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メタバース選民思想2

いちょは面白そうなネタ記事を見つけたので、NOTEを書いてみる。


めたばーすせんみんしそーつぅ!

メタバース選民思想とやらが流行っているらしいw
「メタバースは現実世界の一般的な遊びとは違う高尚なもの」という考え方に基づいて、思想を拡張することで正当性が持てるかどうか考察してみる。
例のNOTEと一緒に読むと楽しいよw

スポーツとの共通点

 発祥時期に上流市民の遊びであった事は明確な共通点だろう。
事実、メタバース黎明期に高性能PCとVR環境を揃えると、結構なコストが掛かり、上流市民の遊びと言える。メタバースエリート(笑)が自身を優れていると考えるのは、古参の誇りである可能性があり、貴族の社交遊びとして行われてきたゴルフは、発症の地であるスコットランド団体が大会の日本人参加を拒んだ記録があるなど、遊びの時代では古参を優遇する態度を取っているようだ。ウェイトリフティングにおいても、ヨーロッパ団体がアジア大会を認めないなど、古参に絞って活動していた。
 誇りを守る為に戦うのは古代から人間の幸せであり、持ち物が武器からパソコンに変わっただけである。
人間として間違った挙動はしていないのである。
※それと、上流市民はそもそも優れているw

初心者向け活動の効果が薄い

 多分そんな事は無い。
そもそもメタバース人口の増加は少ない為、初心者案内人さんが高確率で初心者を沼に沈めている。過去の積み重ねを考えるとその効果は計り知れない。
 私のVRCフレンド300人の内、誰かの案内を受けずに始めたフレンドは2割程度と思われる。(数えてみると、不確定を除き40人程であった。)

選民思想と優性思想

 どこぞのアー〇ア人によれば、優れていない者は淘汰される。これは実質的な選民思想であり、メタバースの洗礼に耐えられないノンケと中間知能層はメタバースに適応できない為優れていない!wwwアー〇ア人が作ったと言われる〇ースト制度をメタバースに導入すれば、さらに選民は進むだろう。( ´∀` ) これはスーパーVR選民思想w

勘違い起源

自己批判と勘違いの関係は人それぞれ。
私には、ごっこ遊びの履き違えに見える。

数値は力

 ぶいちゃ民のいいね稼ぎは、承認欲求に駆られるJKと何ら変わりない。大人をJKと同じにしてしまうメタバースは恐ろしい。メタバースが人間をダメにするのか、メタバースがダメな人間を集めるのかは謎である。

嫌儲思想

『簡単に初心者が「プロっぽいことが出来る」環境こそが危険である。』について。組み合わせるだけならプロも同じと言える。より質の良い素材を使い、そこにセンスや技術が加わるとプロの仕事になる。例え初心者に技術が無くとも、センスがあれば情報が簡単に手に入るこの時代。技術の差は殆ど目立たないのだ。

メンヘラ説

いやぁ~wこれはメンヘラの一言に尽きるw
「考える」事が出来る人の方が少数派。
多数に淘汰されるのは自分だったw

総括の総括

VRCのロールプレイ文化が勘違いヲタクを生んでしまったのかもしれない…
流石に「メタバースは現実世界の一般的な遊びとは違う高尚なもの」を補強するのは難しかった。人間はもっと進化しなければ、対立する事を避けられない。
残念なメタバースに乾杯🍻

筆者 : いちょう

「メタバース選民思想」とは何か

りくお/ITeCo

2024年8月22日 22:0


「メタバース選民思想」の出発点

まず、メタバースで活動していることは何ら世間的に有効になったり
決して認められるとは言えない状況である。
確かに現実世界への捉え方の認知変化は大なり小なりあるとしても
それは世間的には単なるゲーム知識と同等価値しか持たない。
Blenderを得意としても3D建築の作成方法を技能として挙げても
世間では「天穂のサクナヒメ」で遊んで米の育て方を技能として挙げるのと
相違は無いだろう。
BLenderを元に現実世界の家が建てられることは決して無い時点で
技能として無意味なのである。
つまり、仮想世界の知識は何ら現実世界で有効な資格ではなく、
現実によく似たゲームの知識と同等価値である。
残念ながら、それは我らメタバースのクリエイターやパフォーマーも
多分に漏れず(歌・踊り・KAWAIIムーブなど)
我々はメタバースの土台を抜かれてしまえば
現実世界の歌手やダンサーとは対等に戦うことができない。
前提条件として「メタバースで活動中の」といった但し書きが必要であり
それでもなお、現実世界の本業らとは価値の格差がある。
もちろんクリエイターやパフォーマーの中にも、この状況を打破するために
現実世界での仮想空間の比重を上げるために活動する人らは知っているし、そういった活動は最初から応援する立場である。
だが、昨今のスタンミさんの登場によって
初心者が大幅に増加した事象を前提にすると
なぜ我々だけでそういった現実世界へ向けての
価値の転換を含んだ爆発を起こせなかったのかは
大いに検討すべきである。
今までの初心者向けと看板を背負ったクリエイターやパフォーマンス、
そしてイベント全ての啓蒙活動とするならば「啓蒙活動は無駄じゃない」
という盲目的な主張は認められるだろうか?
なぜ今まで多くの人員が初心者向け活動をしたのにも関わらず
我々だけで起爆剤を作れなかったのか。を反省せず
盲目的に活動を続けることへの批判を出発点に
「メタバース選民思想」の存在を思案した。
どこかでメタバースは現実世界の一般的な遊びとは違う高尚なものだ
といった選民思想こそが、起爆剤を作れないまま自己批判が出来ない要因に繋がっているのではないかと私は考えている。


