映画「思い出のマーニー」(幻想の世界と現実の世界)で癒やしのプロセスを検証する

先日(4/3)、金曜ロードSHOW!で「思い出のマーニー」をみました。主人公の杏奈がマーニーとの交流で癒やされ本来の姿をとりもどす。シンプルですが、その癒やされていくプロセスはとても奥が深いです。フィクションですが、「もしかしたらこのような癒やしのプロセスが本当にあるかも知れない」と錯覚してしまいそうな感覚をもったのです。


英国の児童文学作家ジョン・ロビンソンが1967年に発表した小説「思い出のマーニー」を映像化されたものです。
もちろん、原作に忠実ではなく、舞台は英国から北海道 釧路や厚岸の湿地や港町ですし、登場人物も変更されています。

物語は、整理・再編成されていますが、原作の持つテーマや、少女の心の移ろいは、しっかりと表現(映像化)されているそうです。

心を閉ざした杏奈(原作ではアンナ)は、悪化する喘息の療養のため、海辺の村へ。そこで、ひと夏の不思議な体験をします。

療養先の海辺の村で、海辺の屋敷に心惹かれ、夢の中にまで出てきます。そして夢の中に出てきた謎の少女「マーニー」と出会います。

それは偶然か、運命か、それとも幻想だったのでしょうか。

少しずつ心が癒やされていきます。そのプロセスがファンタジーに終わることなく、臨床心理学の知見からも理にかなったものであると臨床心理学者であり元文化庁長官、故・河合隼雄さんが『子どもの本を読む』にも書かれているのです。

先入観を持たずに、作品の「世界」へ深く入り込んで、ひらすら主観的に感じること。それは、その作品の「たましい」に触れること。

さらりと書いてありますが、とても難しい作業です。(笑)

心理でいうところの「主観性と間主観性(間主観的自己)」ということなのでしょうか。(間違っていたらご指摘願います)

作品の「世界」へ深く入り込んで、主観的に感じながらも、そこから離れて高いところから俯瞰してみる。そして、もう一人の自分が主観的に感じている自分を観察していくイメージなのでしょうか。そして、その作品の「たましい」を感じていく・・・。


これもとても難しい作業です!
とにかくリアリティ(幻想の世界と現実の世界)とは、何かを考えさせられました。


そんなオカルトチックな・・・。杏奈の体験した出来事(幻想の世界)を聞いた大人たちは誰もが一笑に付すでしょう。マーニーの少女時代と杏奈が偶然にも同世代(ふたりの関係は伏せますが)で特別な関係だったのです。「夢ではないのか」、「とうとう気が変になってしまったのか」・・・。大人の常識から考えると当然なことかも知れません。

心の優しい、何事にも寛大なベクさん夫婦の元に療養をかねて夏休みを過ごすことになったのも幸いしたと思う。何があっても温かく見守ってくれるし、受けとめてくれる。決して病人扱いなどしなかったから。

結果的に、杏奈は思う存分にリアリティ(幻想の世界と現実の世界)とを楽しむことができたのです。

すべて杏奈が創りだした幻想だったとしても、杏奈はマーニーと会っているときは、あたかもそこにいるかのように感じていたわけです。

認め合って、ぶつかり合って、また認め合う。ひと夏の間に、今まで成し遂げられなかったことを一度に経験したのです。

そして、顕在意識の中では、あれほどリアル(幻想の世界)な体験が最後の方では、断片的な記憶へと薄れていきます。

本来の杏奈を取り戻して、完全に現実の世界へもどったとき、一連の癒やしのプロセスは終わります。

杏奈にとって、ひと夏の出来事は、偶然というか、必然だったのでしょう。

“幻想”を“夢”と置き換えると、もしかしたら、私たちも夢を通して、杏奈と同じような素晴らしい「癒やしのプロセス」を体験することができるかもしれませんね!夢分析にも興味をもってしまいました。


あなたは、どんな「癒やしのプロセス」を体験してみたいでしょうか。

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