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【短編小説】待ち人

「不倫じゃないわよ、アンチエイジング。」

そんなことを平気で言う。

「愛してほしいわけじゃない、奥さんと別れて欲しいわけでもないし、お金がほしいわけでもないの。」

そんな生き方をしている先輩がいる。
たしかに若々しい。40歳を超えたというのに永遠に30歳前半くらいの、いい具合の色気と美貌を兼ね備えている。ものすごく派手なわけじゃない、地味なわけでもない。シンプルな服を着こなし、映えた小物を持ち、サイズに合ったピンヒールを履いてきれいに歩く人だ。夏に着るシャツはシワひとつないほどにアイロンがされていて、冬に着るニットは毛玉ひとつなかった。それに加えて姿勢がよく美しい字をさらっと書いたりする。美鈴(みすず)という名前がしっくりくる人だった。

彼女はアンチエイジングの相手が3人いて、そのいずれの人も既婚者だった。年に1回だけ会う人もいれば、月に1度程度の割合で会う人もいるらしい。

「脱毛は毎月通うでしょ?でもシミ取りは年に1回。ネイルやマツパは数か月に1回でいいじゃない。それと同じ。私にとって彼らとのセックスはアンチエイジングなの。」

私の知っている限り、彼女は独身だし、結婚も出産の経験もない。おそらく恋人もいない。(アンチエイジングの相手を恋人に含めないのであれば)

「誰でもいいってわけじゃないの。私だってそれなりに選ばれてるし選んでいるのよ。愛が金に勝ったら不倫だし、金が愛に勝ったら風俗よ。私は彼らから愛も金も必要としていないんだもの。どちらにも属さないのよ。」

そんなことを躊躇なく私には話してくれたが、公にしている感じはなかった。そのことを知っているのは特定の、なおかつ歳下の同性者、つまり女性のみに限られた。おそらく私を含め指折り数えられるくらいの。だから私もそのことを他の誰かに「ここだけの話」として誰かにいうこともなかったし、彼女のその生き方が噂になることもなかった。

彼女とは職場が同じで先輩と後輩という間柄であったが、私が転職してからは同士のような関係に変わっていった。彼女は敬語で話されるのを嫌っていたが、名前だけはさん付けで呼んでいた。

「ねえ私のこと変わってると思う?」
彼女からアンチエイジングの話を聞かされて、1年ほど経った頃、カフェで欲しいブランドの財布について話をしている最中にふと聞いてきた。

「それはボッテガヴェネタの財布の色の話?それともアンチエイジングの話?」

「どちらもよ。」

驚いた。彼女は断言的に話をするだけで、そういうことに関して(とくにアンチエイジングの話については)人の意見を聞いたりすることはなかった。

「どちらも多数派ではないんじゃないかな。」
私がそう答えると彼女は足を組み直して、また私に質問してきた。

「そうね、反対する人は多いわ。あなたも反対?」

「ボッテガヴェネタの緑に関しては賛成だよ。すごく似合っているし、多くの人が持っていない色を持つのが美鈴さんらしいよ。別に多数派の黒やベージュにのっかる必要はないと思う。」

「もうひとつのほうは?」

「もうひとつのほうに関しては、あくまで個人的な見解だけど。。。傷ついていないようで、傷ついている。ほらジェルネイルみたいに。自分の爪を削って傷つけてその上にきれいな色をコーティングし続けていくでしょ?剥がしてしまったら脆くなっていて表面が白く削れていて。それが嫌で、半永久的にその傷に色を流し込んでいく。まるで自分を隠すように。そんな風に見えるときがある。たまにね。でもまあジェルネイルはさ、今はもう多数派だけどね。もはやしていない私のほうが少数派だから。」

「そうね、ボッテガヴェネタは緑にするよ。」

その後は、また違う話になった。今日のコーヒーは少し苦いとか、今やってる月9の感想とか。そんなたわいも無い話を。

その日以降、彼女からの連絡はなくなった。転職後はたしかに数ヶ月に一回くらいのペースにダウンしていたが、半年経っても1年経っても彼女から連絡はなかった。そして私もできなかった。財布の色が緑でなかったらどうしようという不安もあったし、もうひとつの答えが彼女をひどく傷つけたかもしれないと思っていたから。これは私の推測で本当のところは分からないけれど、彼女は誰かを待っていた。その誰かはどこか遠くにいて、それは物理的なことなのか心情的なことなのかは分からないけど長い時間を待人として、いつ現れても、もしくは迎えにきてもいいように。月日増すごとに感じる老いをどうにか振り払う為にアンチエイジングは必要だった。そう仮定して、既婚者のみを相手に選んでいたこと、愛を必要としなかったこと、お金も強要しなかったことが、うまいことリンクする。彼女ほどの人を待たせる人ってどんな人なんだろう。何が彼女をそうさせたのだろう。そんな疑問もあくまで私が空想としている彼女の人生に過ぎず答え合わせはできずにいる。

彼女は今年で43歳になるはずだ。女性として選択しなければいけないこともあるだろうう。ひとつだけ、緑色の財布を持っていてくれたらいいなと思う。

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