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その日、全世界で(第4章)

第4章 ありえない話
 
 義母のリハビリセンターでの入院生活が始まり、我が家も落ち着いてきた。由香からのメールも毎日続き、祈ってくれている事も分かっていたので、転院したことと、義母の信じられないくらいの変わりようをメールで報告すると、お祝いしようとメールがきた。
 すぐさま、断りのメールをしようとしたら、先に由香からのメールが届いた。
 「ボーナスが入ったからおごるよ。みゆの好きなお寿司でも食べに行こうよ。私、高級なお寿司屋さんを知っているから」
 断るはずだった私の指が
 「ありがとう。いつにする?」
 と打っていた。この無意識の行動に私自身が驚いた。本当に食いしん坊な私。今さらながら自分の食い気にはあきれるばかりである。
 その次の金曜日、由香が予約してくれた二ツ星のお寿司屋さんに行った。樹齢数百年の木を使った一枚板のカウンターに座り、場違いな場所に来た気がして落ち着かず、私は周りをキョロキョロ見渡していた。
 メニューのようなものが見当たらない。時価ということなのか。値段がはっきりと分からずに食すというのは、一般庶民の私には考えられないことだ。格式高そうな店内に入り、緊張している私に、由香がニコッと笑いながらこう言った。
 「大丈夫。遠慮しなくていいよ。この店、実は親戚がオーナーで、家族や親せきの集まりなんかでよく来るの。だから、気にしないで。みゆは好き嫌いがないから、お任せコースでいくつもりだけど、いいよね?」
 「えっ。いいの?本当に?」
 私は、なんの遠慮もなくお任せコースをいただくことにした。それにしても、由香の親戚ってすごい。数十年来の友人だけど、こんな親戚がいるとは知らなかった。ただただ驚かされる。
 今までも、二人でお寿司屋さんに行ったことは何度もあるが、ネタがシャリの3倍あるお寿司屋さんか、破格の安さのお寿司屋さんにばかり行っていた。こんな格式高いお店には一度も二人で行ったことはなかった。
 早速、アワビの刺身が出てきた。最初から高級なものが出てくることに驚いた。高級な所に縁のない私はただただ、驚きながらもパクパクと金額を気にせず平らげた。食べ終わると同時くらいに、生蛸、イカ、スズキ、タイ、甘えび、マグロの握り寿司が次々とカウンター越しに渡された。
 よくテレビで見る光景だった。私は黙々と食べ、由香と顔を見合わせては最高!と言いながら食べ進めた。カウンターだし、大将との距離が近いのもあって、由香自身もあまり話しかけてこず、黙々と食べていた。
 ぶり、アナゴ、サーモン、いくら、ウニ、中トロ、大トロが次から次へと流れるように出てくる。堪能しながらも、値段が気になる私と、食べ慣れていて次から次へと食べ進める由香。箸が止まった私に
 「デザートは店を変えよう。ここだと話しにくいでしょ?だから、お寿司はここで食べたいだけ食べていいからね」
 と言い、ウインクをした。ウインクってこんなに自然にできるものなのかと感心しながら
 「では、遠慮なく」
 と、私は微笑みながら言い、ひたすら食べ進め、最後に巻物もいただいて腹八分目となったところで、すし屋を後にした。支払いは、私が化粧室に行っている間に、由香がカードで済ましてくれていたので総額いくらだったのかはまったくわからない。家族で行くお寿司屋さんと言えば、いつも回転ずしばかりだし、もうこの歳では誰もおごってくれなくなったから、由香は本当に貴重な存在なのである。
 その後、昭和時代から続いていそうな商店街の中にあるレトロな喫茶店に入り、私たちは二人して年甲斐もなく大きなチョコレートパフェとコーヒーを注文した。毎回、私たち二人は、どこに食べに行っても、締めに大きなパフェを食べて、コーヒーを飲む。これは学生時代からのお決まりなのである。
 「いきなりで悪いのだけど、今日どうしても話したい事話していい?」
 と由香が切り出してきた。思った以上に豪華なパフェが届いてまだ数分で、一番上に刺さっていたポッキーを食べ、次に手作りっぽいブラウニーを食べようとしていた時だった。
 「いいよ。でも、アイスが溶けるのは嫌だから、食べながら聞くけどいいよね?」
 そう言ってすぐに、それが高級寿司を奢ってくれた友人に対する態度か!ともう一人の自分が突っ込んできたので
 「うそうそ。食べるのは止める。で、なんの話?」
 と返した。
 「実は、気が狂ったと思われるかもしれないのだけど、いつかね、私たちクリスチャンが急にいなくなることになるらしいの。消えるっていうか、その…なんていうか。日本でどういう風に報道されるかはわからないけど」
