ナショナリズム

ナショナリズムとは何だろうか?

ロシアとウクライナの戦争でも思ったことであるが、ナショナリズムという言葉を解釈することは本当に難しいように思う。歴史を元に起源やアイデンティティーを形成するわけだが、その歴史自体がその時々の勝者の視点で描かれていたり、敢えて神格化するような内容で描かれていると、客観性が損なわれていき、正しい解釈も出来なくなる。一方で、事実とは異なったとしても、その物語自体をマジョリティーが共有することができれば、その時代に生きている人々にとっては、それが真実になってしまうことも確かだ。

そんなことを、島村一平氏の著書『憑依と抵抗 現代モンゴルにおける宗教とナショナリズム』を読んで思った。本著では、社会主義の崩壊~2010年代までの著者のフィールドワークを元に、伝統、宗教、流行などが紐づけられながら、考察が進んでいく。首都ウランバートル及びそこに住む人々が、西洋化と共に急速に変容する姿も描かれており、モンゴルのイメージが随分更新されたように思う。相撲はたまに見てたので、朝青龍のニュース等からモンゴルも発展していることは理解はしていた。なので、さすがに『スーホの白い馬』ほどの古いイメージでは無かったものの、シャーマンが増えたり、ヒップホップが流行ったりという知らないことも色々と出てきた。

また社会主義下の中、宗教などと共に、チンギスハンを英雄視することも抑圧され、この100年程の間に、著書の中でも様々な記載がされていることも分かった。歴史的にチンギスハンが行ったことは理解していたが、何故国のルーツになりうるのかという背景も理解できたし、だからこそ時々の情勢下で内容が編纂されることも理解はできた。歴史の解釈というものも本当に難しいものだ。

どうやら現在、大阪万博公園の国立民族学博物館で、著者が実行委員長となって特別展を開催しているらしい。都合をつけられたら、見に行ってみても良いかなと思った。しかし、こういった本を読むと、改めて時代の変化の速さを感じる。このような変化が、世界の200か国近いところで起こっているとしたら、やはりカオスな世の中になっても当然だろうと感じる。知れば知るほど難しさは感じるが、だからこそ融合の可能性も見えてくるのだろうし、引き続き世界を理解していければと思う。

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