21-なぜ問題が発生してくるのか②

私 「そうでしょ。聞くほうも『夢は?』と言いながら、職業を聞いている。」

小野「うん、うん。」

 

私 「だから、いつの間にか職業が目的に摩り替わってしまった。」

小野「ホントだ。」

 

私 「どういう人になりたい? どんな大人になりたい? とかそんなことは聞かれてきていない。『看護師になりたい』というと、『じゃ、あの高校に行って、こんな勉強をして・・。いやそれより、大学のほうがいい。』とかいつの間にか方法論ばかりになっていく。そして、その手段・方法が目的に摩り替わってしまう。あるいは「看護師は夜勤があってきついから、やめた方がいいよ。」なんて話になってしまう。小野さんが子供の頃、看護師になりたいと言ったのは、その奥に『人を助けたい』という思いがあったんじゃないのかな?」

 

小野「あ、そうです。」

 

私 「しかし、大人から職業を聞かれたから、職業を答えた。ましてや、子供のあなたが知っている職種なんてごくわずかだからね。そのいくつかの中から選ばなくちゃいけなかった。しかし、大人はその職業のことしか受け止めてないから、そこでずれてしまう。」

小野「たしかにそうです。私も子供にそんなことやってるかもしれない。」

 

私 「人を助けたい、お役に立ちたいという思いを成就するには、どんな仕事であろうがそれはできる。そして、純粋にさっきあなたが言った、思いやりがあって、優しくて、自信があって…。そういう自分になれたなら、最高の幸せが手に入るよね。そして、その幸せは何物にも揺るがない最高の幸せが手に入りそうだよね。」

小野「はい!」

 

私 「では、その中に、周りの人がどうだとか、お母さんが、お父さんが、会社がとか、そんなこと一言でも言っていますか?」

小野「言ってません。」

 

私 「言ってないでしょ?『私がこうなれば』と言っているでしょ?

『私がこうなれば最高の幸せが手に入ります!』と自分でわかっているんだよね。ならば、それをそのまま目指せばいい。それをストレートに求めれば、最高の幸せが手に入る。

しかし、今までもその最高の幸せは求めてきた。でも、今までのあなたは『周りの評価』『周りが変わること』『周りからもらうこと』でその幸せを得ようとしてこなかった? 周りに認めてもらうとか、褒めてもらうとか。あるいは、自分の都合のいいように周りが変わってくれるとか、地位や名誉も他人の評価だよね。中には自分を『犠牲』にすることで幸せを得ようとしている人もいる。そういうものを通じて幸せを得ようとしてこなかった?」

小野「そうでした。」

私 「あなたが幸せを求めていたのは間違いない。しかしその手段として『他人の評価や物』を通じてその幸せを求めようとしている人がたくさんいる。あるいは、自分を『犠牲』にすることで幸せを得ようとしている人もいる。」

小野「はい。私もそういうところがあります。」

私 「だからずれてしまった。他人の評価では『最高の幸せ』は手に入らない。だって、他人の評価というものは、国によっても、時代によっても、さらには人によっても違うし、たとえ同じ人であっても、その基準はその時のその人の都合や気分で常に変わるものだから。でも、それで人の目が気になって、右往左往しなくちゃいけなくなってしまう。そんな不確かなものを通じて幸せを得ようとしている人が沢山いる。」

小野「そうかもしれません。」

私 「でも時には幸せに感じるときもある。褒めたりされるとね。こういう私も、褒めてもらいたいし、褒めてもらうと嬉しい。けなされたり無視されたりするよりは遥かにいいもんね。しかし、それが目的になってしまうと、さらに認められるように頑張らなくちゃいけない。「◯」を誰かからもらい続けなくてはいけなくなる。

今までも幸せになりたくて確かに頑張ってきた。でもそれは、周りの評価を得るために、色んな手段を使って頑張ってきたんじゃないかな。中には、社会や常識が求める理想の人になるために、あるいは神様から認め許してもらうために、自分を高めようとしている人もいる。

あるいは自分をけなしたり否定したりすることで、許してもらおうとしたり、周りに気に入ってもらえる自分になることで、評価を得ようとしている人もいる。単純に『なりたい自分になる』ためではなかった。だからまたそこでずれてしまった。『自分を認めてくれた誰かが、幸せを与えてくれるんじゃないか』『自分を否定していたら、許してもらえるのではないか』『誰かから許してもらったら、あるいは神様が良いよと言ってくれたら、幸せになっても良いのかもしれない』と思っている人もいる。あなたはどうかな?」