 「えっ…?どういう意味?日本のクリスチャンがみんなで、日本以外のどこかにある日突然移住するってこと?」
 「私もね、最近、教会での聖書研究会で学んだばかりだから、じつはうまく説明できないのだけど、天国に生きたまま上がる日が突然来るらしいの」
 (あ、ダメだ。これはやばい。完全にカルトだ。どうしよう。お寿司をおごってもらったばかりだし。ここで何と言えばいいのかな。由香の教会の人おかしいよって言ったとしても、ココが通っている教会は私も知っている普通の教会で、カルトではないし。けれど、最近変な教えをするようになったのかもしれない。ココがこんなバカげたおとぎ話のようなことを信じているとは思えないけどなー)
 「ココと同じ教会でしょ?ココは、その研究会にはでてないの?」
 「ココがその研究会でリーダーをしていて、その教えをみんなに教えているのもココだよ」
 (あちゃー。聞くべきじゃなかった。どうしよう)
 「私はよくわからないけど、なんでクリスチャンが急に天国に生きたまま行くの?大体、生きたまま天国に行くってどういうこと?死んでもないのに、ありえなくない?」
 「そうよね。私もみゆと同じで意味がわからなくて同じ質問をココにしたの。そしたら、聖書でイエス様が天国でクリスチャンの家を用意してくれていて、その用意が済んだら迎えに来てくれるという約束があるってココが教えてくれたの」
 「なんで、日本のクリスチャンだけなの?」
 「違うよ。全世界のクリスチャンだよ。全世界でクリスチャンがある日突然いなくなるの。それが必ず起こるって。聖書にそう書いてあるって。で、ココが仲の良い人や家族にはこの事実を話しておいた方がいいよって。急にいなくなったら大騒ぎになるからって。それに、クリスチャンだけしか天国に行けないから、まだ信じていない人がいたら、イエス様を信じるように伝えないといけないって。だから、みゆには早く話しておきたかったの。ココが言うには、それはいつ起こるかわからないらしいから。それも、聖書にそう書いてあるって」
 「わかった。聞いた。聞いたよ。聞いたから、もう由香は気にしなくていいよ。私、聞いたから。でも、前にも話したけど、私は宗教には入らない。由香が信じることには反対しない。でも、私は無宗教がいいって前にも言ったよね。だから。もう話さないでほしい。もうしっかりと聞いたし、これ以上はもう言わないで」
 「ごめん。驚いたよね。だけど、ココが言うには、本当に今日その日が来るかもしれないし、明日かもしれない。5年後かもしれないし、10年後、20年後かもしれないって。だから、とにかくみゆには話しておきたかったの。私が急にいなくなっても驚かないように」
 「わかった。わかったよ。いなくなっても、天国にいるってことだよね。だから、心配しなくてもいいってことだよね。わかった。わかったから、パフェが溶ける前に早く食べよう」
 と話題を変え、必死にパフェを頬張った。ほかに何といえばよいのかわからなかったのだ。
 由香は、まだ何か言い足りなそうにしていたが、私のかたくなな態度にあきらめた様子で、パフェを食べ始めた。2、3分沈黙のまま、食べ続けた。美味しいパフェだったと思うが、この時の私には味がわからなかった。
 そんな時、夫からメールが来た。私にとっては良いタイミングだった。今日の帰りが何時になるかを聞いてきたメールだったが、
 「ごめん。なんか急ぎの仕事が入ったみたいで。もっとゆっくりしたかったけど、食べ終わったら帰るね」
 と、嘘を言い、早食い大会の参加者のような食べ方をして、一人分の会計を済まし、さっさと店を出た。
 自分でも、なぜこんなに逃げるように店を出たのか、由香に嘘までついて帰ろうとしたのかわからなかった。ただただ、由香と早く離れたかった。これ以上、由香の話を聞きたくなかった。それだけだった。
 いつものように、電車とバスを乗り継いで家に帰った。子供たちと主人は
 「なんで、こんなに早く帰ってきたの?由香ちゃんと遊びに行ったら、たいていいつもは終電くらいになるのに」
 と聞いてきた。今日由香から聞いたことすべてを話すと、勇太が
 「なんかよくある小説とか映画みたいだよね。ほんとにそんなこと信じるなんて由香ちゃん大丈夫かな?もしかして、由香ちゃんの教会って変な教会なんじゃない?今度クリスチャンの友達にきいてみるけど、僕はそんな話先輩からも聞いたことないよ」
 と、言ってきた。主人も
