いてないんですけれども……ですから、本当にイエスのお母さんがマリアであるとも実はわからないんですけれども)、とにかくこのお母さんときょうだいたちがイエスのことを、「気が狂ってしまったのだ」と思って、呼び返しに来る場面があります(マルコ3.21、3.31-35)。
 この時の兄弟姉妹(3.32)がイエスより年上か年下かで、カトリックとプロテスタントでは見解が全く違います。このきょうだいたちが年上だというのはカトリックの伝承で、だからヨセフは年寄りなんですね。
 カトリックは聖書に書いてあることにプラスして「聖伝」というものを大事にしています。ですから、カトリックで伝えられている事は「聖書」と「聖伝」でワンセットです。ですから、カトリックの人に、イエスのきょうだいがイエスの弟、妹だったとか、ヨセフとマリアが同年輩の若い夫婦だったなんてことを言うと、怒られるか失笑されます。
 私自身はというと、プロテスタントで育ったせいかもしれませんし、プロテスタントの文化で作られた映画などはヨセフが若く描かれたものは多くて、そういうものを見て育ったせいか、ヨセフとマリアが若いカップルであるかのように思い描いてしまいます。

▼馬小屋か洞窟か

 この聖伝に関して言うと、イエスが生まれたのも、カトリックや正教会の聖伝によれば、馬小屋ではなく洞窟になります。
 実際、今日の聖書箇所にも、イエスが生まれた後、飼い葉桶に寝かされたとは書いてありますけれども、馬小屋で生まれたとは書いてありません。
 飼い葉桶と書いてあるので、つい木でできた桶を思い描いてしまうのがヨーロッパの牧畜に影響されたイメージで、実はこの時代、馬やラクダなどの乗り物を置いておくのは洞窟だったということらしいんですね。
 そして実際、ベツレヘムに今もある「降誕教会」、つまりイエスが生まれた場所を覆って守っているカトリック教会の中に入ると、礼拝堂の一角から下に降りてゆく細い階段があって、地下に洞窟があって、そこに「イエスが生まれた場所がここだと」いうところがあって見ることができます。
 見ることができますと言っても、世界中から巡礼者や観光客が集まって来るので、長~い行列を作って待たされて、下に降りてゆく階段は大混雑、そしていざ洞窟に入ると、「ここが生まれた場所だ」というのは、屈み込んででしか見れない小さなスペースで、そこをちょっと覗き込んだだけで「はい次」と入れ替わらせられます。全然ゆっくり見ることはできません。

ベツレヘム「聖誕教会」地下にあるイエスの誕生場所

 ここまで世界中のカトリックと正教会の人がイエスは洞窟で生まれたという聖伝を信じているので、これが事実かどうかはわからないなんてことを言ったら、また怒られるか失笑されます。
 けれども、私はこの聖伝も歴史的事実であるかどうかはわからないと思っています。そもそもベツレヘムで生まれたというのが事実ではないかもしれないと思っていますから、ベツレヘムの聖誕教会の地下にあるのが本当のイエスの誕生場所であるとは思わないということです。
 馬小屋とは聖書に一言も書かれていない。しかし、洞窟とも書かれていません。そもそもベツレヘムで生まれたということが作られた話であろうと。
 しかし、だからこの話は「嘘だ」と言ってしまうのも、適切な態度でないと思うんですね。これは信仰の作り上げた物語だと言えるからです。イエスが洞窟で生まれたというのは歴史の問題ではなく、信仰の問題です。つまり、イエスという方は石に彫られた穴から出てこられる方なんだという信仰です。

▼イエスは石の穴の中からやってくる

 そこまで言うともうおわかりではないかと思いますが、この「洞窟からイエスが生まれ出た」という物語は、「石で掘られた墓穴からイエスが復活してきた」ということがベースになって作られた伝承なんだと考えられるんですね。つまり、クリスマスとイースターは表裏一体の結びつきのある物語なんだということです。
 石の穴の中にある、石のくぼみの中に寝かされたイエス。それは生まれたばかりのイエスであり、イエスはそこから私たちの所にやってきてくれる。同じように、亡くなった直後のイエスが、石の穴の中にある、石のくぼみの中に寝かされる。そしてイエスはそこから私たちの所にやってきてくれる……ということなんですね。
 イエスが石の穴の中に葬られたということは、当時の風習から間違いないことだと思われます。そこからイエスが再び現れたということの喜びがまずあって、それから誕生の物語が語られるようになったのではないかと思われるわけです。
 いずれにせよ、クリスマスもイースターも、私たちの所に「いま」イエスが来てくれるということをお祝いする時なんですね。

▼洞窟で死んだ人たち

 死んだ人が洞窟から蘇ってくるという話を聞くと、私はこの秋に行った沖縄で訪れた「チビチリガマ」という洞窟のことを思い出します。「ガマ」というのは琉球語で「洞窟」という意味です。
 チビチリガマは沖縄の読谷村という村にあります。現時点では日本で一番面積の大きい村です。どんなに大きくなっても「町」とか「市」になるのではなく、あくまで「村」であることにこだわっておられるそうです。
 この読谷村の人たち、沖縄戦に先立つアメリカ軍の爆撃のたびに、この洞窟に避難しましたと、日本軍の兵士もここに待機するという状態でした。

