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読書サロンにて『百合小説コレクションwiz』を読む(冒頭部公開)

※こちらは、2023年11月11日開催の「文学フリマ東京37」にて初頒布する『読書サロン発、百合コレクション2023』のメイン記事、『百合小説コレクションwiz』(河出文庫)読書会レポート冒頭を試し読みとして公開するものです。「ネタバレ上等!」で語り合っておりますので、閲覧時、ご留意ください。

二〇二三年・夏、読書サロン、
最先端の百合文芸に挑む

ティーヌ 
「読書サロン」主宰のティーヌと申します。今回の課題本は、河出文庫から今年の二月に刊行された百合小説アンソロジー『百合小説コレクション wiz』です。
「読書サロン」は、セクシュアルマイノリティが登場する小説を読む会なのですが、百合は近年、当会としても注目しているジャンルで、BLとともに年に一冊は読んで、追いかけていくことにしています。その年に読む十一冊を決定する一月の段階では、まだこの本は刊行されていなかったのですが(二〇二三年二月刊)、この作品集が最先端の百合文芸作品集ということになるのであろうということで課題本にいたしました。アンソロジーを課題作にするのは初めてですかね?
益岡和朗(以下、益岡) 
二〇一五年に岸本佐知子さん編訳の『変愛小説集』シリーズ(集英社)を取り上げたのが最後じゃないかと思うので、だいぶ久しぶりですね。
ティーヌ 
今回は、この読書会の様子を益岡さんが発行している同人誌の一冊として刊行するということで……
益岡 
はい。僕のつくっている《ますく堂なまけもの叢書》は「古書ますく堂」という古本屋さんで実施した読書会や座談会のレポートをメインとした文芸同人誌なのですが、百合ジャンルに関する号を何冊か出しておりまして、第六号として刊行した『平成の終わりに百合を読む 百合SFは吉屋信子の夢を見るか?』では「SFマガジン 百合特集」(早川書房)の読書会レポートとともに、読書サロンで開催された吉屋信子『屋根裏の二處女』(国書刊行会)読書会の様子を収録しています。また、同じく読書サロンで実施した矢部嵩『〔少女庭国〕』の読書会──この本は早川書房の「百合SFフェア」の一冊として復刊されたものですが──についても特別版の『読書サロンにて、矢部嵩『〔少女庭国〕』を読む』として刊行しています。
今回の読書会も、弊誌が追いかけてきた「百合」テーマの一冊として、先の二冊の続篇のような位置づけで刊行したいと思っております。よろしくお願いいたします。
ティーヌ 
今回の課題本は書き下ろしアンソロジーという形式になるかと思うのですが、このうちの二つは公募で選ばれているんですよね?
益岡 
そうですね。「pixiv」というインターネットで絵や文章を公開するコミュニケーションサービスで展開されている「百合文芸コンテスト」というイベントがあり、これには、いくつかの商業媒体が後援に入っているというか、審査に携わっている。それぞれの媒体が賞を出していて、それを受賞すると商業媒体で作品が発表できるという仕組みです。河出書房新社は二〇二二年の第四回の審査に加わっており、今回はじめて受賞作が活字になったということになります。
募集の段階ではどういう形で発表されるのかは決まっていなかったんじゃないかと思いますが、この「文庫書き下ろしアンソロジー」という形式は、河出文庫では大森望さんが手がけている《NOVA》というSFアンソロジーが長く続いていて、ノウハウもあるし、読者の手に届きやすい形式なのではないかということで選ばれたものと思われます。
受賞作以外の顔ぶれとしては、結構面白いというか……以前弊誌でも取り上げた早川書房の百合SFフェア書目に入っておられた方や、SFマガジンの百合特集第二弾「百合特集2021」に招聘された方もおられますけれど、個人的には、この読書会で読んできた「百合」のイメージからするとだいぶ違った顔ぶれが揃っているという印象を受けました。
ティーヌ 
私はいわゆる「商業百合」はあまり読んでいない自覚がありますが、深緑野分さんと宮木あや子さんは存じておりますし、愛読もしております。
益岡 
そういう意味では、「商業百合」に対して違和感を表明することが多かったこの読書会も今回は違った展開になるのではないかと期待しているのですが(笑)、《なまけもの叢書》としても百合関連書目を展開していく中で、いわゆる「百合界隈」での御縁を得た方々がおられまして、今回はその中から、青島もうじきさんにリモートにてご参加いただいています。青島さんは、《汽水域観測船》という文芸サークルのメンバーで『平成の終わりに百合を読む』を刊行した際、それをテキストにして読書会を開催し、ネット配信して下さった大変ありがたい方です(笑)
また、青島さんはハヤカワ文庫の『異常論文』に掲載された短篇小説「空間把握能力の欠如による次元拡張レウム語の再解釈およびその完全な言語的対称性」で商業デビューされたSF作家でもあり、百合小説の実作者でもあります。
青島もうじき(以下、青島) 
青島もうじきと申します。只今益岡さんからご紹介いただいたとおりSF作家をやっておりまして、商業出版としては、SFマガジン特集号の収録作品を中心に文庫化した『異常論文』と『零合 百合総合文芸誌』(零合舎)に作品を発表しています(「ドロステの渚にて」)。
《汽水域観測船》の活動としては、百合小説アンソロジーを刊行しておりまして、そのうちの一冊、『時間百合SFアンソロジー』には益岡さんにも寄稿いただいています。
益岡 
素敵な御本に参加できてとても嬉しかったです。今、読書会会場ではその『時間百合SFアンソロジー』と、その前に刊行された『いなくなった相手の煙草を戯れに吸ってみる百合アンソロジー』を参加者の皆さまにご覧いただいています。
駄々猫 
これ、面白いですね。欲しい!
