ジェノサイドのもとでの祈り
2024年3日3日(日)徳島北教会 世界祈祷日礼拝 説き明かし
申命記10章17−19節(旧約聖書・新共同訳 p.298、聖書協会共同訳 p.282)
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▼申命記10章17-19節
あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を偏り見ず、賄賂を取ることをせず、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった。(新共同訳)
▼世界祈祷日の始まり
おはようございます。今日の礼拝は世界祈祷日礼拝です。キリスト教の暦では毎年3月第1金曜日が世界祈祷日となっていて、今年は一昨日の3月1日がその日でした。これは世界のキリスト教会の女性グループがつながりあって行われていて、日本では日本キリスト教協議会(NCC)の女性委員会が窓口になっていますし、徳島では矯風会として参加していて、そこを通してIさんがその特別礼拝に参加してくださったんですね。ありがとうございます。そしてこの教会でも毎年世界祈祷日礼拝として、その主旨を覚えて礼拝を行うことにしています。
世界祈祷日とは何かというのは、実際に教会を代表して特別礼拝に参加してくださっているIさんに説明していただくのが一番良いのではないかと思いますので、お願いできますでしょうか?
……私からも説明させていただきますと、世界祈祷日の始まりは1887年ですから、137年前からの歴史があるんですね。日本の元号で言うと、明治時代から続いているということになります。アメリカのキリスト教女性グループから始まったそうです。
1880年代と言いますと、ちょっと調べましたら、1885年に日本では伊藤博文が初代の内閣総理大臣になっています。1889年には大日本帝国憲法が公布されている。そういう時代です。ですから、その時代から続けて来られていて、伝統があります。
最初の主旨としては女性、移民、抑圧されている人たちのことを覚えて、祈り、支援するために行われ、次第に世界の平和、世界の教会の一致のために、超教派で、つまり教派の違いを超えて行う運動になっているそうです。
1880年代の女性、移民と言いますと、激しい差別に遭っていて、人間以下の存在とされているような存在です。移民に関しては、現在でも激しい迫害や権利の侵害が行われていますよね。日本でも「移民」と呼ばれてはいませんけれども、技能実習生に対する扱いはひどいものがありますし、滞在許可を得られてない外国人が入管に収容されて、暴力を受けて殺されたり、仮放免になったとしても、生活する方法もなく、困窮しているという現実もありますよね。
ですから、世界祈祷日が始まったきっかけというのは、今日の我々の社会で、まだ解決できていない問題ですし、そこでの祈りは今の我々の社会を何とか変えることができないか、という願いと繋がっていると思うんですね。
▼パレスティナからの祈り
毎年行われる特別礼拝の式文は、各地持ち回りで、今年、2024年の式文を作ったのはパレスティナのクリスチャン女性グループです。パレスティナはイスラームが多数派ですけれども、少数派ながらキリスト教徒もいるんですね。その中の女性たちが今年の式文を作りました。
2024年がパレスティナの担当だというのは、もう何年も前に決まっていたんですよね。けれども、偶然今年度、去年の10月7日からハマス(またはハマース。ハマースの方が実際に近いとも聞きますけれども、地域によってどちらの発音も使われているという話もあります)がイスラエル国に対する武力による抵抗を行って、これをきっかけにしてイスラエル国がジェノサイド(大量殺戮)を始めてしまった。そういう状況になってしまいました。
このような状況の中で、今年の世界祈祷日の式文を作った、まさにその人たちが、ガザに住んでおられる方なのか、あるいはヨルダン川西岸地区に住んでおられる方なのかどうかは私にはわかりませんけれども、またその両方の地域に住んでおられる方々が手を組んで式文を作られたらも、私にはわかりませんけれども、もしガザに住んでおられたら、いま起こっている大量殺戮で、既に命を失った人もいるかもしれない。