チビチリガマ

 1945年4月1日、いよいよ沖縄での地上戦が始まった日、アメリカ軍が読谷村に上陸して、翌日の4月2日にチビチリガマで悲劇が起こったんですね。
 アメリカ軍は4月1日も2日も、ガマに隠れている住民に「安心して出てくるように」と呼びかけましたが、住民は「出ていけば殺される」と信じ込んで、出ていかなかったそうです。
 その背景には、まず日本兵たちが「外に出ていけば必ずアメリカ軍に殺されるぞ」と村民に教え込んでいたのと、どうも中国戦線から帰ってきていた看護師の方がいらして、中国でどんなに日本兵がひどいことをしてきたということを見て知っていて、「ましてやアメリカ兵なら、何をされるかわからない」と言って、恐怖心を倍増させてしまったということもあったそうです。
 それで、暗い洞窟を照らすために使っていた灯油ランプの油を布団にかけて、火をつけたんですね。そして煙で集団自殺をしようとしたわけです。
 ところがこの煙が苦しくてたまらなくて、どうせ死ぬならアメリカ兵に打たれて一気に楽に死のうと出ていった人たちが助かって、ガマの中に残った人たちが死んでしまったということだそうです。
 ガマにいたおよそ140名のうち、そのガマから出ていかないで助からなかった人たちが83名(およそ6割)。その83名のうち更におよそ6割が18歳以下の子どもだったそうです。子どもを助けるためにガマから出たんじゃなくて、どうせ死ぬのなら一緒だと思って子どもを残してガマを出た、その子どもたちが犠牲になったということなんですね。

▼石のお墓

 今はガマそのものがお墓になっていて、ガマの中は立入禁止になっています。そこに立ち入ることは、亡くなられた方々の骨を踏みつけにすることになるんですね。それは遺族には耐えられないことであるということで、入ってはいけないということが書いてある看板がガマの入り口に立ちふさがっています。「私たちの肉親を踏み潰していることを私たちは我慢できません」と書いてありました。

チビチリガマの前に建てられた注意書き

 そして、亡くなられた方々をお参りに来た人は、ガマの中ではなく、ガマの前に建てられている、「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」に参拝してくださいとも書かれています。
 この「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」ですけれども、彫刻家の金城實さんという方と住民の方々が協力して作った慰霊と鎮魂の像です。

「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」

 もがき苦しんで死んでゆく人の顔、泣き叫ぶ人の顔、子どもをおぶった母親の姿、また骨壷やドクロなどがたくさんレリーフとして彫り込まれています。見ている私自身、戦慄のあまり鳥肌が立つような感覚を受けた彫刻でした。

「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」部分

 この「世代を結ぶ平和の像」はこれまで2回、1回目は右翼団体によって、2回目は10代後半の若者たち4人のいたずらで、めちゃくちゃに破壊されました。それで今はその彫刻の周りに、コンクリートでできた頑丈なバリケードのようなものが作られていて、そこから覗いて中を見ることしかできませんでしたが、その中身を見て、このガマで亡くなられた方々がどんなに恐ろしく、辛い思いをされたかを考えないといけないと思わされました。

▼復活

 私はイエスの復活というのは、こういうことではないかと思いました。
 十字架につけられるという、これ以上無いというほど、苦しめられて殺されたイエスの遺体は石の洞窟のお墓に収められました。
 あの、罪の無い、多くの人を愛し、その救い、癒しのために生涯骨を折ってきた、愛の塊のような人が殺されるということに、どうしてもそのままでは納得がいかない遺された人々の心が、「あのイエスがそのまま死んだのではない」「あのイエスが死んでそのままで終わるはずがない」と信じる思いを生んだのではないでしょうか。

エルサレム郊外の「園の墓」遺跡公園

 「こんな風にイエス様が死んでしまっていいのか。こんな最期があっていいのか。このままイエス様を死なせたまま、私たちはこれで終わりだと諦めたままでいいのか」という弟子たちの必死の思いがあって、そこから「イエスの命はここで終わりではない。イエスの命はここから改めて始まるのだ」という信仰が立ち上がってきたのではないでしょうか。
 まるで、チビチリガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」のように、亡くなられた方々の霊がそこで再び叫んでいるのと同じように、亡くなられたイエスも、「このままでは終わらないのだ」「そのままではおかないぞ」「イエスは今も叫んでいるんだ」という弟子たちの思いによって、その思いの中に蘇らされたのではないかと思います。
 「世代を結ぶ平和の像」に刻まれた人たちは今もそこに苦しみながら生きています。同じように、イエスもいつまでも苦しみながら、私たちの苦しみ、痛み、悲しみに寄り添っています。
 復活というのはそういうことではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

▼イエスは今ここに現れる

 ……まるでイースターのようなお話になりましたが、このイースターの復活の思いが反映されたものが、クリスマスの誕生物語であったという説をお話しています。
 クリスマスは、イエス様が生まれたことをお祝いする日ですが、その根底にあるのは、亡くなったはずのイエスが、今も私たちのそばにやってきてくれるということです。
 私たちは毎年のクリスマスを、そうやってイエスが私たちのそばにやってきてくれることを喜び、イエスと一緒に生きてゆこうという思いを確かめ合う時にしたいと思います。
 良いクリスマスを迎えましょう。
 お祈りいたします。

▼祈り

 神さま。
 あなたは今年もイエス様の姿をとって私たちのもとにやってきてくださいます。
 このアドヴェントの時、あなたの御子イエス・キリストが私たちのそばに来てくださることを信じ、喜ぶ、素晴らしいクリスマスを迎えるために、良き心の備えをなすことができますように。
 邪悪な戦争の準備を進める者がおります。
 死ななくてもよい命が、再び失われようとしています。
 私たちの主であり、友であるイエス様は、死ななくても良い命であられましたが、人間の暴力によって無残に殺されました。
 そんなイエス様が再び私たちのもとにやってきてくださる。ありがたいことです。
 あなたの御子が私たちのために命をささげてくださったことを覚えて、感謝のクリスマスの季節を送りたいと思います。
 イエス様のお名前によって、祈ります。
 アーメン。
 


ここから先は

0字

¥ 100

よろしければサポートをお願いいたします。