益岡 
どちらも素敵な本なので、品切れなのが残念です。特に、この「煙草百合」は、テーマの選定がすごくニッチで面白いですよね。
青島 
ありがとうございます。その本はものすごく限定されたシチュエーションを設定して百合小説を書いてもらったらどうなるか、という試みでした。
益岡 
百合ジャンルは商業よりもアマチュアというか、同人の世界で大変に挑戦的な作品が多く生まれていて、そのエネルギーが尊いジャンルだと個人的には感じているので、そうした活動の中におられる方と百合作品を読む機会がいただけるのを、とても楽しみにしてきました。本日はよろしくお願いいたします。
青島 
よろしくお願いいたします。
ティーヌ 
それでは、さっそく皆さんの感想を聴いていきたいと思うのですが、一作ずつやりますか?
益岡 
一作ずつやります? まあでも、印象的だった作品について話していくという感じで攻めていってもいいし……僕はやっぱり、一編目の斜線堂有紀「選挙に絶対行きたくない家のソファーで食べて寝て映画観たい」が、いきなり選挙の話だったので……常連出席者の皆さんはご存じのとおり、僕は「開票速報を朝まで見る合宿」を開催しちゃうくらいのいかれた選挙フリークだから……
一同 (笑)
益岡  
この小説を肴に選挙の話を始めちゃうと、多分、僕は今日ずっと選挙の話をしちゃうと思うのでそれはちょっと控えたいなと思ってるんだけど(笑)
ずみん 
これ、気になりますよね。
益岡 
気になるなんてもんじゃないよね。「私にこんなの読ませんの?」みたいな気持ちで読み始めましたけれども(笑)……ただでも、この小説の核というか、趣向というのは、この「読書サロン」でかなり前に読んだグレッグ・イーガンの短篇に近いものだと思うんですよ。一人はレインボーパレードのような社会運動に積極的に参加したい人物で本番に向けてものすごい衣裳を用意したりして盛り上がっているんだけれど、そのパートナーはクローゼットで行きたいというか、そういう表舞台には出たくない、社会運動には組みしたくないという、そういうゲイのカップルの物語だったと思うのですが……
ティーヌ 
グレッグ・イーガンの「繭」(『祈りの海』ハヤカワ文庫SF所収)ですね。
益岡 
そうですね、「繭」。この小説もその系譜に連なるものなのかな、と受け取ったのですが……
ティーヌ 
これは本当、ゲイあるある、ゲイ活動あるあるで、めちゃくちゃ有名な活動家のパートナーさんって、ほとんど出てこないんだよね、表に。
今ちょうど読んでいるエリー・ウィリアムズの『嘘つきのための辞書』(河出書房新社)は、辞書編纂や言語学的な興味から手に取ったんだけど、この作品の主人公もレズビアンで、似たような構成のカップルなんですよね。一人は、ずっとレズビアンであることを全く隠さずに生きてるんだけど、もう一人は、誰にもカミングアウトしていない。親にも、職場にも言っていない──そういう両極端のカップルというのは、割とありがちなんです。カップル二人で、メディアに出るという方がむしろ珍しい。それってなんなんだろう……無意識にバランスを取ってるのかな……
駄々猫 