大けがを負って、治療もままならないという状況に放り込まれているかもしれない。もし爆撃や砲撃、射撃から、今のところは逃れられていても、深刻な食糧難、水不足、病気のまん延など、たいへん追い込まれた状態になっていることは間違いないのではないか。
そういうことを覚えながら、パレスティナの人たちと一緒に世界平和を願う。そんな世界祈祷日になったんですね。
▼第2のホロコースト
私、最初、このイスラエル国とパレスティナの関係について、何も知らなかったとき、ユダヤとパレスティナというのは、ユダヤ教とイスラームで、同じ神を信じているはずなのに、どうして平和的に歩み寄ることができないんだろう、なんて思っていました。これを宗教的な対立のようにとらえていたんですね。
そして、イスラームが本来は平和主義的だということまでは知っていましたので、パレスティナで問題が起こっているのは、イスラームの中でも、一部の過激な人たちがテロを行っているから問題なのであって、これは難しい問題だなあなどと、呑気なことを考えていたりしていました。
こういう、イスラエル国とパレスティナが、それぞれに憎しみを燃やして対立しているとか、宗教間の対話とか、そういう問題ではないということを知り始めたのも、今回の10月以降のジェノサイドが起こって、あれこれ調べ始めてからです。「どうも、最初自分が考えていたのと違うぞ」と思うようになってきました。
今起こっていることは、ユダヤ人とパレスティナ人が対立しているというような、まるで両方の力が拮抗しているような状況でもないし、宗教の対立の問題でもありません。これは「第2のホロコースト」です。
ユダヤ人は、かつて第2次世界大戦の時に、ナチス・ドイツによって民族を絶滅させられかけました。けれども、いまはユダヤ人がパレスティナ人を絶滅させようとしている。そういう状況です。
それも、今回10月から始まった犯罪ではなくて、ずっと70年以上前から続いているイスラエル国の犯罪です。
▼首から下げた鍵
皆さんの手元にお配りしたコピーは、今年の世界祈祷日の式文の冊子の表紙です。式文を作ったパレスティナのクリスチャン女性グループから送られてきた絵です。3人のパレスティナ人女性が、たくさん実をつけたオリーブの木の下で、向かい合って花を手に取りながら、祈りを合わせています。
そこで真ん中の女性の首に鍵が下がっているのが見えますでしょうか。コピーだと見にくいかも知れませんが、金色の鍵のネックレスが首の前にかかっています。これは、パレスティナ人がイスラエル国によって受けた大きな災い(アラビア語で「ナクバ(大災厄)」と言います)のしるしです。
この「ナクバ」というのは、1948年に起こった、イスラエル入植者、そしてイスラエル国による、パレスティナ人に対する大量虐殺とレイプの嵐、そしてそれによって住んでいたところから追い出されて難民になった、その大災厄のことを指します。
1948年というのは、第二次世界大戦に勝った側の連合軍と国連が、ヨーロッパでホロコーストを生き延びたユダヤ人の難民をどこに置くかに困って、そしてユダヤ人の間にあった(決して全てのユダヤ人に支持されていたわけではないんですが)「シオニズム」(エルサレムの丘のことを「シオン」と言うんですが、そこに戻ってユダヤ人国家を作るべしという思想ですね。その「シオン」は我々のものだという「シオニズム」)という運動と結びついて、「パレスティナに『ユダヤ人によるユダヤ人のためのユダヤ人の国』を作ろう」と勝手に決めた年、それが1947年。その次の年に「ナクバ」が起こりました。
その時から、ユダヤ人の入植者がどっと押し寄せてきて、軍に護られながらパレスティナ人を殺し、レイプし、追い出し始めたわけです。
その時、多くのパレスティナ人は、この襲撃は一時的なもので、いつか戻ることができるだろうと考えて、家財道具の多くを家に残したままで、家の鍵を持って逃げたんだそうです。この絵の中のパレスティナ人女性が首から下げている鍵は、その時の鍵なんですね。
ですから、この鍵は「ナクバ」からずっと76年間続いているイスラエル国の占領、入植地の拡大によるパレスティナ人の追い出し、殺人による苦しみの象徴です。その苦しみを胸に抱きながら、鍵を首から下げながら、私たちは平和を祈りますよ、と意思表示しているのが、この世界祈祷日の絵です。
