見出し画像

ますく堂座談会レポート:幾原邦彦監督アニメ「さらざんまい」を語る(冒頭部分のみ抜粋)

悲願のイベント、ついに実現!
みんなで朝まで「さらざんまい」!


益岡和朗(以降、益岡) 
今回のテーマは、アニメ「さらざんまい」です。
矢逆一稀、久慈悠、陣内燕太という三人の中学生が、今は亡きカッパ王国の第一王位継承者・ケッピの呪い(?)でカッパにされてしまい、人類の欲望を糧に暗躍するカワウソ帝国と戦わされることになります。カワウソ帝国の幹部として生きるカッパ王国の元戦士にして浅草川嘘交番の警官コンビ・新星玲央と阿久津真武が送り込む怪人・カパゾンビとの戦闘は、彼らの命そのものであり、欲望の根源である「尻子玉」を抜くという行為で成り立っています。三人の少年たちはカパゾンビを倒す度に、自らの誰にも知られてはいけない秘密を他の二人に漏洩されてしまうというリスクを背負っていますが、それを対価にあらゆる願いをかなえる「希望の皿」を得ることができる。三者三様の願いを抱えた少年たちは、その奇妙な営みに引きずられつつ、新たな「つながり」を見出していく、という物語です。
九〇年代を代表するテレビアニメのひとつである「少女革命ウテナ」で名高い幾原邦彦監督の、テレビアニメ作品としては最新作といってよいと思いますが、放送されていたのは二〇一九年の四月、フジテレビの「ノイタミナ」という深夜アニメ枠でした。
こうしたイベントを開催するには完全に機を逸している訳ですが(笑)「さらざんまい」の座談会をやろうという話は、コロナ前、それこそ二〇一九年くらいからあたためられていて、「なにか合宿っぽいことをやりたいね」と。「一晩中みんなで「さらざんまい」を見て、そのまま座談会やるとか、そういうの面白いんじゃないか」なんて話していたんですよね。それがコロナ禍で、とてもじゃないが実現できないという状況になっておりました。
やっと、感染終息の兆しが見えてきて、「やろうと思えばやれないことはない」くらいの状況になったわけですけれど、繰り返しになるけれども、時期的にはもう「さらざんまい」じゃないでしょ、と半ばあきらめていたんです。
でも、河童をこよなく愛する駄々猫さんという方が、この企画を覚えていてくださって、「え? やるでしょ、当然」という感じで後押しをしてくださったものですから、実現に向けて他の常連の方にもお話してみたところ、「輪るピングドラム」も映画になったばかりだし、幾原作品をやることについては、妥当性があるんじゃないか、というご意見もいただきまして……まあ、だったら「輪るピングドラム」座談会でいいんじゃないかとも思うんですけどね。
一同 (笑)
益岡 
そもそも、この《ますく堂なまけもの叢書》自体が、コロナ禍を境にちょっとお休みしていたようなところがあって……コロナの感染拡大が始まったあたりで、ちょうど、このイペントの母体である「古書ますく堂」が大阪に移転になり、「コロナも大変だし、まあ、ゆったり焦らずやりましょう」と言っていたら、二年くらいたってしまった。去年はそれを取り返すように、緊急事態宣言の谷間で実施した『矢川澄子ベストエッセイ 妹たちへ』(ちくま文庫)の読書会を元にした特集号を出し、須永朝彦先生の追悼特集号を出して、まあ、頑張ったわけですが、少し「文芸」に寄った年になったな、という印象がありまして、今年はちょっと、「映像」の年にしてもいいのではないかという判断で、満を持して「さらざんまい」特集号を刊行することになりました。
そんなわけで、長年の計画通り、昨日の夜十時頃からこの場所で「さらざんまい」全話を鑑賞いたしまして、意外に早く観終わりすぎちゃったんで舞台版の『さらに「さらざんまい」愛と欲望のステージ』まで観て、今朝の七時半にいったん解散して、午後二時半、今ここにいるということになります。鑑賞会に参加してくれていた柳ヶ瀬舞さんが、残念ながら体調不良で帰られてしまったのですが、鑑賞会中に話題に出たトピックもございますので、できるだけそうした内容も拾いながら、この特異なアニメ作品を愉しく語っていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

言葉が溢れて止まらない!
幾原邦彦に人生を狂わされた人たち


益岡 
今回のイベントは、ありがたいことに参加人数が大変多くて、その分、初めて顔をあわせる方も多いと思いますので、ここに集った経緯等を踏まえて軽く自己紹介をいただき、その上でまずは、各人がしたいように「さらざんまい」の話をしていただければと思います。それでは、美夜日さんから。
美夜日 
美夜日と申します。益岡さんの大学時代の文芸部の後輩ということでお誘いいただいてここにおります。《ますく堂なまけもの叢書》のイベントには度々参加しております。
今回は、人生で一番ぐらい、「尻子玉」について考えましたね。
益岡 (笑)
美夜日 
すごかったですね、この作品は。
益岡 
今回初めて観たの?
美夜日 
初めて観ました。当時、腐女子の間で話題になってたことは知っていたんですけどリアルタイムでは観てはいなくて……いや、益岡さんが幾原邦彦に狂わされてるな、と思いながら観たんですけれど(笑)
益岡 
まったく否定はできない。高校生の頃から狂わされているわけだから、狂わされたというか、むしろ、「それで出来ている」といった方が正しいかも(笑)
美夜日 
どこから突っ込んでいいのかわかんないみたいな、すごい作品だったんですが……腐女子とか腐男子って、関係性のオタクだと思うんですけど、この作品のテーマが「つながり」ですし、関係性についてひたすら考察していく感じだなと思っていて、「つながり」の研究、「関係性」の研究をしているというのは、ある意味、BLの王道なのかなと思いながら観ていましたね。あとは、個別の、細かい点をメモを取りながら観てきたので、そうしたところは追々語りたいと思うんですけど……ここではサクッといくと……
ずみん 
サラッと……
美夜日 
サラッといくと……
益岡 
より適切な言葉に直されるという……
一同 (笑)
美夜日 
サッカーが肝になっているので、キャプツバ(※「キャプテン翼」の略)の二次創作の流れの上にあるのかな、と。
益岡 
なるほどねー!
新宮義騎(以降、新宮) 
「キャプテン翼」が、やおい二次創作の原点だという説があるんだよね。
美夜日 
王道の歴史を思い浮かべながら観ましたね。オーバーヘッドシュートとか、変に飛び上がって「ゴールデンコンビ」のポーズを決めるところとか、(「キャプテン翼」でゴールデンコンビとして描かれた)翼くんと岬くんみたいな感じで……なんかもう、ミサンガを結婚指輪にして「ゴールデンコンビ」が夫婦だな……そんなイメージで観ていました。とりあえず、こんな感じでいいですかね。サラッと(笑)
益岡 
今日のお洋服は、ちょっと作品を意識したの?
美夜日 
意識して、「緑」にしてきました(笑)
ティーヌ 
ティーヌです。読書サロンというLGBTQが登場する小説ばかりを読む会を二〇一三年からやっておりまして、益岡さんにはその読書会にずっと来ていただいていて、そのご縁で《ますく堂なまけもの叢書》では、読書サロンの本も色々出してもらっているという関係です。
とにかく益岡さんから「さらざんまい」の話を聞いていたんですよ。何年も。
益岡 
そんなに語ってましたっけ?