 「そうだな。ちょっと、それは心配だな。まあ、みゆの性格を俺より知っている由香ちゃんだから、もうこれ以上は言ってこないと思うけどね。みゆが頑固で自分の信念を変えない人だってことはわかっているだろうから」
 そう言いながら、リビングのソファーに座り、テレビをつけてプロ野球巨人阪神戦のナイター中継を見始めた。
 亮介は、携帯を手に取り、私が作っておいたチキンカレーをまだ食べていた。夫と勇太はすでに食べ終わっていたので、亮介は今帰ってきたのだろう。
 お寿司とパフェを食べてきたのに、カレーの匂いを嗅ぐとまたお腹がすいてきた。黙ってカレー皿にご飯を入れて、鍋のカレーを入れてチンすると
 「え?お母さん、たらふくお寿司とパフェ食べてきたでしょ?まじ?お母さん、本当に大食いYouTuberやりなよ」
 と、勇太に言われてしまった。
 私がカレーを持ってダイニングテーブルに行くと、
 「カレーお代わりしてもいい?」
 と亮介が聞いてきた。
 「いいよ。明日の朝は早い者勝ちになるけどね。多分、3人分はないと思うよ」
と返した。
 「お母さんが食べるからでしょ!」
 息子2人に同時に突っ込まれた。その通りである。私が食べなければ、明朝3人分はあったはずだ。
 亮介と二人でカレーを食べていると、亮介が
 「お母さん。由香ちゃんが話していた話だけどさ、『クリスチャン 消える』で検索してみて。そこに詳しく書いてあるよ。由香ちゃんの言ったとおりのことが書いてあるし、もっと詳しく書いてあるよ」
と言ってきた。
 「お母さんはいいわ。カレーが冷めるし。クリスチャンの人だけが知っていたらそれでいいんじゃない?お母さんには関係ないよ」
 と言い、これまたすごい勢いでカレーを完食した。カレーを完食すると、また甘いものが食べたくなった。無限ループの始まりだ。私は、冷凍庫に入れてあるチョコパイを食べ始めた。
 「お母さんだけずるくない?僕らの分あるの?」
 そう言いながら、亮介も勇太も冷凍庫からチョコパイをとって食べ始めた。
 「お母さんは、イライラすると無限に食べるからね。つぎ、また辛い物いくぜ、きっと」
 二人の息子は完全に私を理解していた。私はすでに、ポテトチップスに手を伸ばしていたのである。
 ポテトチップスまで完食すると、さすがにお腹が満たされた。それにしても、信じられない。大の大人が生きたまま天国に行くことを信じるなんて。まったく世も末だ。
 確かに今の世の中は混沌としている。世界中のあちこちで戦争が勃発し、コロナが蔓延して世界中で多数の死者が出た。そして、現在も第三次世界大戦がいつ始まってもおかしくない世界情勢だ。みんなが不安になっているからこそ、このようなバカげた話に惑わされる人もいるのだろう。
 私は、絶対に信じない。この世にあるもので信じられるのは、お金だけだ。お金さえあればなんでも買えるし、満たされる。すべてはお金だ。私は、宗教を信じないというより、人間を信用できないのだ。自分でそれがわかっている。
 今日という日は、きっと生まれて一番美味しいお寿司を食べた日でもあり、一番信じられない、ありえない話を聞いた日でもあった。頭も心も胃もすべてがいっぱいすぎて、とても苦しいし、眠れそうにない。ベッドに入っても、体は疲れてへとへとなのに、まったく眠気がこない。由香もココも気が狂ってしまった。こんなバカげた話を真剣に信じている。しかも由香の目はまっすぐに私を見ていて、確信に満ち、幸せそうだった。
 ふたりの信仰なのだから、私には関係がない。それなのに、なぜ私がイライラして、落ちつかないのかわからない。私は私だし、由香もココも私を無理やり信じさせようともしていない。なのに、なぜ私が眠れないのか。
 スヤスヤ眠るミルクの頭をなでたり、鼻を上下にさすったりしながら
 「そんなわけないよねー」
 と話しかけていると、ミルクは邪魔くさそうに
 「ニャー(うるさい!)」
 と言いながら顔を両前足で隠し、しっぽを大きく三回上下に振り落とし、もう邪魔するな!と全身で訴えてきた。
 ミルクにも拒否され、ボーっとしていると、ほぼ一睡もできないまま朝が来た。いつも通り、5時半に起きてお弁当と朝食を作り、生ゴミを出し、洗濯機をまわし、洗濯物をベランダに干し、軽く掃除を済ませて、ひと通りの家事を終えた。子供たちも学校へと出かけて行ったし、やっと朝食だ。毎朝5時半に起きても、朝食の時間は7時前になる。お腹が空きすぎてイライラしてきた。バナナを剥いてかじりながら、夫とやっと朝食にたどりつけると思ったその時、リハビリセンターに入院している義母から夫に電話がかかってきた。

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