▼ジェノサイドと絶滅収容所
今、ガザという地域で、イスラエル国防軍によるパレスティナ人の大量虐殺(ジェノサイド)が起こっています。10月7日にハマースという抵抗組織が武力攻撃をしかけました。それは、最初はイスラエル国防軍の基地を狙ったものでしたけれども、民間人も殺したり、人質にしたりしています。ですから、これは戦争犯罪に当たります。
けれども、これに対する反撃という名目でイスラエル国防軍が行い始めた攻撃は、ガザの一般人を徹底的に殺しつくそうとする、残忍極まりない大量殺人になっています。10月7日のハマースの攻撃など、子どもが石を投げた程度のことにしか思えないほど、イスラエル国は大規模な攻撃を続けている。これはジェノサイドであり、民族浄化です。
そもそもガザは、2007年から17年間、コンクリートの高い壁やフェンスで完全封鎖されています。物資の行き来が極端に制限されているために、中に住んでいる人たちの6割以上が満足に食事も摂れない状況にあるらしい。8割以上の人が国連などの配給によって何とか食いつないでいるそうです。
それから、電気の供給も制限されているために、少し前までは下水処理場も動いていなかったそうです。それで海が汚染されて、それでも冷房も無いからあまりに暑くて、人びとが海で涼もうとする。そうすると病気になる人が相次ぐという状況で、さすがにイスラエル国も海があまりに汚染されるので、下水処理場を動かす電力だけは供給するようになったそうです。
病院も電気や燃料が足りないですから、救急車の出動も制限されるし、もちろん薬品も足りないので、満足な医療を提供することはできません。
そんなガザのことを、これまで「世界最大の野外監獄」という人がたくさんいました。でも、今ガザは、実態としては「絶滅収容所」なんだと言う人もいます。
実際、今回イスラエル国防軍はガザの一般市民の住んでいるところも徹底的に破壊し尽くすだけでなく、病院も国連の施設も、ハマースが隠れているからという理由をつけて、爆撃しています。その結果、一般市民が何万人も殺されています。その中のたくさんの子どもも含まれていて、私も子どもが瓦礫に押しつぶされているところ、体が引きちぎられて転がっている様子を写した写真をたくさん見ました。
イスラエル国は、南北に細長いガザの住民に対して、「命が助かりたかったら、南部に逃げろ」と通告しました。そして今、その南部への爆撃を行っています。「皆殺し」、それがイスラエル国の目的です。
▼約束の土地を信じているが、神は信じていない
今日お読みした聖書の箇所をもう一度読みたいと思います。
「あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を偏り見ず、賄賂を取ることをせず、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった。」(申命記10章17-19節)
これはイスラエル民族に対して、「あなたがたもエジプトで寄留の外国人として、そして奴隷として苦しんだのだから、今は寄留者を大切にしなさい。公正な社会を作り、孤児や一人暮らしの人の権利を守りなさいよ」と教えている言葉です。
「自分たちが苦しい目に遭ったことを忘れないということは、同じように苦しい人を愛することですよ」と言っているわけです。これが本来のユダヤ教の教えです。聖書にそう書かれていますから。
したがって、「シオニズムはユダヤ教ではない、シオニストはユダヤ人ではない」と言うユダヤ人もいますし、先日もアメリカで、ガザへの攻撃に反対するユダヤ人の大規模なデモがありました。
シオニストのことを批判したジョークにこういうものがあるそうです。
「シオニストは、神の存在は信じていないが、『パレスチナは、神がユダヤ人に与えた約束の土地である』ということは信じている」(岡真理『ガザとは何か』大和書房、2023、p.51)
シオニスト、そしてシオニストの国である今のイスラエル国は、「ここは神が与えた約束の土地だ」ということは信じているが、神は信じていない。したがって、あいつらは本物のユダヤ人、ユダヤ教徒ではない、聖書に従ってはいない、と考えているユダヤ人が世界にはたくさんいるということです。