仮説③ フォローないし登録の数、          Visitの数が出やすいから=数値は力説

ほとんどのVRChat民はXなどの
SNSアカウントを持っているという前提に注目したい。
けれどもインプレッション稼ぎに邁進する現状と
紐ビキニおはようツイートを見て
いいねされることを影響力と呼べるのだろうか。
こうした(よくある)努力の末、フォロワーといいね数の増加と
自分自身の実力を勘違いすることが数値は力説である。
これはワールドの訪れた数が
明確にビジット数として出ることも同義だ。
ジャパンシュラインというワールド名に騙された
経験が多いVRChat民においては
「初心者パーティ」やら「JAPAN 大集会所」
「紐ビキニアバター展覧会場」
とワールドを名付けて、ミラーの一つでも
置いておけば、ある程度人は来るだろう。
こうした数値の見える化と、数値のあげやすさ
の抜け道がひしめいているという背景を忘れ
自己の影響力を見誤るから
選民思想が生まれやすいのではないかと考える
まず数値が多い=インフルエンサーとするのは
いささか私は疑問である。
これは私の矜持ではあるが、
いかにフォロワーが多くとも実体が届かなくば
影響力はないに等しい。
Syamuゲームのフォロワー数は多いが
彼には影響力があるインフルエンサーと言えるだろうか?
何かの活動を行う一つの指標に数値を前に持っていきやすいことが
あぐらをかきやすい環境要因なのではないだろうか。
「おはつい」ってなんすか。それやってフォロワー増えたとか
いいね増えたとかキショイわ。センス伴ってねえし。
そういう抜け道だらけなのに、自分のセンスは人気感だすなよ。
ワールドの名前付けも結構すごい狙いに行ってるのあるよね。
Syamuゲームとかネットのオモチャなのに影響力あるっていえんの?
言えるんやったら紐ビキニ来ておはよ~~とか言ってろよ、
おれ、そういう奴らネットのオモチャとかしか思わないから。


仮説⑥ 先人たちの知識をたどりやすいから =嫌儲起源説

嫌儲とはざっくり言えばインターネットの知識は
儲けるために使わられることを嫌うことである。
ウィキペディアなどが好例の文化であるが
こうしたネット特有の事象はVRChatでの無料ギミック配布などで見出せる。
そこに料金を発生させるか否かの議論は置いておいて
簡単に初心者が「プロっぽいことが出来る」環境こそが危険である。
Unityの無料アセットや、ブースのアセットを大量に積み込めば、
質の高いワールドが少ない労力で作れてしまう。
ほとんどネット知識(VRChatで拾った知識)でプロのような動きが
簡単に出来てしまうのが勘違いの原因なのではないかというのが
というのが嫌儲起源説である。
例えば私自身、テレビスタジオを作るためにカメラギミックを
制作してみたが、自身がギミック屋と名乗る気はない。
けれども私自身をよく知らない人物が、そのワールドに来れば
きっと私をギミックが組める人と勘違いするだろう。
この間違いはVRChatのギミックとモデルの多くが実質無料で
ネットに広く転がっているのが原因と考えている。
また無料配布の商品の多くが無料の理由はVRChatで使うと
銘打っているからだと考えている。
私自身VRChatのクリエイターがVRChat向けの商品を
VRChatだけで売るといった動きにも疑問を持っていて
そうしたガラパゴス的な発展は国内文化で完結してしまう。
せっかくその技能があるならばインディーゲームなどへ
売りこめた可能性があり、外の界隈への多くの輸出産業として
爆発の起点になった未来を私は想像してしまう。
なぜかVRChatって調べれば無料のアセット多いよね。
それ合体させただけでクリエイターって名乗れるってマジ?
まあ傍から見れば違いが分かんないから、それはそうなんだけど、
(実際に俺がカメラギミック作ったらギミック屋と思われるだろう)
やっぱりそれは自分でちゃんと自覚してないと厳しいよね。
で、そのギミックの話でいえばVRChat村の商品の無料の理由って
VRChat向けしてるから起きていることだと思う。
この中で出回るとガラパゴス的にしか自分らでしか発展しないのよ。
インディーゲーム向けとかの商品も作っていったら(フォートナとか)
ワンちゃん爆発を起こせたかもしれないのにね。
(仮説募集中)