ティーヌ 
はい。
益岡 
もう、語ってるっていう意識もないぐらい……
近藤銀河(以降、近藤) 
あっためてて忘れかけてたってさっき言ってましたけど、ずっとやろうって、この三年間、ずっとおっしゃってた(笑)
美夜日 
やろうやろうって確かにずっと言ってた(笑)
ティーヌ 
私はこの浅草、合羽橋エリアに五年前ぐらいから住んでいるので、なんていうか、この土地が舞台になっていると聞いて、「こんななんもないところでいったい何の話をするんだろうな」と思っていたんです。昨晩みなさんと一緒にテレビシリーズを一気に観て、舞台も観ました。感想は、これは私の癖なんですけど、私アニメや映画を観ても、「物語」しか気にならないっていう癖がありまして、その外側の演出やメタファみたいなものはあまり気にしないんですね。そういう視点からすると、物語は《プリキュア》だった。いわゆる魔法少女もののような、変身シーンがあったり、ショッカーみたいな悪役が出て来てそれと闘うというような筋立てに近いなと思って……それをドギツイ表現でやっているというイメージでしたね。
だから、はっきり言うと二回は観ないと思う。
益岡 
なるほど(笑)
ティーヌ 
私はね、観ない。実は私は《セーラームーン》も、実ははっきり観てないんですよ。で、「少女革命ウテナ」も一回観て、「二回は観なくていいかな」って思った人なんですよ。
アニメ作品は、筋よりも表現というか、演出面、ビジュアルの凄さが語られることが多いような気がするんだけど……さっき、別のアニメのパロディとしての読める部分があるという話もあったけど……正直、キーとなるビジュアルをどう感じ取るかという部分が、私はあんまりわからない。他のアニメと比べてどうかとか、まあ、違うなとは思うんだけど、どれがいいっていうのがあんまなくて……だから私は、結構、ビジュアルから情報を受け取るのが苦手なんだなって思いながら観てました。
BLだと聞いてたけど、私は結構もっと変態ドラマだと思って観てた。変態アニメだったよ。だって、アナルプラグ入れてるような絵しか見えてないから、私には。
ストーリーは《プリキュア》とか、戦隊もののフォーマットだけれど、「これって完全にエロアニメじゃん」と思いながら観てました。
でも、この作品をみんなで夜通し観られて、非常に楽しい一日でした。まだ終わってないけど。
一同 (笑)
ティーヌ 
ということでよろしくお願いします(笑)
ずみん 
ずみんと申します。読書サロンのメンバーであるというつながりで、ここに参加しております。
私は一応、本放送時にリアルタイムで観ていて、その記憶がありつつ昨日改めて見たんですけど、思っていたより話数が少なかったんだなと思って、こんなに凝縮した上に結構、話のつなぎとかも……その論理的な整合性とか、とれているのかとれてないのかわからないようなスピードでバンバン……
美夜日 
サラッと(笑)
ずみん 
サラッと(笑)展開していく話だったんだなって、改めて思いながら見てました。
今回、最後まで見て思ったのは、「つながり」というキーワードが繰り返し出てくるんですけど、人との「つながり」ってやっぱり美味しいところだけじゃ成り立っていないな、という……そういうことを描いている話だなと思いました。その観点からすると「輪るピングドラム」は、「こういうつながりが得られたらそりゃいいだろうな」っていう話だったというか……うちらの人生に荻野目桃果は現れないわけで……
益岡 
ここで少し整理しておくと、幾原邦彦というアニメ監督は、テレビアニメのシリーズ作品としては「少女革命ウテナ」(一九九七年)、「輪るピングドラム」(二〇一一年)、「ユリ熊嵐」(二〇一五年)、そして「さらざんまい」(二〇一九年)の四作品を、劇場版では、「劇場版美少女戦士セーラームーンR」(一九九三年)、「少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録」(一九九九年)、『RE:cycle of the PENGUINDRUM 前編/後編』(二〇二二年)の三作品を発表しています。
荻野目桃果は「輪るピングドラム」の世界観を支える重要なキャラクターで、ちょっと雑なまとめ方をしてしまうと、世界の形を大本から変える力を持つ魔女といった役どころです。彼女は、自分が大切だと思う人たちを、自らの持つ魔法の力を行使して救い続けている。その願いが大きければ大きいほど、術者である彼女は犠牲を払わなければならず、作品本編の時間軸では、大きな災厄を退けようとした代償により「死を迎えたことになっている人物」として描かれます。
ずみん 
そんな荻野目桃果みたいな人物は、うちらの人生には現れない。その事実を時々思い返しては「うーっ」ってなっているんですけど、それに比べると「さらざんまい」の描く「つながり」は、もうちょっと「清濁併せ吞む」というか、「ピンドラ」(※「輪るピングドラム」の略)よりは、もう少し現実的な、「美味しいところばかりじゃない」ということも示す方向性を持った作品なのかなっていうのを感じながら観ていました。
この前の「読書サロン」で私が鼻血拭いて倒れる前に口ばしってた話なんですが(笑)……「現代思想」(青土社)の「〈恋愛〉の現在」という特集号(二〇二一年九月号)の中で、星占いの石井ゆかりさんが「不思議な透明感」ということを書いているんです。最近の恋愛相談は、「お互いに高め合えるパートナーが欲しい」ということは言うんだけれど、具体的な相手には言及しないというか。「つながり」は欲しいけれど、他者が存在する感じがしない相談が中心になっている、と。「他者とつきあい、時には傷つけ合いながらも成長したい」って言いながら、実際恋愛に近づきたい感じがしない相談者が多い、と。

※この部分については発言者の事実誤認があったので補足します。ここで「相談内容」として挙げた内容は、この石井ゆかりさんの記事そのものではなく、青柳美帆子さんによる相談箱への回答およびツイートに含まれていたものでした(青柳さんは関連する資料としてこの石井さんの記事を挙げられています)。
https://peing.net/ja/q/435954e0-8798-414f-9eb7-155ae66c51f6
https://twitter.com/ao8l22/status/1433420694344257550?s=20
なお、石井ゆかりさんの記事では次のように「不思議な透明感」について言及されています。
″「好きという気持ちがわからない」「つきあってみても相手を好きになれない」「仕事と恋愛のバランスをとるにはどうすればいいか」「恋愛をしたいと思わないが、自分はおかしいのか」「これから恋愛をしたいと思うが、パートナーは見つかるか」「告白して拒絶されたが、この先もこうなのか」 (中略)これらの質問に共通しているのは、「恋愛感情の吐露」がほとんど含まれていない、という点だ。もちろん、こうした質問者の中には、アセクシュアルの人々も含まれているだろうと思う。〟 (『現代思想』2021年9月号 特集〈恋愛〉の現在 P.176)

うちらってなんかもう、「つながり」の美味しいところだけ得られるなら、それ、得たいじゃないですか。「ピンドラ」の荻野目桃果は、その夢を体現するような、だからこそ、その不在に「うーっ」となってしまうようなキャラクターとして描かれていた。
だけど、そんな虫のいい話はないっていうことを「さらざんまい」のラスト、「つながりたいけど……」と繰り返し視聴者に語りかけてくるようなシーンでは言っているように感じました。
益岡 
なるほど。そこが幾原作品としての「変化」である、と……
ずみん 
すごいだらだら語っちゃった(笑)よろしくお願いします!