▼ジェノサイドのもとの世界祈祷日
シオニストによって作られているイスラエル国が、パレスティナ人を人間ではなく、ただの動物と見なしていることは明らかです。実際、イスラエル国の人間が「彼らは人間ではない、アニマルだ」と、落ち着き払った態度と口調で当たり前のように言っている海外のニュース映像を見たことがあります。そういう映像は普通のテレビ局ではたぶん放映していないと思います。
そういう実態を前にして、私たちは今日の聖書の箇所に示された方向性をどう捉えて、どう実体化していくのか、それが聖書に立つ者であるならば、問われているのではないかと思います。
もちろん、パレスティナを皆殺しにしようとしているイスラエル国を支えている勢力は大きいです。最大の支援を行っているのはアメリカですし、アメリカにはイスラエル国を支持する福音派のクリスチャンもたくさんいます。日本のマスコミもパレスティナの側に立ったり、ジェノサイドを批判するような報道は少ないです。どっちかというと「憎しみの連鎖」「暴力の連鎖」「宗教対立」……そんな捉え方をしているものが多いです。
このような大きな流れを変えてゆくのは大変難しい。このような状況のもとで、私たちは祈りをささげようとしているのです。それが今日の世界祈祷日の礼拝です。
▼祈りとは
世界祈祷日は祈りの日です。
祈りを献げることにどんな意味があるのか。祈るだけで何になるのか。祈ったからといって、何が変わるのか。そんな疑問や虚しさが心を覆う時があります。祈りにどんな力があるねん、と。
しかし、私たちは祈りによらなければ、最低限の小さなことにも、手をつけることはできないのではないでしょうか。
祈ることによって初めて、自分は神さまと関わりを持っていることを改めて知ることができ、祈ることによって初めて、恐れや怠惰から一歩踏み出すきっかけを与えられるのではないでしょうか。
もちろん、祈っても、そんな力がなかなかわかないんだという人もいるかもしれません。しかし、それでも、少なくとも祈っているという行為そのものが、神さまを通じて、いま苦しんでいる人たちと連帯しようという気持ちの証しとなるのではないでしょうか。その気持ちを、神さまは許して、受け入れてくださるのではないでしょうか。
今日はこの説き明かしのあと、私がいつものように祈りをささげますが、そのあと、1分間の沈黙の時を持ちたいと思いますので、その時、ジェノサイドで亡くなってゆく人たちの魂のために、泣き叫んでいる人たちのために、またすべての人間の争いのために傷つけられてゆくパレスティナの人たちのために、皆さんおひとりおひとりの心の中で、神さまに祈りをささげていただけたらと思うのですが、よろしいでしょうか。
では、まずは私から祈ります。
▼祈り
私たちひとりひとりに命を与えてくださった、愛の源である神さま。
今日、私たちが目覚めることを許され、あなたに与えられた命をこうして生きることができますことを感謝いたします。
しかし、神さま、この与えられた命を、十分に生ききることのできない人が、この地球上にはたくさんおられます。とりわけ、多くの子どもたちの命が、残酷な形で奪われていることに、私たちは心から悲しんでいます。
強制的にこの世での生を奪われてしまった方々の命を、あなたが慈しんでくださいますように、お願いをいたします。
どうかこのジェノサイドを停める勇気と知恵と、あなたを畏れる心を、世の為政者たちに与えてください。
また、私たちにできることをお示しください。私たちがほんの一歩でも1ミリでも、自分たちにもできることをなす、その力をお与えください。
この世で起こっている全ての惨劇は、皆あなたの愛への裏切り、罪であると自覚させてください。どうか私たちをお赦しください。そして悔い改めに導いてください。
この祈りを、2024年のレントと世界祈祷日に寄せて、ここにおられる全ての心にある祈りと合わせて、イエス・キリストのお名前によって、お聴きください。
アーメン。
では、皆様、沈黙のうちに、心の中で、平和のためにお祈りください。
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