最終仮説 自己批判が稚拙だから=メンヘラ説

これは全部VRChat民が総じてメンヘラとは言えないとは考えているが 
あえてメンヘラであることを最終仮説として挙げたい。
ここまでの論は筆者の私は、あったかもしれない未来の否定というべき
自己批判の運動をしているのだがこれはメンヘラ的な自傷行為の文では
ないと考えている。
あえて、ケースにこの文章自体がメタバース選民思想の現れであると
例に出したが、そういった自傷行為的な感触は無かったのではないだろうか
まず最初にこの文章自体がそうした自傷行為を辞め、自己批判をすることを
目指す目的があって書いたことを記したい。
その一方で稀に上がるVRChat文化への批判の大半が
特定の個人や団体に向けた告発文のお気持ち表明だけであることを見ると
ここは自己批判が下手な界隈なのだろうと考えざるを得ない。
そうした自分自身と周囲への生ぬるい優しさ、
自己批判の欠如が蔓延しているから
メタバース選民思想を助長しているのではないだろうか。
自分の努力できる部分に対しての自己反省をせず
のうのうと過ごし、果てはスタンミさんの投稿に逐一
張り付く乞食の姿を見るとまるで餌を待つ雛鳥のようであるとも感じる。
もしメタバースを世に広めたいと考えているのにも関わらず
現状の体制を享受するメンヘラ的姿勢を崩さず、ごっこ遊びを
続けるのであれば、永遠にメタバース選民思想が消えることは無いだろう
界隈でいうと有名な自分自身の反省文ってあるの?
批判!とか銘打たれた長文お気持ち表明しかねえじゃんか。
そういう反省しないで、有名配信者にタカるってもう赤ちゃんやん(笑)
「有名人とのコラボが急に振ってこないかなぁ」ってずっと待っとけ。
そういう待ちの姿勢を辞めないと(というか辞めさせないと)
まずメタバース選民思想は無くならないと思う。


総括 ごっこ遊び≠ホンモノの壁

我々のメタバース文化は所詮ごっこ遊びの延長でしかないのだろうか?
メタバース選民思想を振り返ると、自己催眠をかけたごっこ遊びである。
仲間ごっこやクリエイターごっこ、有名人ごっこ、美少女ごっこと
一概に括ってしまえば、全ての活動は無意味なごっこ遊びに思える。
現状の「メタバースで活動する」ことは
「ゴーグルを被ってごっこ遊びをしてる」ということである
という論に明確な反論が私自身には出せない。
ゴーグルを外せば、現実で自分と似た活動をする活動家は
星の数ほどいて、それもほとんど自分のスキルを上回る。
メタバースの人との出会いは本物という意見が出るのも予見するが
そこに一体何の意味があるのだろうか。
現実で人と知り合うことの方が情報の密度はあるのではないだろうか。
勝手に仮想空間の出会いを美化し価値のあるもので、
現実の出会いよりも素晴らしいとと捏造する意味を私は問いたい。
私はそうした楽観的主義、というメタバース選民思想という
ごっこ遊びの理論が、真の意味での無意味になる地点、
現実のプロたちがメタバースに大量に移住を始め
先人たちの歴史が無かったことになること を恐れている。
ごっこ遊びだって言われたら言い返せないよね。
どうせ出会いや体験は本物!とかいうやつ多いけど
勝手に思い出補正していくのももうしんどいと思うんだよね。
厳しい話、現実の出会いよりは下でしょ、上ではないと思うよ。
もう夢見てる時間は終わったんだよ。
このまま、ごっこ遊びしてたら、現実からプロが来てボコボコにやられる。
アイドルとか来てみ?有名ゲームエンジニアとか、アーティストが来てみ?
どれくらい生き残れるのかな。
もしそうなったら、たぶん今までの活動が本当に無意味なると思う。
おれはそうやって歴史が蹂躙されていくのが一番怖い。

https://note.com/ample_chimp1712/n/nc124a70ec4fb


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