水上文(以下、水上) 
多分、はじめましての人がすごく多いと思うんですけど……はじめまして、水上文と言います。
ここに来た経緯はティーヌさんに「さらざんまい」の座談会があるということを教えてもらったのがきっかけなのですが……私も、「さらざんまい」というか、幾原邦彦に人生を狂わされたオタクの一人なんで……
益岡 (笑)
水上 
私はもともと「少女革命ウテナ」がすごく好き。人生で一番好きなアニメで、「これがなかったら人生どうなってたことか」と思うほどのアニメだったんです。
なので、「さらざんまい」を観るときも……先ほどティーヌさんが物語を見ちゃう、という話をされていましたが……演出とかではなくて物語だけを見ちゃうというタイプの人からすると、幾原作品は二回は見ないということをおっしゃっていたと思うんですけど……確かに、そういうストーリーラインだけ追っていると「そこまで面白いかな……」という感想を抱かれるのは理解できます。
ただ、幾原邦彦作品をずっと観てきたオタクからすると、「さらざんまい」の第一話で「箱」が出てきた瞬間にスイッチが入る。
幾原作品には、作品をこえて共通するモチーフがたくさんあるんですが、それを読み取ることにすごく慣れてしまった身からすると、なんか箱が出てきただけでもう「来た」みたいな感じになる。私は結構そういう感じで観て、「さらざんまい」をイクニ(※幾原邦彦の愛称)作品の二〇一九年時点での最新系として、「いま、ここ」なんだっていう感じで観ていました。
そういうスタンスの私にとって、「さらざんまい」はイクニの世界が大きく変わったことを感じさせられる作品でした。
例えば、「箱」というモチーフで見ていくと、一九九七年の「少女革命ウテナ」というのは、「棺」の中に閉じ込められている女の子の話だったんですね。ここにいる皆さんがどれくらい「ウテナ」を観ているのか、私はわからないんですが……
駄々猫 
私、全く知らないので、教えて頂けると助かります。
水上 
「少女革命ウテナ」というのは、すごく簡単に言うと棺の中に閉じ込められている女の子を、また別の、ある種のトラウマを負った女の子が助ける──女の子が女の子を救うっていうアニメが「少女革命ウテナ」です。彼女たちが囚われているものを象徴的に表すために登場するのが「棺」というモチーフです。
その「棺」は、例えば、「女の子なら女の子らしく」であるとか、「花嫁になることが大事」であるとか……女の子が「女の子という役割」に閉じ込められているんだという、その現実が「棺」として表現されていて、最終的に「ウテナ」という物語は、「この棺から出るということ」を描いたアニメだったんですね。
ちょっと抽象的なんですけれども、自分自身から逃れるというか、自分自身を、ある意味作り出してしまう、拘束してしまうものから「逃れる」というのが、イクニ作品の大きなテーマになっていて「少女革命ウテナ」ではそれが「ジェンダー」というかたちで、比較的わかりやすく表現されています。
その次の「輪るピングドラム」になると、今度は自分を閉じ込めるものというのが「家族」になってくる。
いろんな意味で家族にトラウマを抱えている人がたくさん出てきて、そういう人たちがどうやって救われるのかっていう話を描いてたのが「ピングドラム」であるといえると思いますが、その時もまた、「箱」が、重要なモチーフとして登場していました。
そして、三作目の「ユリ熊嵐」ですが……個人的には、ここで、ちょっと今までと違うものを描いているな、という印象を受けました。「自分である」っていうこと、「自分自身である」っていうことから逃れるという時に、「エゴイズム」との区別をつけるっていうのが「ユリ熊嵐」の中ではすごく重要なモチーフになっている。自分のエゴで人を傷つけてしまう人たちが出てくるのですが、そうしたことを、抽象的にのみ描いてきたイクニアニメが、より具体的な形として──女の子同士の強い関係性を描く「百合作品」として、「エゴイズム」から脱しつつ他人とどう関わっていくのか、どうしたらそうした関わり方ができるのかを描いたのが「ユリ熊嵐」という作品だったと思います。
そうして「さらざんまい」に至るわけですが、この作品は、「BL」をモチーフとして大きく取り上げた初めてのイクニ作品です。それまでの「女性」をメインとした作風とは一変したこの作品でもやっぱり箱が一話目から登場します。
この箱は、ダンボールの箱、Amazonを意識したデザインの箱なのですが、イクニアニメをずっと見てきた身からすると非常に意外な描かれ方をしていくことになります。序盤では、物理的に「箱」を持ち歩いていた主人公たちが、すぐに箱を持ち歩くのをやめてしまう。
これまでのアニメだと箱をいかに手放すか、そこからいかに出るかが作品を通じて描かれてきたのに「さらざんまい」の主人公たちはかなり序盤で箱を手放して歩けるようになる。箱以外にも、これまでのイクニ作品で描かれてきたモチーフが違った形で描かれていて、イクニ作品の新たな展開であると感じました。その変わりように、オタクの中では「イクニの遺書」なんじゃないかという議論さえ生まれるくらいの変わりようだったんですよね……遺書……ちょっと誇張したかもしれないですけど(笑)
一同 (笑)
美夜日 
「イクニ、待って!」みたいな(笑)
水上 
ワンクールの短いアニメなので、すごく展開が速いんですが、その速度の中で、これまでのイクニ作品が種々のモチーフをどう描いてきたかを踏まえながら観ると、どこに行こうとしているのかな、ということが感じられて、オタク的には、すごく染み入る作品になっているなと思います。ちょっと長くなっちゃったんですけど、とりあえず、いったんここで切ります。よろしくお願いします。
益岡 
改めまして益岡です。この回を始めた経緯は、先ほどお話しした通りなんですけど、今、水上さんからもありましたが、幾原邦彦という人は、作家の名前でアニメを作れる、多分、日本に何人かしかいないアニメ作家ということになるのかな、と思います。例えば、宮崎駿アニメとか、庵野秀明アニメとか、新海誠アニメというように「幾原邦彦アニメ」というものが語られ得る監督の一人と言える存在です。
ただ、他の監督たちに比べて、「国民的人気作品」みたいなものをドドーンと出した作家かというと多分この人はそういう存在ではない。そういう存在ではないにも関わらず、その作家性を認められている、そういう稀有な作家だと言ってよいと思います。
僕は九〇年代のアニメオタクなので、「少女革命ウテナ」は、もう、ドンズバというか、九七年は高校生、その少し前に「新世紀エヴァンゲリオン」が発表されて、このときは中学生ですけれども、「もうあの時分に全部揃ったでしょう?」くらいのね、マウントをとりたくなってしまうくらいの世代のアニメオタクです(笑)最近はもうあまりアニメを観なくなってしまったんですけれども、それでも、やはり幾原邦彦が新しいものを撮るんだということになると、ちょっと普通の精神状態ではいられないという……まあ、「イクニオタク」と言っていい人間だと思います。
僕と「さらざんまい」の出会いは、本放送より少し前、二〇一八年の十月二十一日に、神奈川近代文学館の「寺山修司展」でのイベントとして開催された、幾原邦彦監督と「少女革命ウテナ」の音楽を担当したJ・Aシーザー氏のトークショーを観に行ったときのことです。
文芸評論家の三浦雅士さんが司会をされていたんですが、大変パワフルな方で、ものすごく自分の「読み」に幾原邦彦を押し込んでいくっていうか(笑)
三浦さんは、「寺山修司と幾原邦彦」という並べ方をしたいんですよね。そして三浦さんの中での寺山修司は「やさしさと母」を重要な概念として持っている作家だと整理されている。それ故に、幾原さんの過去の様々な発言から「母」というモチーフを拾って攻めてくるんですけど、イクニアニメにおいて、あんまり「お母さん」っていうものは描かれてきていないと僕は思うんです。だから、かなり無理があるんだけれど一生懸命そっちに寄せていて、イクニさんはちょっと苦笑して「そんなこと言ってましたっけ?」みたいな、そういうニヒルな受け答えが大変面白い──なんかちょっと馬鹿にしているみたいになってしまったけれど、三浦さんの「攻め」は大変すばらしいんです。描写が少ないとはいえ、「母」は隠れモチーフとしてはそれなりに登場する。「少女革命ウテナ」の主人公のひとりである姫宮アンシーに投影された「母」の表象であったり、幾原さんのインタビューで、幾原さん自身のお母さんが「ピングドラム」のペンギンたちについては愉しく見ていたらしいという情報なども丹念に拾っていて、僕は三浦雅士という評論家をとても好きになったのですが……そんな愉しいイベントで、「さらざんまい」の先行映像が流されたんです。
