問い

あなたは問いに向き合っていますか?

思考がネガティブ寄りになっている期間は、amazarashiの曲を聞いていることが多い(ちなみに割合としてはネガティブが9割、ポジティブが1割くらいだろうか)。憂鬱な時には憂鬱な曲を聴いていた方が圧倒的に落ち着く。20代~30代前半は、そういう時こそ元気な曲を流して無理やり自分を奮い立たせていたのだが、大抵反動が来て、一時的に回復してもその後により深く落ち込む。ということで、落ちている時はその時しかできないことを楽しむようにした。無心で散歩しながら時間をつぶしたり、読書に勤しんだり、絵を描いたり、詩を思いつくのも大概が落ちている時だし、noteの記事を書く時もそっち寄りの時が多い(ただ、記事が書けるくらいには元気がある状態だからどん底ではない)。

amazarashiの『未来になれなかったあの夜に』はPVに横浜流星が出ていたり結構豪華な仕上がりになっている。この曲の1フレーズが個人的には気に入っている。

「ただ一つだけ言えること僕は 僕に問うこと諦めなかった」

これはかなり自分自身の人生に当てはまると思う。幼少期から何事につけても思い悩むことが多く、だいたいが人間関係に対する問いか、根源的な問いが頭の中にあった。小学生くらいの時は、問いが重くなりすぎるとお腹が痛くなったり気分が悪くなって学校に行けない日も結構あったので、ひたすらファミコンしたり漫画を読み続けることで気を紛らわせていたように思う。中学~大学の時は部活で疲れ切って寝てしまうことで思考しないでよい状態がうまく作れていた気もするが、退屈な授業中や塾の時間、大学の講義中などは、生きている意味とか、将来どうなるんだろうとか、この勉強に何の意味があるのかとか考えていた気がする。社会人になってからは、自分がプレーヤーとして働いている時は、研究開発という職業柄、仮説を立てて実験するというところで建設的な問いを立てながら仕事していた時もあったかなとは思う。ただ、結婚生活やマネージャーになってからの仕事は、人間関係に対する問いと共に、また根源的な問いを色々と考えることも増えてきた。

こういう時期にコーチングを受講したので、良くも悪くも問う力は格段に向上した。セッション練習や部下との面談などで集中している時、相手のために直感で思いついた質問を投げかけるのだが、セッション後は自分で思いついた問いがブーメランのように自分に返ってくる。「自分自身だったらどう答えるのか?」なまじ鋭い質問を放った時は、自分の問いに自分で悩むことになる。これも自己基盤の鍛錬にはなっているのだろうが、楽しくも苦しい時間となる。

最近では、どんな問いにも向き合うことはできているし、それによって苛立ったり、お腹が痛くなったり、気分が悪くなったりして、問いを回避することもないので、まぁ精神的には成長したんだろうとは実感している。ただ、向き合うことと行動に移せるかはまた別問題なので、まだまだ課題もたくさん残っている。

人は言葉で出来ているとよく言われる。その言葉を紡ぎ出すための栄養が、良質な質問なのかもしれない。これからも自分自身に問い続けていきたいと思う。

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