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解放へのオガリ

2023年7月2日(日)徳島北教会「部落解放祈りの日礼拝」説き明かし
ヨハネによる福音書1章43−46節(新約聖書・新共同訳 p.165、聖書協会共同訳 p.162)
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最後に動画へのリンクもあります。「読むより聴くほうがいい」という方は、そちらもどうぞ。

▼ヨハネによる福音書1章43−46節

 その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとした時に、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」
 するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。

▼部落解放祈りの日礼拝

 みなさん、おはようございます。今日は「部落解放祈りの日礼拝」です。
 本来は日本基督教団では、7月第2日曜日が「部落解放祈りの日礼拝」なんですが、第2は私の説き明かし担当ではないので、今日にそれを行うことになりました。

▼金城実さん

 去年の10月に私は沖縄に個人的に視察旅行といいますか、学習のための旅行に行きましたけれども、その時に沖縄の南城市にある佐敷教会の金井創牧師(辺野古の海岸での新基地の建設に反対する抗議船の『不屈』の船長でもある牧師さんです。去年私たちの教会からも、外部献金として寄付を行いましたが、その金井先生)に全面的な協力で案内していただいて、金城実さんという彫刻家の方のアトリエを訪れる機会がありました。
 金城実さんという彫刻家を皆さんご存知でしょうか。沖縄の読谷村という村にアトリエを構えていらっしゃいます。沖縄の平和運動に関わる人、関心のある人の間で、金城実さんの名前を知らない方はいらっしゃらないと思われます。
 よく知られた作品としては、「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」があります。去年、私も説き明かしの中で触れました。「チビチリガマ」というのは、ガマ(つまり奥深い洞窟)の1つで、たくさんの住民が米軍の攻撃を恐れて避難していたんですね。でも、その中には日本兵もいました。そして、いよいよ米軍が沖縄に上陸してきたというときに、日本兵が住民に集団自決を強制して、強制的に集団死が引き起こされた場所です。
 「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」は、そのガマの中で強制集団死に追い込まれた人たちの魂を悼んで、ガマの入り口に造られた彫刻です。
 この像は、今まで2回、1回目は右翼団体から、2回目は悪ふざけをした少年たちのせいで破壊されたことがあって、現在は覗き穴のあいた大きな防御壁のようなものに囲われて、その穴から覗くことができるだけですが、覗いて見てみると、多くの人がもだえ苦しみながら叫びをあげている。また多くのどくろがひしめき合っている。そんな、悲しみと怒りが吹きあげているような姿が刻まれていました。そのことによって、いかに戦争が無残なものであるか、いかに戦争が愚かなものであるかを表していました。

▼「解放へのオガリ」

 その金城さんの作品で、部落差別に関係するものが、アトリエにありました。
 ありましたと言っても、アトリエの建物よりも何倍も広い庭があって、そこにこれまでの数々の作品が、こう言っては悪いですが、野ざらしのような状態で置いてあります。
 その、野ざらしの作品の中にまじって、いくつもの部分に分割されて木枠で固定されている、めちゃくちゃに大きな彫刻作品がありました。組み立てると高さ12メートル、幅7メートルもある巨大な作品だそうで、重さも3トン以上あるそうです。だから、分解されてでないと、庭に置くこともできないんですね。
 名前を聞くと「解放へのオガリ」という作品だそうです。どんな作品かというと、左腕に子どもを抱いた母親が、右手を振り上げて何者かに「うおーっ!」と叫んでいます。激しい怒りのような、大声をあげて差別を跳ね返そうとしているような、女の人の姿です。
 この「解放へのオガリ」の「オガリ」というのは、大阪市住吉区の言葉で「叫び」というような意味があるそうです。つまり「解放への叫び」です。
 もともとその住吉区にあった「市民交流センターすみよし北」という建物の壁に、住吉の部落解放運動の象徴として取り付けられた巨大彫刻だったそうです。でも、この「市民交流センター」が2016年に取り壊されることになって、沖縄の金城さんのところに置くということになったんですね。
 私が見てきたのは、その本体が分割されたものでした。大きすぎて、分割されたものを見ても全体が想像しにくいのですけれど、とにかく巨大な作品だというのはわかりました。腕の部分だけでも、4畳半か6畳くらいの場所をとります。
 この「解放へのオガリ」が掲げられていた「市民交流センターすみよし北」というのは、もともと「住吉解放会館」といって、住吉区の部落解放運動の拠点になっているところでした。
 この建物の解体で「解放へのオガリ」の彫刻は、読谷の金城さんの所に戻ったわけですが、今はその5分の1のミニチュアが、「住吉隣保事業推進センター」というところに設置されているそうです。ミニチュアと言っても、高さ2.2メートル近くあります。