それは別にヘテロというか、男女のカップルでもあることだと思うんですよね。社会への関わり方が全然違うというのは私はそんなに不思議なことではないと思う。それは男女でも、同性のカップルでも、二人揃って活動的なカップルもいると思うし、逆もあるのかなって、シンプルに思いましたけどね。
ヘイデン 
これね、すっごい私と元カノの関係に似てて、私はNPOで子供たちの支援とかにめっちゃ関わってたんだけど、前のパートナーは、一切そういうの興味ない。「そんなことしたって、何も変わんないよ」ぐらいの勢いだったから、なんか、まあ、いろんなひとがいるよねって話だと思うんだけど、この小説を読んで、「向こうから見たら、私はこう見えてたのかな」って、ちょっと思った。自分ごとすぎて(笑)
駄々猫 本当にそういう、社会活動へのスタンスというか、考え方が合わなくたって、パートナーとして、他にいくらでもいいところとかあるし、好きなところとかあるんだったら、いいかなーって思うけど……
益岡 
この小説も、そういう面には一応ちゃんと触れているんだよね。お互い、それなりにちゃんと、すごく好きなんだ、と。ただ、だからこそ、相容れない部分が出てくると、「またこの展開かよ」と。「せっかくいい感じだったのに……」と。主人公からしたら、その部分が嫌なだけなんだけど、パートナーはそうじゃない。
ヘイデン 
だから、そういう、いわゆる活動家みたいな人の身近にも全然そういう感じじゃない人もいるんだよ、というのを描いている物語だとして読めば、「その通りだよなー」っていう。
ずみん 
これ読んで、すごく思ったのは、私がツイッターにいつもいるからかもしれないんですけど、ツイッターってちょっとこういう空間だよなって思いましたね。なんか、政治的なことを言わないといけないみたいな圧力があるな、と。
ヘイデン 
それは、政治的なことを発言するひとが多い空間にいるだけなのでは?
益岡 (笑)
ずみん 
まあまあ、そうなんですけどね(笑)
ヘイデン 
メタル界は平和だよ(笑)
ずみん 
なんか、政治的なことを言わないと怒ってくる人って、ネット空間いっぱいいるよな、ということを考えながら読みましたね。
ティーヌ 
私は「選挙行きたくない人」って、勝手に、怒られるって思いこんでるんじゃないかっていう印象があって……実際に怒る人いる? 選挙行かない人に対してさ、この小説の彼女みたいさ、「行けよ!」って、「選挙行けよ!」って強く言うひと、あんまり出会ったことないから……まあ、ツイッターは、みんなが役割を背負って、それを演じてるだけだと思ってるからいいんだけど。
ずみん (笑)
ティーヌ 
実際にはほぼいなくて、どっちかっていうと、私は選挙に絶対に行かない人たちの、自意識過剰なんじゃないかって思ってる。
この作品の主人公は、「劣等感」がなくならないように生きている人という感じがした。そういう人って結構いない? 満たされてしまった後が怖いから、ずっと劣等感を払拭したくないという人。この人は、学歴もあるし、それなりに稼いでるし、ここで、本当に選挙なんて行き始めたら、めっちゃいい人になっちゃうじゃん、っていう、この怖さ?
