22-前提条件が現実化する


私 「そして、あなたが望む『なりたい自分』の前に「どんな時も」「どんな人にも」という言葉を入れてない? 例えば『どんな時も、自信のある自分でありたい。』『どんな人にも、優しい自分でありたい。』『どんな人も、許せる自分でありたい。』 そう思っていなかった?」


小野「はい。思ってました。」

私 「そうだよね。では、その「どんな時」って、どんな時のことを言っているのかな?「どんな人」って、どんな人のことを言ってるの?」


小野「どんな時って? いつも?」


私 「その『いつも』ってどんな時のことを言ってるんだろう?

『自信が持てる時も、自信満々でいたい!』『大好きな人にも、優しい自分でありたい!』と言っていますか?」

 

小野「あ、ちょっと違います。」


私 「違うよね。『つらい時も、苦しい時も自信のある優しい自分でありたい。』『どんな困難があっても、成し遂げられる強い自分でありたい。』『嫌な人にも、優しい自分でありたい。』『許せないような人も、許せる自分でありたい。』と思っていませんか?」


小野「はい、確かにそう思ってます。」


私 「そうだよね。本当に素晴らしいよね。ということは、あなたが『つらい時も、苦しい時も、困難な時も、嫌な人も、許せない人も、理不尽な時も…、』と設定したということだよね。『つらい時も。苦しい時も』と、あなたが望まなかった?」


小野「あ、確かにそう思ってます!」


 

私 「そう思ってるでしょ? だから『辛い時も苦しい時も』が与えられた。」(図16)

小野「あ、そうなんですね!」


私 「先ほどの事例にもあったように、『人の痛みの分かる優しい自分になりたい』と望んだら、どういう体験が必要になるかな?」

小野「自分が痛い体験をする必要があります。」


私 「そう、自分が痛い思いをする必要があるよね。自分が体験しなければ、本当の痛みは分からない。どんなに素晴らしい本を何百冊読もうが分からない。だから、神様はあなたの望み通りに痛みを与えてくれる。しかし、痛みを与えられると、ほとんどの方が文句を言いはじめる。『なんで私がこんな目にあわなくちゃいけないの! 何も悪いことはしてないのに!』とね。

 

そう、間違いなく悪いことはしていない。それどころか『人の痛みが分かる優しい自分になりたい』という素晴らしい望みを持った。そんな素晴らしい望みを神様はほっとかない。必ず叶えてくれようとしてくれる。だから、痛みを与えてくれる。では、その痛みを望んだのは誰だろう?」

 

小野「わたし?」


私 「そう、間違いなく自分だよね。」

小野「そういう事なんですね。確かにそう思ってきました。」

私 「そうだよね。さらにあなたが、『千メートル泳げるようになりたい!』と望んだならば何が必要だろう?」

小野「練習? 練習できる場所? プール?」


私 「そう。ただ千メートル泳げるようになるためには、プールがあればそれでオッケー。静かなプールで練習すれば、千メートルは泳げるようになる。ではあなたが『どんな荒波の中でも泳げるようになりたい!』と望んだら、何が必要になる?」

小野「海? 荒波?」


私 「そう、荒波が必要になるよね。リゾート地にあるような、おしゃれなプールでは荒波の中を泳げるようにならない。荒波の中を泳げるようになるためには、荒波が必要になる。だから神様は、あなたの望みどおりに、荒波をあなたに届けてくれる。

そうすると、ほとんどの方がまた文句を言いはじめる。『私の所ばかり波が来る! みんなおしゃれなプールでチャプチャプ楽しそうにしてるのに!』とね。では、その荒波を望んだのは誰だろう?」

小野「自分自身ということになるんですね。」

 

私 「そう、あなた自身が望んだことだよね? あなたが望んだとおりに、神様はあなたに荒波を届けてくれた。それも、溺れかけるような荒波をね。だって、さざ波では荒波の中を泳げるようにはならないものね。」


小野「確かにそうですね。」


私 「『どんな時も』自信のある自分でありたい。『どんな人にも』優しい自分でありたい。『どんなに嫌な人でも』許せる自分でありたい。『どんなに辛く苦しい時も』前向きな自分でありたい。そんなあなたの素晴らしい望みが叶うように、神様はあなたの望み通りの荒波(どんな時、どんな人)を、あなたに与えてくれていたんだよ。

 それは、あなたが充実した人生、最高の幸せを、だれかにもらうのではなく、自分自身の手で掴むことが出来る自分になれるように、あなた自身が望んだものなんだ。『あなたが望む最高の自分になるために、最高の体験をあなたが望んだ』。だから、人生は全てあなたが望んだ通りになっていたんだよ。神様や、周りの人たちは、そのお手伝いをしてくれていただけなんだ。」

 

小野「そうなんですね!」


私 「どんな時も、どんな人にも、どんなに辛い時も、どんなに苦しい時も、どんなに許せないような人にも。実は、これがあなたが望んだ最高の体験、最高の自分になるための『教科書』であり『台本』だったんだ。この教科書を通じて、今まで私たちは自分を高めようとしてきた。これが『学び』『体験』なんだよ。」


小野「はい。」

 

私 「もっと解りやすく説明するとね、図17のコップをあなただとする。そこに色んな出来事が起きてくる。①のようにAやBがやってくる。しかしそれはあなたの容量よりも小さいから、すんなり受け入れることができるよね。


しかしあなたは自分を成長させたいと思っている。つまり、あなたのコップを大きくしたいと思っているよね。

そのためには②のようにCが必要になってくる。Cがやってきてはじめて自分の大きさがわかるよね。しかし、あなたにとってはきついから、受け入れられないから、『なんで!受け入れられない!イヤだ!』となってくる。あるいは、『こんな小さい自分なんてダメだ・・』になってしまう。

そうやってCに対して、文句を言ったり、不安がったり、自分を否定したりしはじめることになる。

しかし、Cがあってはじめて自分の大きさに気づくことができるし、成長を始めるスタートを切ることができるんだよ。しかしそれにあなたが気付いていなかった。

その出来事に、嫌な出来事だと「×」を付けてきていたものだから、その「×」からは何も学べない。ただ拒否をしたり、否定するだけで、そこから学ぼうとしなくなる。排除することや、我慢することに力を注ぎ、それを自分が受け入れられるように、本当の意味に気づけるように、器を大きくしようとしない。だから逆に小さい器のまま、そのレベルに留まってしまう事になる。卒業できなくなってしまうことになる。しかし、そこに「×」をつけていたのは誰だろう?」

 

小野「・・自分です。」

 

私 「そうだよね。自分で付けていたんだよね。ほとんどの人が『嫌な出来事ばかりが起きている世の中で、私が苦しんでいる。』と思っているんだけど、それは大間違い。

実は『素晴らしいことしか起きていない世の中で、その素晴らしさに気付いていない自分が苦しんでいる。』だけなんだ。『全ての出来事は、私がなりたい私になるために、私が望んだ素晴らしい出来事。』なのに、ただそれに気付いていなかった自分がいただけなんだよ。

それは、『こういう考え方をしてみたらいい』というのとは違う。『これが真実だから、それに気づいてごらん。』ということなんだ。だから、第一章で言ったように「全てが○」という前提に立つことがとても大切なんだ。

 

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