その時に、幾原さんが「次回はBLです」と断言された。僕はそれがとても印象に残っていて……トークショーの中でも「少女という概念にこだわりがあるのか」と聞かれて「僕の場合、企画が通ればそれで」みたいなことを、本音かどうかはわからないですけれど仰っていて、そんな中で最後に「今回はBLです」と断言なさった。
「おお!」と思うわけですよね、限界オタクとしては(笑)
今回、改めてこの作品を観て、やっぱり僕は、「BL論」として読むと色々なことが見えてくる作品だなと感じました。
ストーリーとしては、色々な断絶があるところを、幾原邦彦一流の演出力で乗り切っているようなところがあって、それは、他の作品でも観られることなんですけど、「さらざんまい」は、やや、それが顕著かな、という印象を受けます。だからこその、随所にちりばめられたメタファを拾いながら読んで補完していくという楽しみ方ができるわけだけれど、先ほどのティーヌさんのご意見も、それ故に大変共感できるな、と(笑)
あとはキャラクターの設計ですよね。
なんといっても、主人公の矢逆一稀ってやつがやばい。
一同 (笑)
益岡 
他にもいろいろ、みんなやばいんだけど。この人は本当にやばい。この作品を読み解くことは、ある意味では、この「矢逆一稀というひと」をどう読み解くかということと同義なのではないかというくらい、僕の中では大きな問題です。
オールナイト鑑賞会に参加した方は舞台版も観ているわけですが、この舞台版の矢逆一稀は、アニメ版にあった「やばさ」がかなり薄められているというか、ある種の個性が簒奪されている。そのことで非常にわかりやすい物語に落とし込まれていて、ストーリーだけを玩味するならば、むしろ舞台版の方が、完成度が高いと言いたいくらい。だからこそ、アニメ版の矢逆一稀の主人公としての異様さが際立っているようにも感じています。このあたり、是非みなさんと語り合いたいな、と。
もうひとつは、「さらざんまい」というアニメはかなり多元的な展開をした作品だったのかな、と感じています。敵の幹部という位置づけで登場する、いわば影の主人公である、新星玲央と阿久津真武──通称「レオマブ」の物語は、実はアニメが始まる前から、Twitterの公式アカウントを通して始まっていました。また、コミカライズ版(『レオとマブ ~ふたりはさらざんまい~』イクニラッパー原作・斎藤岬作画/幻冬舎コミックス)も存在している。この「レオマブ」の物語についても、是非、話していきたい。僕は基本、このアニメを「レオマブ推し」で観ているので(笑)
水上 
私は、レオとマブの物語の中では、Twitterが一番好きですね。正直、アニメ本編では、「イクニ、BLの才能そんなにないな」と思っていたけど、こちらはいい(笑)
ずみん 
ふたりのキャラクターが違うんですよね。マブがちょっと天然で。
水上 
コミックの世界線なんですよね。
益岡 
個人的には、コミックとTwitterもちょっと違う世界線なのかなと思っていて、キャラクター設定は確かに近いけれども、Twitterの二人にはアニメ版を思わせるようなシリアスな展開が待っている。より近いキャラクターで、双方がアナザーストーリーとして成立しているというのが、Twitter版とコミック版の関係性かな、と感じています。
コミック関連では『みんなでさらざんまい』(幻冬舎コミックス)という公式アンソロジーも刊行されていて、かなり豪華なメンバーが「さらざんまい」のパロディコミックを書いているのですが、そのなかで、「ユリ熊嵐」のキャラクター原案を務める森島明子さんが書いた「ゆりざんまい」という作品があるんです。
「希望の皿」の力によって、すべてのキャラクターが女性になった世界を描いているんですが、この「女体化百合」という趣向に対し、極めて厳しい意見がネット上に散見されました。個人的には、「さらざんまい」の批評性をよく読みこんだうえで考え抜かれた作品であると評価しています。
このアニメは「BLに振り切った」ということだとは思うのですが、あえて言いすぎてしまえば、「女性というものが出てこない構造」になっている。「ゆりざんまい」は、この「さらざんまい」の設計を露にする作品だと感じるのですが、こうした「女性のいない幾原作品」をどう読むのかということについても、皆さんとお話しできたらと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
川瀬みちる(以降、川瀬) 
川瀬みちると言います。鑑賞会に参加されていた柳ヶ瀬舞さんが発起人になって刊行した文芸同人誌『Over the Rainbow LGBTQA 創作アンソロジー』をここにいる何人かの皆さんと出したっていうのが知り合いになったきっかけで、文学フリマの打ち上げも一緒にさせていただく中で、この会に誘っていただいたという感じです。
「さらざんまい」は本当に、今朝、観てきたばっかりで、フレッシュで、まだなんにもまとまってないんですけど……ここまでの皆さん、三人続いて濃密な感想が来たので……
益岡 
愛重すぎ(笑)
近藤 
「さらざんまい」だけじゃなくて「幾原邦彦」という存在に対する激重感情(笑)
益岡 
今既に、「あの話もこの話もするのを忘れた」と後悔している。
一同 (笑)
川瀬 
私は本当に観てそのまま来たというフレッシュな感じで、頭がまとまってないんですけど……
美夜日 
必要です、そういう人材。
川瀬 
何ていうのかな……BLが好きだし、まあ、BLだなと思ったんですけど……どっちかっていうと、クィア(性的マイノリティを広範に包括する概念。ここでは、多分にファンタジックな描写を孕んだBL作品に比べ、性的マイノリティのリアルや、その概念の本質に、より迫ろうとしている作品群を指している)に寄っているんじゃないかな、と。もっとも、BLもクィアな創作もいろいろありすぎて、めっちゃ重なっているのに、そこを分けるのもおかしな話なんですが……最近のBLは結構違うと思うけども、割と「マッチョさ」というのが作品の背景というか、根底にある気がしていて……それに比べると、「さらざんまい」の、例えば、レオとマブが踊っている描写の滑稽な感じとか、従来のホモソーシャル的なものを脱臼するような部分があって、そこが面白いなと感じました。
さっき、ティーヌさんからアナルプラグの話がありましたけど……警官二人並べてBLつくると、すごいマッチョな感じのBLになる気がするんですよね。バディものみたいな、いかにもホモソーシャル的な色が出てくる気がするんですが、突然変な踊りしたり、ミュージカル要素が入ってきて、かなりコミカルな作品になっている。
そのコミカルさが、多くのBLが持っているホモソーシャルな構造を脱臼して、クィア感を生じさせているように感じました。
あとは、皆さんの「推しカプ」(お気に入りのカップリング)を聞きたいな、と思っていて……BLよりもクィア感が強いというのは、BLの大きな魅力である「関係性萌え」みたいなのが、「ドーン!」みたいなのが、そんなに、私としてはあまり感じられなくて……
益岡 (笑)
川瀬 
一番あるのが……久慈兄弟なんだけど、これは結構、愛なんですよね。普通に、愛。私としては、BLにはもっと憎しみがあってほしい。カップルの愛の根底に憎しみがある、もっと憎しみあっているBLが好きなんで……単純に私の好みの問題かもしれないけど、ふたりの思想がバーンとぶつかって……「魂と魂がぶつかって死にそう!」みたいな感じではない。そういう熱はあまり感じられなかったので、私の好きなタイプのBLではないなとは思ったんですけど、ただ、この作品のもっているクィア感はすごく好きだなとも思いました。