小野「あ、そんな感覚どこかにあります。」

私 「そういう人は沢山いるみたいだよ。しかし一瞬手に入ったものも、実は幸せではなくて幸せのようなものだった。それは他人の評価で、自分を判断しよう。あるいは、自分を犠牲にすることで許可をもらおう、幸せを感じよう。もっと言えば、他人から幸せをもらおうとしていたから、いつまでたっても『自分の幸せ』にはなっていなかったということなんだよ。そして、幸せが手に入らないと、裏切られたとか、人のせいにしたりとか、どうせ無理だと勘違いしている人も多い。

そうやって、ほとんどの人が、他人の物差しで自分を計ろうとしている。そして、他人は自分の物差しで計ろうとしている。訳わかんないことをしていない? あなたは常に周りに認められる自分、時には許してもらえる自分を目指してきませんでしたか?」

小野「はい。そんな感覚あります。」

私 「結局それで苦しむことになったよね。そうではなくて、『私が、思いやりがあって、自信があって、全てを許して受け入れることが出来て、そういう自分になれたなら、最高の幸せが手に入る』ということが分かっている。では単純に、そのままを求めていけばいいということになってくる。そして、その幸せは何物にも揺るがないでしょ?」

小野「はい。」

私 「そう、何物にも揺るがない幸せが手に入る。そして、小野さんがいうような人は世の中にとって必要ですか? 不要ですか?」

小野「必要です。」

私 「必要だよね。ならば、そういう人には沢山の応援がやってくる。皆が力を貸してくれるようになる。そういう人を潰そうという力は働かない。だから結果として周りの評価もついてくることになる。しかし、それはあくまでもオマケだからね。

かりに、そのオマケがなくても、あなたの幸せは決してなくならない。そういう『最高の幸せ』が手に入るんだよ。」

小野「はい・・。」

私 「『でもそれが出来ないから困ってるんです』と言いたそうですけど、必ず出来るようになるから、もう少し話しを聞いてね。

人生の目的が、あなたがさっき言った『なりたい自分』であるとは、今まで思っていなかっただろうけど、どこかで漠然とだけど、それを求めてはいたよね。」

小野「はい。」

私 「第一章で言ったように、あなたはこの世に生まれる前は、神様のような存在だった。神様のようなというよりも、神そのものだった。神そのものだったあなたが、実は人間を体験しに来ているだけなんだ。

では、なぜ人間を体験しに来たのか。それは、『思いやりがあって、自信があって、自由で、全てを許して受け入れることが出来る』という自分を、体験を通じて実感したかった。そして、体験の質を高めるために、それが出来ないという状況が必要だった。

もし仮に、あなたが生まれてから今まで、周りの人の全てが、『小野さんって本当にすごいよね。素晴らしい!』と言ってくれていたならばどうだっただろう? そして、あなたが言ったことに対して、皆が『もっともだよね! やっぱり小野さんのいうことは素晴らしいね!』と言ってくれていたなら、どういう自分になっていたと思う?」

小野「ん・・。生意気になっていたかな。でも、自信は持っているかも。」

私 「そうだよね。ある意味『自信があって、自由で、全てを許して受け入れることが出来る。』自分になっていたと思うよ。だって、誰も自分のことを否定しないから、自信もあるし許せない人もいない、嫌な人はいないから優しく出来る。なんでも自由に出来るし、人の目も気にならない。そうなれているよね?」

小野「そうですね。なれていると思います。」

私 「しかし、みんなが『小野さんてすごいよね!』と言われ続けた中での、その優しさや、自信や、許しは本物だろうか?」

小野「いや、・・・何か違うような気がします。」

私 「うん。何か違うよね。周りがそう言ってくれただけ。周りがお膳立てをしてくれただけのこと。自分がそうなったわけではない。その逆に『あんたなんかダメよ!』『いったい何やってんの?』と言われる。あるいは誰かに裏切られる、だまされる。そういう状況の中でも、『私はあなたを許します。そして自分を信じ、思いやりを持ってみんなに優しくします。』となったときに、その優しさや、自信や、勇気や、許しは本物だと言えるでしょう。高いレベルの体験だと言えるでしょう。」

小野「はい。」

私 「その優しさや、自信や、勇気や、許しを手に入れたあなたはどうなれるの?」

小野「楽しい人生を送れそうです。充実してそうです。」

私 「そのために今までの体験は必要だった。だから、つらいこと苦しいことはたくさんあったけど、悪いことなどなに一つ起きていなかった。」

小野「はい。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?