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その日、全世界で(第9章)

第9章 奈々子からの電話
 
 主人の様子がいつもと違う。私の話がまったく耳に入ってないように思える。上の空という感じで、ただただ口にご飯を入れているという感じだ。
 急に実母がいなくなったショックは、はかり知れないのかもしれない。でも、なんか様子が変だ。
 「お母さん家に行っていたの?何かあった?」
 「いや、何かあったというか、あれだな。どう言えばいいのかが難しくてさ」
 「誰に?何を言うのが難しいの?」
 「近所の人に。お母さんがなぜいなくなったかを聞かれたときの・・・」
 「そうか。そうだね。生きたまま天国に行きましたなんて話したら、きっと変人扱いされるわよね」
 「そう。だから、なんて言えばいいのかわからなくて」
 「確かに。それは、難しいね」
 「さっきも、家の窓を開けて空気を入れ替えていたら、隣の山田のおじいさんが来てさ、『お母さん見かけないけどどうしたんだい?』って聞かれてさ・・・いや、その、ちょっと色々ありまして・・・としか言えなくて。僕がうまく説明できないものだから、向こうが察して、こう言ってくれたんだ。『別に生きているならそれでいいのだよ。康介君がよく面倒見てくれるってお母さんが喜んでいたから、ずっとみてやってくれよな。それでさ、次の自治会の組長、お宅なのだけどさ、どうする?お母さんしばらく帰ってこないのだろ?先に石田さんにしてもらって、順番変えてもらうようにするか?』って・・・」
 なるほど、確かに難しい問題だ。自治会の組長は数年に一度は必ず回ってくるし、今回だけ先送りにしてもらっても、半年後にはしないといけない。義母にとって、とても快適な場所(世間の人は施設だと思うだろうが、じつは天国)が見つかったので、義母はそちらに引っ越しました。だから、家を処分することになりましたとしか言いようがないかもしれない。そう思って、主人にそのことを提案すると、気のない返事が返ってきたので、私はこう返した。
 「お義母さんに会うには、康介がクリスチャンになるしかないよ。私はちなみにもう信じたからね。由香やココに言われたときになぜ信じなかったのかと自分で自分が腹立たしいけど、もうすっかり信じているからね。いろいろ分からないことだらけだけど、信じた。『福音の3要素』っていうのが分かったし、それを信じることができたから、私はもうクリスチャンだからね!」
 私がこう言った途端、主人の顔がパッと明るくなった。
 「ほんとに?ほんとに信じたの?あれだけ宗教嫌いだったみゆが・・・本当?」
 「そう。いっぱいYouTube動画を見てわかったから、信じた」
 「良かったー。実は僕も信じたいと思っていたんだ。何をどうすればいいのかがわからないけれど。大体、福音の3要素って何?」
 「まず、イエス・キリストは私たちの罪のために十字架上で死なれたこと、そして墓に葬られたこと、それから3日後によみがえられたこと、この3つを信じるなら、あなたは救われています!と牧師先生が話されていたわ。この3つが福音の3要素だって。私は罪っていうものがよくわからなかったのだけど、わかる?」
 「じつは、お母さんから少し聞いていたんだ。罪っていうのが何かを。いわゆる刑法にふれることが罪なのではなくて、神様から離れて生きること、そして、心の中にあるさまざまな思い、例えば淫らな行い、好色、嫉み、憤り、争い、敵意、そねみなどがすべて罪だって。だから、この世に誕生している人間で神様から見て罪を犯していない人は誰もいないって聞かされたよ」
 「そういう会話をしていたのね。知らなかった」
 「話したら、宗教嫌いのみゆが怒ると思ってね、話さなかった。けど、亮介や勇太には話していたんだ」
 「そうなの?知らなかったー。じゃ、もしかして、みんな興味があったのね?私が宗教嫌いだから遠慮していたってこと?」
 「信じたいと思ったのは、携挙が起きてからだけどね。やっぱりそれまでは、信じる気にはなれなかった。勇太も亮介もそうだよ。僕たちの周りのクリスチャン5人がいなくなったことで、目が開かれたって感じかな」
 「じゃあ、今日の晩みんなで色々話をしましょうよ。それまでに、仕事を終わらせないとね」
 なぜか私も主人も元気になっていた。家族全員が信じたいと思っていたことを知って嬉しかったのかもしれない。私は愛する人々に取り残されてしまったが、今はいつの日か再会できるという喜びと同じ神様を信じることが出来たという安堵感で満たされている。
 家族みんなで早く色々な話がしたくて、夕飯は簡単にできるタコライスにした。いつもより、多めのひき肉にナツメグを振りかけ、カレー粉も少し多めに入れて炒める、あとはケチャップ、ウスターソース、塩コショウを加えてさらに炒めれば出来上がり。どんぶりの上に多めのごはんを入れて、千切りのレタスを引いて、炒めたひき肉を入れ、一人5個分ほどのミニトマトを半分に切って飾り、最後にとろけるチーズをのせて完成。我が家の男たちの大好きで簡単な料理を用意して、亮介と勇太の帰りを待った。
 電話が鳴った。知らない電話番号だ。今は午後6時30分。これは、今日話していた奈々子からではないか?奈々子は午後6時以降なら電話ができると由香のお母さんに話していた。これは奈々子だ。
 「もしもし」
 「もしもし、みゆ?奈々子。覚えてくれている?その声、みゆだよね?久しぶり」
 「ほんと、久しぶりだね。奈々子の結婚式以来だね」