推しカプの話に戻ると、カズクジ(矢逆一稀と久慈悠のカップル)かなと思ったりしてるけど……とにかく、「クジクジクジを受けにしたい、クジを受けにしたい、でもお兄ちゃんと仲が良すぎる~!」とか、よくわからないことを考えてました(笑)
そんな感じです。よろしくお願いします。
駄々猫 
多分アニメは全然わかっていないのですが、とにかくカッパの話だと聞きまして、私はカッパが好きなので、カッパが出てくるなら観たいと思って参加しました。
ただ、今、私は動画自体を見ることを全くやめているんですね。目があんまり強くないので。だから昨夜はすごい耐久レースみたいな感じでした。
映画をよく観ていた時は年間二〇〇本とか見ていたんですけど、今はもう本当にゼロかなっていうくらい極端に観なくなっている。
YouTubeも基本見ないで、音だけ聴くような生活をここ十年送っているので、監督の名前も初めて知ったくらい。宮崎さんはさすがに知っていますけど。
美夜日 
宮崎さん、さすがでございます。
駄々猫 
宮崎さんも、でも一番最初の頃の作品だけで、あとはまったくわからない。そんな状況なので、正直、今まで皆さんが話しておられた言葉自体が、ほとんど、はっきり分からないですね。昨日から、ウテナウテナ言ってて、「多分昔の作品のことなんだろうな、みんな好きなんだな」とは感じましたけど、どこまで聞けばいいのかわかんないし、とりあえず、今回は「さらざんまい」を観る会だから、「さらざんまい」に集中しようと思って一生懸命観ました。
私はさっきから話に出て来ているBLとか百合が好きってわけでもないんですね。だから、そっち方面への熱量がとても低い。そういう意味では、まったく、一般の単なる本好きの意見としてお話しできればいいかな、と思っています。
まず、映像を見るときにアニメの場合は特に絵柄が好みかどうかっていうすごく重要なポイントで、絵が好みじゃないともう一話でダメです。
「さらざんまい」の絵はとても好きな感じの絵だったので、気持ちよくずっと見てられてまずそれでよかったなって思いました。
ストーリーは、一話一話ではそこそこまとまっているんだけど、全体を通すと色々と分断があって、これは結局どういうことだったのかっていうふうに考え出すと分かんなくなっちゃうんで、あまりこれは理解しようとか分析するんじゃなくて、なんとなく感覚として捉えればいいものなのかなっていう風に思いながら観てました。
すごく気になったというか、気に入ったのは、カワウソ帝国の科学技術庁長官の口癖、「ウッソー」。
一同 (笑)
駄々猫 
私の中では「ウッソー」が凄く気に入った。もう、全然リアルタイムじゃないから、今から「ウッソー」とか言い出してもまわりは誰もわかんないと思うんですけど、それでも、自分の中では凄く流行ってる。積極的に使っていきたいな、と思っています(笑)
あとは、「欲望か愛か」という選択肢というか、「区別」が大きなテーマになっているという部分が引っ掛かりました。
欲望と愛ってそんなに違うんだろうかとか。私、その境目がちょっとよく分かんなくて。
どこで皆さんはそれを区切るんだろう、と。
監督さんとか制作側の人がどういう意味で「欲望」と「愛」を対置させたんだろう、と。
私は欲望っていいものだと思っていて、そんな悪いものじゃないじゃんって。
事実、カッパ王国もカワウソ帝国もそれをエネルギーにしてるわけですよね。
現実世界でも、欲望なしには人は生きられない……欲望って生きるエネルギーに本当につながるものだと思うんです。
私の周りには介護の仕事をしてる人が多いし、私自身も母の介護を今しているんですけど、結局最後まで元気に生きられる人って、たとえば性欲が強いひと。看護師さんの手とか握っちゃうようなおじいちゃんとか……あと、食欲がある人。食べられなくなるともう死んじゃう。あとは睡眠欲。寝れなくなってもダメなんですよね。
だから、「欲望」がないと人は生きていくのがしんどいんじゃないかな、と感じていて……作品の中でも、「欲望」は否定されていないんですよね。
ティーヌ 
むしろ愛の方がシュレッダーにかけられている。愛、使わない(笑)
川瀬 
愛、そんなフィーチャーされてないですよね。
駄々猫 
愛か欲望かどっちか、という構図にしたのは、何のためなのかはよくわからなかったですけど、とりあえず「生きるためには欲望が大事だよね」っていうのはすごく強いメッセージとして受け取りましたね。
あとは、やっぱりカワウソ帝国が気になっていて、カワウソは「概念」なのに、科学者とかいて、あれは何なの? よくわかんないわ、と。SF的に解釈していけば何か見えてくるのかもしれないけど、まあ、わかんないままでいいのかなと、とりあえず放置していますが……その辺の解釈について、みなさんの意見が聞けたら嬉しいかな、と思っています。よろしくお願いいたします。
近藤 
近藤銀河と言います。読書サロンにちょくちょく参加していて、その縁で、《ますく堂なまけもの叢書》にもちょくちょく参加させていただいています。
私も結構、幾原邦彦に狂わされている人間なんですが、ただ、私は実はずっと言っているんですが、幾原邦彦作品は好きではなくて(笑)
「少女革命ウテナ」は間違いなく私の人生を狂わせた存在なんですけど、ただ、「好きか?」というと、別に好きではなくて、「輪るピングドラム」もそうなんですけど……と言いながら、私、今日の服装も「ピングドラム」に寄せてしまったんですけど(笑)
ずみん 
(主人公のひとりの)高倉陽毬ちゃんですよね。
近藤 
ただ、「さらざんまい」は好きなんですよね。今回改めて観て思ったのが、この作品って別にBLではなくて、「BLについての作品」なんじゃないのかな、ということ。
従来の幾原作品って「男性」が出てこないというか……先ほど益岡さんが「さらざんまい」は女性が出てこないという話をしていたと思うんですが、逆に、従来の幾原作品は、男性が出てこない。男性が出て来ても、女性に対してなんらかのアクションをする存在だったり、男性と男性のアクションっていうのが乏しいという印象があって、もちろんいろんな男性たちのかかわりは描かれているんだけど、それもあくまで女性との関係であるとか、あるいは社会的な「成功」の象徴であるとか……劇中歌の「さらざんまいのうた」中でも、「サクセス」という歌詞がありますけれど……男性と男性の関係って描かれてこなかった。それが「さらざんまい」では描かれたのではないかなと考えています。
では、具体的には、どんな関係が描かれたか。男性と男性の「つながり」を描くために「さらざんまい」が何をしているかと考えていくと、これは、女性がBLを通して、お互いの欲望を提示しあっている、晒しあっているということを、男性たちにどうやらせればいいかということを考えながら作った作品なんじゃないかと思っているんです。
BLそのものではなくて、BLについての物語──女性がBLを消費する、そこで生じる「つながり」に似たようなことをどうやったら男性たちでやれるんだろうっていうことを考えて作られた作品なのではないかと思う。例えばカパゾンビたちも、自分たちの持っている色々な欲望を晒しあうことで話が成立している。
BL研究の溝口彰子さんが、BLを通して営まれる行為をバーチャルレズビアンとかバーチャルセックスと表現していますけれど、欲望というものを交換し合うことによって、犯罪や破壊にならない形で、うまく昇華しあって、社会的なつながりを作っていくという営みが、BLを愛する女性たちのあいだでは自然体で成立している。
そうした営みが男性たちにはできてないんじゃないか。男性たちがつながれないのってそういうところなんじゃないかと、それがこの作品のテーマだと思っています。
やっぱりみんな、「欲望は隠さなきゃいけない」というのが前提としてあって、もちろん社会規範に沿った欲望というものは隠す必要はないんだけれども、でも、その規範から外れた欲望というものを晒すことで生じるつながりというものがある。それをどうやって面と面で向き合って話していくかっていうことが、この作品のテーマになっている、それが私にはめちゃくちゃ面白かった。