読谷村、金城実さんのアトリエ横の庭に設置されている「解放へのオガリ」像ミニチュア

▼琉球語訳水平社宣言

 金城さんがこの作品を作った背景には、金城さんが大阪市の夜間中学で教えていたことがあるそうです。
 大阪で働くうち、地元の部落の人たち、在日コリアンの人たちと触れ合う中で、金城さんは「水平社宣言」に大きな影響を与えられたそうです。
 「水平社宣言」もご存知の方はいらっしゃると思いますが、現在の部落解放同盟の前身にあたる全国水平社が、その創立の時、1922年(いまからおよそ100年前)に宣言したものです。「全国に散在するわが特殊部落民よ、団結せよ」という言葉で始まり、「人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光あれ」という言葉で終わっています。
 また、この中の「殉教者がその荊冠を祝福される時が来たのだ」という言葉にある、「殉教者」や「荊冠(すなわち荊の冠)」という表現がキリスト教の影響を受けているとも言われます。
 特に、この宣言の中のでも、特に衝撃的なのは、「我々が『エタ』であることを誇りうる時が来たのだ」という言葉です。「エタ(穢多)」というのは、被差別部落に住む人たちに対する差別用語ですけれども、その差別の言葉をひっくり返して「それを誇る時が来たのだ」というところに、部落差別を転覆させてやるぞという力があふれています。
 金城さんは、この「水平社宣言」に大きな影響を受けたと言います。部落差別と琉球差別に相通じるものを感じられたのですね。そして昨年、2022年、水平社宣言100周年の年に、琉球語訳の水平社宣言を発表されました。
 私は琉球語は全くわかりませんが、この水平社宣言の締めくくりの「人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光あれ」という言葉は、琉球語ではどんな風に言うか。私が昨年、沖縄に行ったときには、琉球語は聞いていてカタカナで読んでも違和感の無い発音に聞こえたので、私が今ここでカタカナで読んでも、そんなに違わないような気がします。
 調べた通りに読んでみますね。
 「人の世に熱あれ」は、「チュ ニンジンヌ イチミンカイ、ウタビミソーリ」。「人間に光りあれ」は、「チュ ニンジンニ、ヒカリ、ウタビミソーリヨ!」。

▼差別者としての自覚

 他にも、先程私が紹介した「エタ」という差別用語は、「ドジン」という差別用語に訳されているそうです。琉球の人たちは、ヤマトの人間(つまり日本人)から「土人」と呼ばれています。現に、ヘリパッドの建設に反対する人たちを排除するために、全国から警察官が派遣されてきましたが、その中の大阪府警の警官が「この土人が!」と叫んだことが報道されていました。
 部落出身者を「エタ」と呼ぶ人間の罪と、琉球の人を「土人」と呼ぶ人間の罪の根っこにあるのは同じものだということです。そして、これは地上のどのような人に対して差別語で呼ぶ日本人にも共通の罪だということを、覚えておきたいと思います。
 このような差別に対して、金城さんは、彫刻でも、言葉でも、差別からの解放に向けて「オガリ」をあげています。部落差別と共に琉球差別に対して、ヤマトの(日本の)人間に対して、「オガリ」をぶつけているんですね。
 ヤマトの人間は、自分たちが「オガリ」を向けられている方なんだという自覚が必要なのではないかと思います。米軍基地の負担を押し付け、自分たちの平和な暮らしを守るために、沖縄の人たちが犠牲になるのはやむを得ない、と思うなら、それは琉球に対する差別です。
 意図的に差別する気持ちが無かったとしても、社会の構造が差別になってしまっている場合があります。「構造的差別」といいます。問題に無関心で意識せずに暮らしているということは、この構造的差別を放置しているという意味で、構造的差別に加担しているわけです。
 この「意識しないままに、差別的な社会に参加してしまっている」という罪を、私たちは深く自覚しなければならないのではないでしょうか。

▼ナザレ差別

 さて、今日お読みした聖書の箇所は、イエスが出身地差別を受ける場面です。ナタナエルという人(後にイエスの弟子になる人ですけれども)が、イエスに出会う前から「ナザレから何か良いものがでようか」と発言します。これはナザレという土地に対する差別発言です。
 ナザレという村は、今は人口が6~7万人の都市ですけれども、それはイエスのお母さんのマリアに、天使ガブリエルがイエス誕生のお告げをしたことを記念して建てられた「受胎告知教会」と、お父さんを記念する「聖ヨセフ教会」ができたことから、経済的に発展したとも言えるでしょうね。
 イエスの時代には、ナザレは貧しい貧しい被差別部落でした。イエスはそこで石工、または木工の工芸人として働いていたようです。加えて、イエスの譬え話にはブドウ園の話が多いので、ブドウの収穫時の季節労働者もやって、生活をしていた可能性もあります。
 イエスは貧しさと同時に差別も受けながら、このナザレの村で育っていったわけです。
 ナザレは特にそうでしたが、このナザレを含むガリラヤ地方全体も、ユダヤ人の都があるエルサレムからは差別されていました。エルサレムの神殿には貴族がいて、その貴族は大抵、ガリラヤに土地を持つ大地主だったといいます。ガリラヤの農民は自分の土地を持たず、エルサレムの地主に年貢を納める小作人だったわけです。そのガリラヤの小作人たちを、エルサレムの貴族たちは、そういうところに生まれたということ自体が卑しい存在である証拠であるとして、ガリラヤ人を差別していましたし、そういうガリラヤ人差別の風潮が、エルサレム全体に広がっていました。