 「実は、私、ココと由香に誘われてココたちの教会に通っていたのよ。つい最近まで」
 「そうだったの?全然知らなかった。由香やココからは何も聞いてなかったわ」
 「多分、教会に私まで通っていると話すと、みゆが警戒心をもっと抱くと感じたのかもね。由香達から、みゆは断固拒否の状態だと聞いていたし、そんなみゆに対する由香たちの気遣いだったんじゃないかな?私は断固拒否ではなかったけど、もう一歩がどうしても踏み込めなくて、いつも由香とココに祈ってもらっていたから」
 「そうだったのね」
 「だから、みゆももう何が起こったか分かっているよね。なんで由香やココがいなくなったかわかるよね?携挙のこと、聞いていたものね?」
 「うん。聞いていた。でも、まったく信じてなかった。ありえない話だと思っていたから」
 「そうだよね。私は、あの日も礼拝後、由香とココがみゆとランチに行くことも聞いていたの。でも私が行くと、またみゆが警戒心を持つだろうということで、私は行かなかったの。でも、みゆの家に行く前に3人で祈ったんだよ。みゆの心が柔らかくなりますように。あなたの愛がわかりますようにって」
 「そうだったんだね。由香達は気を遣ってわざと楽しい思い出話ばかりしてくれていたのに、私は自分から『携挙』のことを切り出して、けんか腰にものを言うだけ言って大泣きしてしまって・・・。おまけに、色々優しく説明してくれたココに対して、頭が混乱する、今日はもう無理って言って・・・最悪でしょ」
 「そんなことないよ、大丈夫だよ。実はね、ココから、今みゆを送ったところだと夕方にメールが来たの。『今日のみゆは自分から色々質問してくれた。だから、少し興味が出てきたのだと思う。これは、とてもいい傾向だから、引き続き祈っていくし、会っていくつもり。みゆと奈々子の二人ともが信じることができるように、これからも祈っているからね』って」
 「そうだったんだ。あの日、携挙が起こる前に奈々子はココからメールをもらっていたんだね」
 「そう。だから、本当に、あの日、あの夜はびっくりしたと同時に・・・なんでもっと早く決心しなかったのかとすぐに後悔した。涙と共に『主よ。なかなか信じることが出来なかった私を赦してください。信じます』って、一瞬で信じた。そもそも、あの晩のニュースがあって、すぐに教会のメンバーに知っている限りメールや電話をしたけれど、本当に誰とも連絡がとれなくて、すぐに、いつも話してくれていた携挙が起きたと分かった」 
 「私もネットニュースで世界中の人がいなくなったと聞いてすぐに由香とココに連絡をとって・・・だけど出てくれなくて。ココに自分から色々質問しておきながら大泣きして帰って、その日にまさか・・・」
 「そうだよね、わかる。私はすぐに翌朝教会に行ったの。もちろん誰もいなかったけど、教会堂には鍵がかかってなくていつも通り入れた。そして、自分のメールボックスを見に行ったの。クリスチャンでなくても、ある程度通い続けている人には、メールボックスというものが個人に与えられているのね。よくココや由香、そして牧師先生が私のメールボックスに手紙や本を入れてくれていたわ」
 「由香やココは奈々子にも熱心に色々教えてくれていたのね」
 「そうなの。私は、もう聖書のことは大体理解できていたのね。でも、携挙とその後に起こるとされている終末論がどうしても非現実的だと思って信じることができなかったのよ・・・。実はね、もう1か月くらい前から、みゆ宛の手紙と由香のご両親宛ての手紙を由香から預かっていたの。携挙が起こったら、渡してほしいって言われて。私は失くすのが怖かったから、それをずっと教会の私のメールボックスに入れっぱなしにしていたの。だから、取りに行ったってわけ」
 「でもどうして、奈々子に渡したのかな?由香はご両親に携挙がいつ起きてもいいようにと、鍵のかからない机の引き出しに携帯のパスコードやその他の貴重品などを入れていたと聞いたし、そこに手紙を入れておくこともできただろうに」
 「携挙が起きたことを前提に書いた手紙だからだと思うよ。その引き出しに入れていたら、ご両親が携挙の前に読んでしまう可能性もあるじゃない?それに私がよく冗談で、『携挙が起きたら、さすがに私も信じるだろうから、その時は私に任せて。私が由香のご両親とみゆに伝道するから』って言っていたのよ。本当に冗談で。私は内心、携挙なんてあるわけないと思っていたから」
 「なるほどー。携挙を信じていない奈々子にしたら、渡すことになるなんて思っていなかったのね」
 「そうなの。本当に、軽い冗談で言ったんだけど、由香は真に受けたの。私、みゆと違って由香とはそこまで親しくないし、ご両親ともまったく面識もないし、みゆに渡してもらおうと思って。もちろんみゆ宛の手紙も渡したいし、一度会ってもらえないかな?まだまだ話したいこともあるから。ちなみに先にこれだけは言っておかないとね。私、実は離婚して、また元の職場に戻っているのよ」
 私は奈々子が離婚したことも、会社に復帰したことも何も知らなかった。大手商社に勤める三高(高身長、高収入、高学歴)でイケメンの高木君と結婚した奈々子は、当時同級生から羨望の眼差しを向けられていた。そんな奈々子が離婚していたとは・・・。
 結局奈々子とは次の土曜日のお昼に会うことになった。みんなが通っていた教会近くのカフェで待ち合わせをすることにし、電話を切った。

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