ただ、そのテーマを掘り下げていくことは、BLが抱える問題を浮き彫りにすることでもある。欲望を提示するためのツールとしてBLをとらえたとき、では、このBLがしばしば内包するハラスメント的な側面──例えば実際のゲイとかセクシュアルマイノリティに対する差別や偏見を助長するような描写であるとか、セクハラ的な行為・展開であるとか……BLというジャンルが一定の対応をしつつも応えきれていない問題系が存在していて、そんなところも、「さらざんまい」という作品には表現されているように感じます。
一方で、やっぱりこの作品はBLじゃないと、私は強く思うんですね。だからBLの魅力となっている「関係性萌え」には乏しい。
最近、真田つづるさんの「私のジャンルに神がいます」(KADOKAWA)とか、BLを交歓する女性を描いた作品が結構出てきているんですが、今回、「さらざんまい」を改めて観るにあたって、そうした作品群が私の中で補助線になった気がしています。真田さんたちが描くつながりを、男性同士でどうやって生じさせることができるのか。BL的なものを通した女性同士の関わりをどうやって男性たちが模倣していけるのか。
そういうことを考えて作られた作品なのが「さらざんまい」なんじゃないかということを改めて強く感じました。
ずみん 昨夜の鑑賞会で、カパゾンビたちの欲望を「そうか」って言って受け入れる描写が話題になったんですよね。「箱を被って裸になるのが好きなんだ」という欲望を「そうか」で済ませるんだな、と。
益岡 
主人公たちは、とりあえず受け入れるんですよね。
ずみん 
そう。欲望を受け入れるんですよね。
益岡 
まあ、それは、人間離れした存在に、カッパになっている状態だから許容できるという話なのかもしれないけど。
美夜日 
カパゾンビたちの欲望は、ノンケ男子の欲望ですよね。いかにも、というようなものが多かった気がします。
近藤 
ヘテロセクシュアル(異性に対して性的な感情を抱くセクシュアリティ)的な欲望ですね。
美夜日 
男性が女性に向ける欲望です。
近藤 
私はそういうところは、この作品の限界かな、と感じていて……陣内燕太くん。
一同 
あー。
近藤 
すごいセクハラキャラじゃないですか。最悪だなと思っていて(笑)
この作品が「欲望」として提示する行為は、もう少しなんとかならなかったのかな、と。
美夜日 
寝ている一稀にキスしちゃう。
ずみん 
同意なくキスしちゃう。
近藤 
リコーダー舐めたりとか。欲望の行き過ぎたところみたいな……もちろんそれはテーマのひとつだと思うんですけど……このあたりの描写の取捨選択については、制作陣はもう少し考えなければならなかったのではないかと感じます。
ティーヌ 
下着泥棒ってさ、男の人、笑うんだよね。女の人にしてみたらマジ怖いんだけど、男の人は、「そんなの警察に通報することか?」みたいな言い方するんですよ。笑いながら、「別に親に言わなくていいだろう」とか言う人もいるの。
燕太というキャラクターには、そういう男女の受け止め方の溝を感じたよね。
美夜日 
このくらい、軽いでしょ?みたいな。
近藤 
この作品には、そうした行為を描写することに対する緊張感が欠けているという印象を受けるんですね。ある種の加害性をこの作品が内包しているということに鈍感であるような気がする。そこはちょっとどうなのかな、と。
久慈悠とか矢逆一稀については、「罪と罰」が描かれるんだけれど、陣内燕太については、私は放置されているような印象を受けます。「これは別に大したことない」というような。一稀がミッション遂行のためにふるう暴力とか、悠が人を殺したりとか、それはすごく重い罪として描かれていたのだけれど、燕太のセクハラはまったく大したことないかのように描かれているように見える。
燕太の暴走というか、みんなの大切な場所をわざと汚してしまったり、相手が望まない行為を無理やりしてしまうことの罪深さとか、欲望が加害に繋がるということはある程度描かれているんだけど、制作陣の「大したことだと思ってなさそうな感じ」を正直、私は感じてしまいますね。
益岡 
そこはちょっと、幾原邦彦というひとの作家性に関わる部分になってくるかもしれないですね。
近藤 
幾原邦彦は寝ている人にキスするのが好きですからね。
ずみん 
あー
近藤 
「幾原邦彦が好き」っていうのは問題のある表現ですね(笑)、寝ている人にキスする描写が好き、ですね。「ピングドラム」でもやっている。
ずみん 
あー(笑)
益岡 
では、次、ますくさん。
ますく堂 
はい。ますく堂です。一話だけ観たとき、正直もう観るのやめようかと……
一同 (笑)
ますく堂 
益岡さんに「ちょっとこれ無理」って言ったら、「絶対面白くなるから」って言われて……
益岡 
私の立場からしたらそう言うしかないよね(笑)
ますく堂 
もう座談会の日にちも決まってたんで、頑張りました(笑)
確かに物語として面白くなりそうな予感はしてたんで、仕方なく、仕方なく二話目を見てたらすいすい最後まで、一気に見てしまいました。あの面白さは何なんだろうな、みたいな。
ただ、私は親子関係のトラブルとか、そういうところをもっと突っ込んで欲しかったなと思いながら観ていた。BLとかあったけど、すごいサラッとしていて、全然ドロッとしてなかった。これは中学生を主人公としたアニメだからなのか……作者はどこに大きいメッセージを置いていたのか、皆さんはそこをどう観たのかを教えて欲しいな、と思いながら来ました。私は、一稀の弟の春河が交通事故にあったあたりのエピソード、それにまつわる感情の部分なんかをもっと突っ込んで欲しかったと個人的に思うんですけど。
でも、なんか色々問題をぶっ込んで、それが深く語られないままに進んでいくんだけれど、それでも、私もすいすい観てしまって、それはやっぱり、つくりがうまいのかな、と思いました。以上です。
益岡 
ありがとうございます。では、トットさん。
トット 
トットです。僕は「少女革命ウテナ」は寺山修司経由で観ていて、作品の「演劇性」を楽しんだし、さっきも少し語られていたと思うのですが、「幾原邦彦と演劇」というテーマにも興味がある。
自分は、ジャニーズとプロレスが好きなんですけど、これらのジャンルでは「時の流れ」がリアルなものとして物語に絡んでくる。時間が生む味というか、関係性というもの、この間の武藤敬司の引退試合などもそうなんですけど、そういう部分に醍醐味があると感じます。「さらざんまい」も、最終回のあの大団円。三年後というエンディングありきの面白さだったな。あそこだけでいいっていうぐらい、良かったですね。
《ますく堂なまけもの叢書》のこれまでのテーマで言えば、ジャニーズの「少年たち」であるとか……「さらざんまい」は、幾原さんの中ではかなりカジュアルに、キャッチーに自分を押し出した作品だと思うのですが、その点は、須永朝彦さんでいうところの「天使」を思わせるところがあって、凄く益岡さん好みの……
一同 (笑)
トット 
筋の通ったチョイスだな、と思って……
益岡 
「また、こんなの観て」っていう(笑)
トット 
今回も楽しみにしています。よろしくお願いします。
近藤 
久慈悠が帰ってくるラストは重要ですよね。一度、少年院に入って、現実的な罰を受けて帰ってくるという展開は素晴らしかったですね。
ずみん 
イクニ、変わったな、と。
水上 
それは大きいですよね。
益岡 
地に足がついた、という。
水上 
いつももうひとつの世界に消えていって終わるから、消えなかったというのは大きな変化ですよね。
ずみん 
現実で罪を償って終わったというのは……
ティーヌ 
今までは車に乗って消えちゃったりしてたもんね。
ヘイデン 
ヘイデンです。《ますく堂なまけもの叢書》には、読書サロンに参加した縁で、「おっさんずラブ」の号から、色々と参加しています。
私は、「ウテナ」は原作というか、漫画版は、多分読んだと思うんですね。さいとうちほは「少女コミック」時代から読んでいたので。元々、アニメを見る文化が家にはなくて、「ドラえもん」ぐらいは見てたかなっていう程度なので、アニメを語る資質はあまりないな、と思うんですが……もっとも、BLアニメは好きなので「世界一初恋」なんかはがっつり観ています(笑)
今回この作品を観て、欲望と愛と「搾取」と……そういうことがテーマになったので、賛否色々あるだろうな、と。私自身は、「宮台真司み」をすごく感じたんですね。