駄々猫 (笑)
ティーヌ 
そういう人を、描いているのかな、と思ったけれど。
益岡 
僕は、最後まで来ると、この主人公が恋人の大事にしていることの意義を「わかっていないわけじゃない」という部分が見えてくることがとてもいいと思ったんですね。その上で、だからこそ、自分はそこに組みしたくないんだという強い思いが描かれている。
選挙に行ってなんとかしなきゃみたいな、そういう活動を大事にする側に足を踏み入れたら、なんか、認めなきゃいけないというか……自分たちは、自分は、持たざるものであって、その状況をなんとかしなきゃいけない存在なんだっていうことを認めなきゃいけなくなっちゃうじゃん、っていう……主人公が良しとしていないところはそこなんだろうとわかってくる。
恋人と一緒に世界と闘うと決めることは、実態として、この世界に組みすることになっちゃうというか、それが当たり前だっていうことになっている世界を肯定することになっちゃう。だからこそ、それは自分とは関係のない活動なんだと言い続けなきゃいけない……選挙に行きたくないっていうよりは、選挙に行って、今の社会を変えないと幸せになれない人間なんだと、その役割を押し付けてくる世界を肯定しなきゃいけない立場だ、っていうことを、なんで私が言われなきゃいけないの? わからせられなければいけないの?っていう怒りになっていると思うんですよね。
僕は、この小説がそこまで来たことに凄いな、と思いました。
本当にただ、選挙へ行きたくない、ただただ行きたくないという、そういう小説で終わっても面白かったと思うんだけど、そうじゃなくて、そこをさらに突き詰めて行って、そんな地上の理にはとりこまれたくないという強い思いを「選挙をボイコットする主人公」として描いたところが、これは、僕の好みかもしれないけれど、この小説の良さなのではないかと。
男女のカップルだったら、こんなことで争う必要もないし、選挙やら政治なんてものはその程度の存在ですむはずなのに……という怒りが主人公の感情の源泉にはあるというところが素晴らしいと思いました。
ずみん 
戦わないといけない時点でもう、不平等なんだっていう。
駄々猫 
戦わないといけないっていうことを認めなくても生きていけるはずなのに、と。
ティーヌ 
私はそういう部分は冷ややかに見ていて、「うん?」みたいな感じで。
益岡 (笑)
ティーヌ  
みんなそうやって、「自分はぽっくり死ぬから」って言って、「政治には関わらない」スタンス演じた結果、闘病生活十年とかやって苦しんで死ぬんだよな……とか思いながら、冷ややかに読んでた。「え、そんなにみんな現実から、目をそらして生きてるの?」って。
ヘイデン 
自分がマイノリティであるとか、そういうのを認めたくないわけじゃないんだけど、そこまでそういう、「困り感がある存在」にしておきたくない、みたいなのはあるのかもしれないね。
自分が困ってるっていうことを認めてしまって自分が世界を変えていかなきゃいけない、体制にたてついていかなければいけない存在となることで、それを生きるエネルギーにしている人もいれば、それをし続けることがしんどい人もいるよね。
ずみん  
というか、世の中に戦わされるのが嫌なんだろうな、って思ったんですよね。結局、世の中に戦わされてんじゃんっていうのを拒絶してるっていうのが、私は割といいなと思ったんですけどね、この主人公は。
ティーヌ 
そしたら、その怒りがなんでパートナーの方に向いちゃうの? 社会そのものじゃなくて、活動家のパートナーに向いちゃうのはなぜ?
益岡 
パートナーに向いているっていうか……活動をやっているパートナーも向いているんだよね、怒りが、主人公の方に。本当に社会への怒りが一番に大切だというなら、こういうベクトルにはならない。双方の怒りの矛先が、結局はお互いに向かって行くというのは、それはやっぱり、互いを大切に思っていることの証左なのだろうと思う。
作劇としては、後半に至って互いの立場が反転するというか、鏡像のようになっているのがミソで、パートナーが大切にする「選挙をはじめとする社会を改変するための運動」と同じだけの価値を、主人公は「私と映画に行く時間」に置いていることがわかる。
それは主人公が選挙へ行かなかった言い訳に困る前半の描写と響きあうんですよ。映画に行く約束を反故にしてこっそりパレードに行ってしまうことは、主人公にとっては選挙へ行かないことと同じなんだよね。
社会的なことよりも、個人としてのふたりの関係性が重要度として劣るわけじゃない。「パレードに参加すること」と「ふたりで映画を見に行くこと」が、「選挙にいくこと」と「部屋でだらだら過ごすこと」が、主人公とパートナーにとってはそれぞれにとって同じだけの価値がある。ただ、その比重が反転しているのだということが物語の後半に至ってわかってくる。ただ、それを表明することは主人公にとっては、本当はしたくないことだったんだと思う。それを説明してしまえば、この「誤った社会」に組み入れられてしまうことになるわけだから、と。これは非常に考えられた小説だなとは思いますよね。
そのうえで、やっぱり僕が救いだなと思うのは……帰ってくるじゃん。活動家の彼女が、ご飯作ろうか?みたいな感じで(笑)もう戻ってこないだろうなって思いながら悲しんでいる主人公のところに帰ってくる。そのくらいにはちゃんとお互い生活になってるじゃん、っていう描写が最後にでてきて、「救い」になる。
僕は斜線堂さんの作品をあんまりちゃんと読んだことがなかったんですけど、この一篇を読んで、 非常に上手な方だな、という印象を受けました。
ヘイデン 
どれも良かったよ、今回。
益岡 
良かった良かった。いい感じですよ、今回(笑)

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