プロセスと結果

結果の垂れ流し。

勝手に作ってみた造語ではあるが、物事のうまくいかなかった結果だけを見て、その結果の中から帰納的に考察し、またうまくいかない結果が垂れ流されていくという負のループが相当数存在しているように感じる。

例えば、緊急事態宣言は密を回避して接触回数を低減することによる感染防止が最大の目的である。①感染者数を抑制するために、国民が密になる状況を防ぐべく、②緊急事態宣言発令による飲食店や遊興施設での物理接触を避けるという構図になっている。その結果、③1回目と2回目はある程度の効果が得られたものの、③'3回目以降は明確な効果が見えにくい、という結果となった。この構図の中でPDCAが回っているため、対策も飲食店への締め出しなどチープなものになっており、完全にシングルループの対策になってしまっている。これは負のループに陥るだけで、政府側はやったという言い訳を作る以上のものにはなりにくい構図なのかもしれない。

一方で、では一回目の緊急事態宣言はなぜある程度機能したのか。①をしたから③の結果を得たことは確かではあるが、それは②とは別の要因だった可能性もあるということである。初期の頃は、コロナという未知の病に対して、情報なども乏しい中で、罹患すると自分も死ぬかもしれない、高齢者にうつして殺してしまうかもしれない、罹患によるコロナ差別を受けるかもしれない、という明確な恐怖があった。だから、②'緊急事態宣言は国民の恐怖心や罪悪感を増幅し主体的な行動変容へ寄与することで、③効果が得られたと解釈できるかもしれない。そうであれば、ストレスが恐怖や罪悪感を上回ったり、情報が増えてそもそもの恐怖が薄れてきたような場合には、③’のような結果になりうることもある。要は、初期仮説が成り立ったのか、別の要因があったのかを、人々の行動プロセスを観察・検証することで正しく解釈をして、施策の前提条件を常に見直すというダブルループ学習が必ず必要となってくる。そして、その結果に至ったプロセスを具体的に掘り下げていくことが極めて重要である。

しかしながら、最近企業研究をしていても思うことだが、このダブルループでの学習を促すことが特に難しく感じる。それは一つは受験システムにあると感じる。答えのある問題に対しての解法というのは、概ね定まっているため、試行錯誤ではなく暗記でも対応できてしまう部分がある。そうなると、自身の思考プロセスの誤りを検証したりしなくても、とにかく暗記量を増やすというPDCAで対処できてしまうため、シングルループを頑張れば出来てしまうケースがある。さらにもう一つの要因として、情報社会の到来により、答えと思われる情報が山のようにインターネット上に転がっている。だから、プロセスをすっ飛ばしてうまく言った事例などを探してきて当てはめるようなことも容易にできてしまう。ただ、うまく言った事例は、その背景に何等かの前提条件がある訳だから、そのままトレースできる訳でもなく、失敗する。ただ、そこで要因を解析せず、他の事例を検索してきて、また試してしまう。こういうケースが非常に多くなってきているように感じる。

シングルループに陥った状態で、忙しくなったり余裕がなくなると、とにかくループを早く回すことに意識が囚われて、それが度を超すと心身に不調を及ぼすケースも出てくるし、実際に自分も経験したことはある。ブラック企業と言われている会社の中には、物理的・肉体的な頑張りでシングルループを早く回すことに集中しているケースもあるように感じる。その場合、経営者の人格がブラックなのではなく、ただ無知でやり方が知らないだけというケースもあるように思う。これは経営以外に、チーム運営でも政治でも教育でも同じようなケースはあると感じる。

世の中には解がない問題が溢れている。それをまずは理解して、その問題に対して仮説を立て、試行錯誤し、時には前提を見直すダブルループ学習を回していく。そういったことが、本来教育で教えられるべきことだと切に感じる。そのような思考を養う教育が、人生や人間関係を豊かにし、社会貢献を楽しむ人を増やすことにも繋がると思う。そんなことを感じつつ、日々研究者との対話の中で、ややもするとシングルループに陥るメンバーに質問を投げかけ、前提を再確認させる。時には上司にも疑問を投げかけたりフィードバックを行ってみる。一言でいうとコーチングを活用しているということにはなるのだが、社会や組織を変えるのも、一日一日の小さな問いの積み重ね以外にはないだろうと思い、日々粘り強く問いかけていく。そうすると、たまにご褒美のように、周囲のメンバーの成長した姿を見ることができるから、また頑張ろうと思えるようになってくる。こんなループを回し続けられるとよいなと思う。


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