さっき出てきた「箱」の議論、幾原作品における一貫したテーマなんだということは知らなかったので、あれはAmazonの箱を使って「欲望」を表象しているのだろうな、と解釈していました。今、ネットをつかっていると、すごくリコメンド(お奨め)されるじゃないですが。AIが自動的に「オススメ」をどんどん流してくる。
スマホ一台あれば自分の欲望がどんどん感知されていってしまうっていう中で、「果たしてそれは本当にあなたの欲しいものですか?」っていうようなところを問われているんじゃないかと。
だから、欲望がいけないわけではなくて、その中で自分が本当に必要としているものを、それが愛なのかどうかわからないけれども、そういうところを、ちゃんと見ていった方がいいよっていうような話なんじゃないかなと思っていて、私もさっき益岡さんの言ったように、ちょっと「ボーイズクラブみ」がすごいあるなと、女性が登場しないなっていうのは感じていたんですが、先ほどの銀河さんの話を聞いて、男性が自分の欲望を表に出してみんなで語り合えないっていう、男性の生きづらさみたいなのがテーマとしてあるように感じました。
主人公たちを十四歳という年齢設定にすることで、まだ、子どもたちはそういう、生きづらさの表明ができるし、ぶつけ合うことができるんだということを描いているのではないかと思うんですね。漏洩する色々な欲望を「ああ、こういうことを考えてる人たちもいるんだ」ということを、思春期の前半の部分で知っておけば、自分しか理解できないんじゃないかと思い込んでいる欲望を語り合える大人になることができるんじゃないか。なってほしいなっていう希望を抱きました。
あと、近親相姦がすごいテーマになっていると思っていて、私にとって「近親相姦」というのはすごく興味深い、好きなテーマなんです。
というのも、同性の近親相姦がなぜ禁止されているか私には理解できなくて、それは同性間ならば子どもができないから、生殖ができないからなんです。ここに、「近親相姦は子どもができるからダメなんです」っていう理屈をあてはめることはできない。BL好きの中でも近親相姦ものには嫌悪感があるという人もいるけれども、私は、そういう理由で兄弟BLとかも普通に読める。なぜそれがいけないのかっていう理由が、BLについては示すことができないと思うし、それを肯定しているようなところが私は逆にすごい好きで……「さらざんまい」における久慈兄弟の関係性を「兄弟BL」と見なすことはできると思うのですが、そういうところはとても好きだな、と思って観ていました。
ただ、やっぱり子どもの性的搾取みたいなところは気になりますね。子どもの頃の性的欲望は、私は大事にしたほうがいいと思うけれど、その欲望が加害になる──被害者を生むということは避けなければならない。
さっきも出て来たけど、笛くわえちゃったりするじゃない? ああいうのは、現実の教育現場でも実際に起きて問題になることなんですが、そうした、自身の欲望をやみくもに現実世界で行動に移すことが肯定されるような描写については、残念に思いました。「燕太のやっていることはダメなんだ」というところまでちゃんと落とし込めれば本当は良かったんだけど、このアニメは残念ながら、そこまでには至っていない。
この作品には、様々なフェティシズムが登場するけれど、今の子どもたちは、そういうものをネットなんかで観て、それを「してもいいこと」として、「パートナーにぶつけていいこと」として内面化してしまっている面がある。そういう欲望をパートナーとどう話し合って、昇華していくのか──「さらざんまい」で言えば、燕太が一稀に、上手に思いを伝えたり、自分の欲求を表明するためにはどうすればいいのかということが描かれればよかったと思うんだけど、残念ながらそれは描かれていない。全編にわたってアナルセックスが象徴的に描かれた作品ではあると思うけれど、少なくとも主人公たち──子どもたちにとって、それは答えじゃないよな、と。
ただ、そういう欲望を実現するための「つながり」がどういうものか、どうしたらそれが得られるのか、それがわからなくて非常に不安になるから、子どもたちは何か目に見えるものを求めてしまうのかな、という……そういう彼らの世代のリアルは、描かれているのではないかという印象は持ちました。
この生きづらい社会の中で、ただ、消費欲……欲望っていうより「消費欲」を感じさせられて、でも、それを実現するための「つながり」は持っていない──では、その「つながり」をどうやって見つけていけばいいか──それがこのアニメに描かれていることだと思うのですが、それは非常に現代的なテーマだと思うので、その点もすごくよかったです。
ただ、ちょっと短かったので……こんなに短くサラッと終わっちゃって、もっと深掘りすれば、それこそジャンクなセックスじゃなくて本当につながりのあるセックスを実現するにはどうしたらいいかという宮台理論みたいなところまで行けたんじゃないかとも思うんですね。もっと長くやれれば、そういうことを子どもたちに伝えるっていうアニメにもなっていけたんじゃないかと、そうした点はちょっと残念にも感じました。以上です。よろしくお願いします。
新宮 
新宮です。益岡くんの大学の文芸部つながりで来ました。
これまで誰も演出について言及していないのですが、毎回必ずミュージカルシーンが入るというところ、あれってすごい特異だな、と。他のアニメってたぶんないんじゃないかなっていうふうに思ってたんですよね。
ティーヌ 
え、ロボットアニメとかでよくあるんじゃないですか? 急に音楽が鳴って、木がなびいて、ウィーン、ガシャン、みたいな。
新宮 
歌はないんじゃないですかね。
ティーヌ 
え、そう?
ずみん 
登場人物は歌わないかもね。
新宮 
登場人物が歌ったり踊ってたりはしないですよね。
ティーヌ 
「おジャ魔女どれみ」とかは?
ずみん 
あれも歌ってはいない。
ティーヌ 
変身してるだけ?
ずみん 
変身してるだけです。
新宮 
こういう、ミュージカルシーンが必ず入るみたいな演出は、あまりないんじゃないですかね。
ずみん 
キャラクター自体が歌うのは珍しいですけど、音楽と歌が印象的に使われる手法は、幾原邦彦がよく使う手なので、そういうもんなんだって思っちゃってた(笑)
新宮 
この間、「RRR」ってインド映画を観たんですけど……まあ、あの作品は、あんまり歌うことはなかったんだけど……
美夜日 
インド映画なのに?
新宮 
うん。他のインド映画は感情表現として、歌ったり踊ったりする。「さらざんまい」は多分、発生源は違うんだろうけれど、似たような表現方法だなあ、と感じました。なんでそういう演出方法に至ったのかはわからないんですけど、日本のアニメ作品にはあまりない手法だな、という印象は受けましたね。
あと、既に言及があったように、ストーリーはわりとめちゃくちゃっていうか。
一同 (笑)
新宮 
あまりそこを細かく突っ込んで観る作品じゃないんじゃないかな、と個人的には思いました。あと、このアニメは「ノイタミナ」枠ということで、ちゃんと予算があるということなんでしょうけれど、キャストが豪華ですよね。
ずみん 
そうですね。
新宮 
黒田崇矢さんに「ウッソー」とか。
ずみん 
そうですね。黒田崇矢さんに「ウッソー」って言わせてるのはすごい(笑)
美夜日 
ケッピ王子だって諏訪部順一ですよ。
水上 
そうそう。
新宮 
久慈誓役の津田健次郎さんなんか、今、すごいいろんなところに出てるよね。
近藤 
ヤクザが似合う声優……
ずみん 
弟(久慈悠)役も釘宮理恵だし。
新宮 
津田健次郎さんはこのあいだ、「シン・ウルトラマン」でザラブ星人の役やってましたよ。
美夜日 
「斎藤工を攫うBL」ですね(笑)
新宮 
予告編で、「ウルトラマン、お前はもう私のものだ」って言ってたね。
美夜日 
手を握ってましたね。
益岡 
はい(笑)
新宮 
はい。以上です(笑)
益岡 
それでは、みなさんの話が一周したので……ちょっと、休憩しますか。ちょっと、色々な話が出てき過ぎちゃったので(笑)
ずみん 
かなり色々ありますね。
益岡 
