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生きづらさを抱える活字中毒者【創作大賞2024 エッセイ部門2024】

日常生活を送るなかで「周囲の文字や文章が気になって仕方がない」。こういうことありませんか?

人によってタイプは様々ですが、世間ではこれを「活字中毒」と言います。

ではそれは果たしてどんな状態を示すのか、著者の過去の出来事を通して紐解いていきましょう。


1.執着も過ぎれば病となる


活字中毒とは、文章や文字を読むことに執着する人々のこと。

とはいえ、活字中毒というとなんだか大袈裟ですね。まるで病院に通い、治療を受けなくてはいけない重い病のようにも感じられるじゃありませんか。このネガティブな感情を押し出した字面の悪さは、活字中毒者達が自分達をどこか卑下して呼ぶからでしょう。

日本には、子供を可愛がる両親「親ばか」という表現や、「下手の横好き」など自らをへりくだって表現することわざあるくらいです。そこから導き出せるのは、日本人とは「好きなもの」あるいは「得意なこと」を素直に表に出すことをよしとしない民族性を持つことが分かるのではないでしょうか?

けれども、この「活字中毒」からはそうした卑下することや、へりくだりに加え「自分達だけその良さを分かればいい」とでも言いたげな壁を感じますね。かくいう筆者も活字中毒なわけでして、その心はなかなかどうして複雑。

活字中毒者は、読書では満足できず、書籍のあとがきや引用文献、奥書、作者紹介などありとあらゆる部分を読み込むのが一般的です。

さらに病状が進むと書籍では足りず、日常の至るところにある文字を得ようとする、文字に飢えた獣のようなところもあります。それは新聞、食材の原材料、取扱説明書を読むこと。外出すればSNSで文字を流し見し、電車の中刷り広告を読むような日々。

文字通り、活字がないと生きていけないわけです。

筆者の場合、仕事柄、読みながらうっかり校正までしてしまいそうになることも。そんな仕事病を兼ねているので最早、重病患者。

活字中毒についての心を複雑と言ったのはまさにそういうことで、ひとりとしてまったく同じタイプはいないのです。かといって活字中毒同士も理解し合えないのかというと、そうわけでもなく結構なんとかなるもの。

2.世間とのずれ

筆者は子供時代から大人になるまで、このように文字に熱烈な思いを抱く人々としか交流せずに育ってきました。社会人になってからも、読書が好きで似たような趣味を持つコミュニティで仕事をしていました。友人達が会社の人々との交流に悩むなか、筆者にそんな心配は必要なかったので、ある意味幸福な職場とも言えるかもしれません。

けれど完全に無いわけでもなく、通っていた美容室の担当美容師が「文字などなにくそ」というような人間で辟易したことがありました。筆者は別に趣味が合わないからと、相手の好きなものを馬鹿にしたり攻撃するなんてことはありません。分かり合えなくても、それはそれと納得すればいい。ただそれだけです。

なのに美容師はあまりに活字への愛着がなく、もっと言えば蛇蝎のごとく嫌っている人でした。例とするならば、小説を読むくらいならば、映像化したものを見れば充分などと宣います。小説とそれを元にした映像はイコールにはなりませんが、興味がなければそれでもいいのでしょう。

問題は、その美容師が小説の良さをとことん扱き下ろす点です。文字を読むのが好きな人間の前で、それはそれは酷く言葉を使われました。分かり合えなくても構いません。けれど、何もそこまで言わなくてもいいのにと思うつらい時間でした。

そうそう人の事を嫌う性分ではないのですが、その美容師のことは今でも許すことができないでいます。何年も前のことなのにいまだに記憶に残ってるあたり、恨みは深いなとどこか他人事のように思います。

話を戻すと、活字中毒はそうじゃない人との対話がずれやすい面があるのです。紹介例は最も最悪なパターンでしたが、お互い友好的ならば趣味が違えど表面的な会話くらいは成立します。

3.活字中毒離れの予感


活字中毒、活字中毒とゲシュタルト崩壊しそうなほど書きましたが、ここ数年は活字を読む機会が減ってきています。相変わらず調味料の裏やラベルなどはよく読んでいるものの、小説や新書などの書籍を読む機会はとんと減りました。

 「読みたくない」わけではないけれど、「特に読まなくてといいか」と内心少しだけ思ってる部分もあります。というのも、仕事で毎日のように文章を書き続けているからです。文字を読むのも好きですが、実は書くのも好きなので、ありがたいことにそういう仕事に就けています。まぁその弊害とでも言うのか、1日の大半を書くことに従事し、仕事に必要な書籍を読むなどしていると、個人的な時間に何かを読む気にはあまりならないわけです。

それではよくない。別に他人に強いられているわけでもないのに、よくないと感じる。不思議な強迫観念です。ですが、それも仕方がありません。文字でしか得られない心の栄養や、悲喜こもごもがあることを知っているから読みたいのです。麻薬のような魅力を持つのが読書なのだから。

活字中毒離れと題しているが、実のところ離れることなどできないと自分自身がよく分かっているのです。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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