▼イエスのオガリ

 イエスの活動は、当初彼の地元のガリラヤ地方で行われていました。ガリラヤの農民や、これまた生き物の命をとって暮らしている生臭い仕事だと言われて差別されていたを漁師らと一緒に活動して(イエスの最初の弟子であったペトロたちは漁師でしたよね)いました。
 貧しい人たちに食事を提供する活動をしたり(5000人の人に食事を与えたという奇跡物語の根底には、そういう食事の提供の記憶が原点にあるでしょうし)、じゅうぶんな手当が受けられない病人をお世話したり(これも、数多い癒しの物語の根底を形作った記憶のもとになった活動ですよね)、エルサレムの大地主による搾取による貧困や、ローマ帝国の兵士にいつ襲われるかわからない(これは現在の米軍基地の多い沖縄とも共通する問題です)、そういう社会の閉塞感から心の病が多かった(つまり悪霊に取り憑かれたと思われるような人も多かった)、そういう人たちを癒して回る……。
 そういう活動をやっているうちに、次第にイエスはガリラヤでの対症療法をやっているのもいいが、問題の本拠地はエルサレムにあると踏んだのではないでしょうか。これは推測に過ぎませんが、なぜイエスはガリラヤでの3年以上の活動をやめて(もちろんガリラヤ地方に、彼の運動の後継者が育っていたかもしれませんが、それにしても)、突然エルサレムに向かったのか。それは、エルサレムに行かないと、我々ガリラヤの民の問題は解決しない。エルサレムに乗り込んで神殿など叩き壊して、3日で建て替えてみせる。神が自分に味方してくれるだろう、と信じて行ったのではないでしょうか。
 つまり、イエスのエルサレムへの上京は、彼の、ガリラヤの「解放へのオガリ」だったわけです。

▼オガリに応答してゆく

 その結果、どうなったか。
 イエスは神殿貴族の術中にはまって殺害されました。神殿貴族たちは汚い手を使いました。自分たちの手を汚さず、ローマ軍に抵抗する勢力のように見せかけて、ローマ軍に処刑させるという手を取ったわけですね。
 ローマにしてみれば、イエスのような小物をひねりつぶすのは赤子の手をひねるより楽な仕事でしたでしょうし、神殿貴族に対する反感を煽り立てるイエスを消すことによって、民衆の反感を高めることを恐れた。そして、騒ぎが起こると治安が悪くなることで、自分の統治能力の評価も下がるから、1人の犠牲で騒ぎが収まるなら、ローマ総督にとっても都合がいい。
 そういう支配者らのウィンウィンの取引で、抵抗者イエスはたやすく殺されていったわけです。差別者が、被差別者を殺した。イエスの十字架はそういう事件です。
 しかし、イエスの運動はそこで終わりませんでした。
 イエスの死んだ後、マグダラのマリアを中心とした女性たちをはじめとして、イエスの遺志を継ぐかたちでイエス運動は復活しました。もちろんペトロら男性の弟子たちも自分たちなりに自分たちの運動を再開しました。
 これもまた推測ですが、ひょっとしたらガリラヤに残された、イエスの後継者たちがいて、その人たちがイエスの活動を受け継いで展開していったかもしれません。なぜなら、福音書(特に最初の福音書であるマルコ)には、イエスの遺体が収められたはずだったお墓が空っぽであったことを発見したマグダラのマリアたちが、「ガリラヤに行けばあの方に会える」と告げられているからです。
 ガリラヤでの活動から、エルサレムへ乗り込んだこと、そしてイエスが殺されてもなお終わらず、いよいよ広がっていったイエスの運動。そうやってイエスの始めた「オガリ」のなかに、イエスが復活していたと考えることができるのではないでしょうか。
 私たちは、「オガリ」をぶつけられる方でしょうか。それとも「オガリ」に連帯するものでしょうか。
 部落解放祈りの日礼拝に、私たちはこのイエスの「解放へのオガリ」にいかに応答してゆくのかを問われていることを、思い起こしたいと思うのですが、いかがでしょうか。
 祈ります。


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