いろんなものがありますから、休憩後に、順次、拾ってお話していきたいと思います。色々と資料も持ってきましたので、休憩中に観てみて下さい。「さらざんまい展」の図録とか、原画集とか、特集記事の載った「an・an」とか、レオマブのTwitterを書籍化したもの、スタッフの皆さんが出した公式の同人誌なんかも……色々ありますから。
美夜日 
益岡さんが、搾取されて買った数々のグッズも……
益岡 
いつの間にこんなに買ってたんだと思いますけどね。「さらざんまい展」で売ってた人形焼きの包み紙とか(笑)
あ、今更ですけど、今日、着ているのはコミケの「ノイタミナ」ブースで買った「欲望搾取Tシャツ」です。あと、プレミアム・バンダイが完全受注生産で販売したレオマブの指輪もあります。二つのリングがひとつになっていて、うまく組み合わさるとカワウソのマークが完成するデザインになっています。
美夜日 
これ、写真載せた方がいいですよ(笑)
益岡 
まあ、色々なものがありますから、休憩中に、是非、眺めて頂けるとよいかと思います。それではいったん、おつかれさまでした。

休憩が休憩にならない異常事態
イクニ演出を巡る論議


ティーヌ 
私、新宮さんがおっしゃってた「演出が変」っていう意見にすごいびっくりして……私、なんでもかんでもアニメって……坂を駆け登ったりするときに主題歌流れたりするじゃん? あれ歌ってると思ってたけど。
新宮 
あれはただ、テーマ曲が流れてるだけなんだよね。
益岡 
そうだね。ただ、「さらざんまい」はさ、例えば感情の昂ぶりみたいなのの比喩として歌わせてんじゃないんだよね。「さらざんまい」という営み自体が、この歌を歌う儀式なんだよ。これがバトルシーンなんですよ。
ティーヌ 
でもそれ、私もさ、「モノノ怪」っていう深夜アニメが好きなんだけど、怪異と対峙するときにコトホギをするわけですよ。決まったセリフを。あれと同じだなと思って。
益岡 
まあ、アニメだから音楽を鳴らすことができる、歌わせることができるという……これは漫画や小説にはないところだから、それをどう使うかというのは、ひとつ、製作者の腕が問われるところになってきますよね。
ティーヌ 
動くことができるっていうね。
近藤 
「モノノ怪」もそうなんですけど、東映動画っていう老舗のアニメスタジオがあって、「プリキュアシリーズ」なんかを作っているんですけど、歌とアニメがセットになっているというのは東映動画の伝統だと思うんですね。バンク(※特定の映像を使いまわす手法)シーンをつくる、というのは。
幾原邦彦は東映動画の出身なので、その流れの中に幾原アニメもあるんだろうな、とは思いますね。
ずみん 
「セーラームーンシリーズ」もバンクシーンが印象的ですけど、「輪るピングドラム」の「生存戦略」シーンを初めて見た時、すごく「セーラームーンだ!」って思いましたね。
近藤 
子どもが裸になる描写があるので、私はあんまり好きじゃないんですけど……幾原邦彦は中学生の女の子にこのバンクシーンをやらせてきたわけで、それを今回は男の子に対してもちゃんとやっているっていうのが、「幾原邦彦文脈」としては意味があるんだけれど、そこから外れた、もう少し広い文脈でとらえると、やっぱりちょっと危ういよな、と思いますね。少年少女を裸にするシーンをバンク化するというのは。だめだ、休憩じゃなくて本編みたいになっている(笑)
益岡 
そうだね、これはちょっと休憩にならない。
ずみん 
休憩にならないですね(笑)
益岡 
新宮くんが指摘していたあたりね、演出の問題とか……ある種のセルフパロディになっている表現とか、もう、自然過ぎちゃって……
駄々猫 
見ればすぐわかるんですか?
益岡 
わかるんです。もうね、「そんなのわかって、すごいですね」って言われるのが恥ずかしいレベルのわかりよう。
水上 
そうですね。これは前提だから、みたいな。当然でしょう、みたいな。イクニをずっと見てるオタクには、わかっちゃうんです。
益岡 
わかっちゃい過ぎてね、逆にもう指摘もできないです。
水上 
「さらざんまい」の話の速さとかも……家族の話とか、まあ、「ピングドラム」でいっぱいやったもんね、みたいな。
ずみん 
そうですよね。「ピングドラム」で、さんざん親子の関係とかやったから。
水上 
だから、ここはちょっと三話ぐらいでおさめちゃおうと(笑)
弟が実は本当の家族じゃなくて、でもやっぱり本当の家族になるんだとか、多分、みんなもうやってる。
ヘイデン 
ファンの人はわかっている、と。
ずみん 
「ピングドラム」でさんざん家族ごっこはやったから。これね、予習してきましたみたいな。もういいでしょう、みたいな。
水上 
そうそうそう。逆に、そういうファンを前提としているから、なんかすごい不親切っていうか……
駄々猫 
初心者にやさしくないでしょ?
水上 
そうそうそう。
近藤 
でも、一方で、オタクだからそう思うだけで、初見の人は別に、初見の人なりの消化の仕方をしてるわけだから……オタクはすぐ、「これ、観てないと分からないでしょ」って言いがちだけど。
水上 
実は観ていなくても大丈夫だ、と。
益岡 
もうちょっとしたら再開しましょうか。ちょっと、会話のレベル感的には、もはや休憩じゃない(笑)
ずみん 
猛者が揃いすぎていて(笑)
近藤 
「さらざんまい」は、「幾原邦彦回答編」っていう感じがしますよね。今まで投げてきたテーマに改めて答えて自らの成長を示す、というような。
水上 
たしかに。
近藤 
幾原邦彦、成長したなって思いましたね。
美夜日 
それを見守るオタクたち(笑)
ずみん 
たしかに、成長したなって思いましたよね、ラストで。
水上 
ね。演出面ではね、漏洩シーンの「これからこれをやります」とか、すごいよね。謎の演出。好き。すごく気持ちいい。
近藤 
幾原にね、染まり切ってるから。こういうの出てくると、「よっ、イクハラ屋!」みたいな感じになる。
美夜日 
思わず叫んじゃうんだ。
ずみん 
伝統芸能だ。
水上 
そう、伝統芸能。
益岡 
まあ、幾原作品を「歌舞伎みたいに観る」っていうのは、自然な感じがしますね。
ティーヌ 
ミュージカルとかね。
駄々猫 
ミュージカル嫌いなひとって「なんでいきなり歌いだすのかわからない」って言うよね。
ずみん 
定番のミュージカルディスりですね。
益岡 
タモリさんだ(笑)
近藤 
それにしても、幾原邦彦は本当に音楽の使い方が天才的にうまいですよね。
水上 
そう。うまい。
近藤 
最終回のクライマックスシーンで「さらざんまいのうた」が流れているとき、三人を助けるためにレオマブがやってくるのとあわせて、「カワウソイヤァ」が流れるところ。本当に素晴らしい!
益岡 
ドラマにあわせて音楽的にも、「レオマブ」が合流するわけですよね。
近藤 
あそこ観ると、いっつも泣いちゃう。
水上 
泣いちゃう、泣いちゃう。
益岡 
僕もあそこ観ていつも泣きますよ。池袋で「さらざんまい展」があったとき、あのシーンの原画の前で、僕、泣いてましたからね。そうやって、おじさんが泣いている隣で、品の良いお姉さまがぎょっとしていらっしゃる、という(笑)
一同 (笑)
近藤 
でも、わかります。幾原邦彦は本当に、音楽面での演出が素晴らしい。
益岡 
そうだね。
水上 
うん、泣いちゃう。
近藤 
また、この「さらざんまい」を劇場版の「ピングドラム」を観てから観ると……
水上 
これがあっての、あの劇場版だったんだな、と。
益岡 
あのね、そこへ行くと、劇場版「ピングドラム」を話したくなっちゃうので……
近藤 
するべきですよ!
益岡 
え? でも、そうすると知らない人が多くなりすぎちゃわない?
近藤 
私、是非、話したいことがあるので!
益岡 
あ、そうなの? じゃあ、そろそろ始めますか? 全然、休憩中って感じじゃなかったけど(笑)

※続きが気になった方は、「文学フリマ東京36」で頒布予定の『朝まで「さらざんまい」!』をお買い上げいただけると幸いです。

https://c.bunfree.net/p/tokyo36/29144

※イベント後の送付になりますが、通信販売(BOOTH)でも予約受付中です。よろしければご利用ください。

https://c.bunfree.net/p/tokyo36/29144


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?