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ペットの王様(3)

 レオの仕事ぶりは目を見張るものがあった。一週間前に逃げたインコを一日で捕まえ、溝へ逃げたハムスターをマンホールの下から泥まみれで見つけ出した。どんなに無謀に思える依頼も、レオは必ずペットを捕獲してくる。遥はそんなレオを尊敬し始めていた。
 ある日、二人は依頼の電話を受けて大豪邸に向かった。夫人はきれいな身なりに豪華な宝飾品を身につけ、長いネイルはスワロフスキーがちりばめられている。一通り状況を話した後、夫人は高額な報酬を提示した。
「あなたの腕を信用しているの」
 犬探しの依頼だ。しかも、昨日いなくなったばかりで、遠くに逃げた可能性は低い。主婦でほとんど外にも出ないと言う夫人は、きっと周辺の捜索さえしていないだろう。遥でさえ、これは引き受ける案件だとわかった。しかし、レオは少し間をおいて考えると、思いがけないことを口にした。
「お断りします」
 荷物をまとめて帰ろうとするレオに、夫人がヒステリックに声を荒げた。
「どうして?」
 遥も驚いてレオを見る。すると、夫人は机に真っ白の紙とペンを置いた。
「報酬が足りないのね。あなたの好きな額を提示してかまわないわ。お願いだから、ドルチェを探してほしいの」
 レオはペンを取らない。
「そりゃ、金はようけあった方がええけど、そういうもんやないんです」
 遥は石のように固まって、二人のやりとりをじっと聞いている。レオは頭をぼりぼりとかくと、言い聞かせるように夫人の目を見つめた。
「本当は、犬がどこにおんのかわかってんのとちゃいますか」
 何も言わない夫人の顔にさらに近づく。
「俺の本業はペット探しです。人間のもめごとは、別の探偵に依頼してもらえますか」
 夫人は首を大きく振った。
「私があなたに依頼したいことはドルチェを見つけてくること。それだけよ」
 そう言うと、夫人はティーカップを手に取り、ゆっくりと飲み干す。レオは渋々頷いた。

「どうして最初断るなんて言ったの?」
 帰り道、遥が尋ねると、レオはばかにしたような顔をした。
「お前、どのくらい俺の付き人やったら進歩するんやろな」
「だって、ドルチェだってそんなに遠くにはいないはずでしょ。楽勝じゃん」
 レオはふんと鼻で笑った。
「お前はいつも肝心なところが見えてへんな。いや、見ようとしてないんや。それがお前の悪い癖」
 目をのぞき込むように顔が近づいてきて、遥は思わず顔をそらした。
「さっきのおばはんと同じやで。学校で、ほんまは誰がお前に嫌がらせしとんのかわかってんのやろ。でも、見なかったふりをして、誰かが解決してくれるのを待っとる。聞かなかったふりをして、時が過ぎるのを待っとるんや」
 遥の心臓が大きな鼓動を打った。そのまま放課後の廊下に引きずり込まれる。あの日、足から崩れ落ちて、膝にあたった床の冷たさを思い出し、じわじわと体が冷えていく。
 モカがいなくなったあの日は、本当に最悪だった。下校の際、下駄箱でスリッパを脱いだときに、水に浸かった上履きを忘れたことに気づき、教室に戻ろうとしていた。階段を上がったところで、廊下にいた女子生徒の声が聞こえてきて、遥はとっさに壁に身を隠した。
「遥のこと、飽きないの?」
 有里香の声だった。
「まあ、協力してって言われたらやるけど。そうやって友達のフリしながらよくできるよね。あたしは無理。すぐ態度に出ちゃうからさ」
 有里香が誰に向かって話しているか、遥は相手が話し始めるのをじっと待った。
「……その方が間近で見られるんだよ。人の引きつった表情をさ」
 その声を聞き、遥の心臓はびくんびくんと体中を震わせ始めた。思わず声が出てしまわないように、口を両手で押さえる。
「ゴキブリだって、一瞬で殺すよりじわじわ弱りながら死んでいくのを見る方が楽しくない?」
きゃっきゃっと高い笑い声がはじける。
「かわいい顔してほんと悪趣味だわ、志織って」
 楽しそうな話し声が廊下を抜けていく。壁に背中を這わせたまま、反対側の階段から二人が降りていくのを待って、遥は冷たい床に崩れ落ちた。かわいい親友の仮面を被って、中身は平気で人を傷つけるサディスト。遥は鼓動が静まるまでそのまま動けなかった。
 志織の顔が浮かぶと、体は拒否反応で震える。レオが肩を抱くと、遥は首を横に振った。
「私ね、いつも間違った方ばかりを選択してきた気がするの。いつからか嫌がらせされるようになったのも、きっと私が間違った選択をしたせいなんだ。友達が志織だけになったのも、高梨のクラスになったことも、今の高校に入ったのも」
 遥の目から小さな滴が転がり落ちるようにこぼれた。
「間違った選択から、さらに間違った選択を重ねて、そうやって生きてきたの。だから、もうどこで間違ったのかわからないし、これからもきっとずっと間違った選択をし続けるんだと思う」
 道は太陽の光をばらまいたように黄金色に染まっている。少しずつ思いを発すると、震えは徐々に収まっていく。
「例え間違ったとしても、俺たちは選択し続けるしかあらへん。誰にも正解なんて選べへんのやから」
 レオは遥の目の前で人差し指を立てた。
「お前が自分のことを責めるのは勝手や。だけど、お前の心を敏感に感じ取るのはモカなんやで。だからこそ、お前は間違った選択をしたとしても、それを正しいものにしていく責任があるんや」
 通り過ぎていく自転車の人が、怪訝な顔をしてレオと遥を見た。そんなこともお構いなしに、レオは肩に置いた掌にぐっと力を入れた。
「人は何かを失いながら生きていくもんやで。わかるか? 俺の仕事は、人が失ったものを見つけては元に戻すことや。失っては見つける。また失っては見つける。その連続や」
 涙で前が見えない遥を抱いたまま、レオは大股で歩いた。強引に進むレオに身をまかせ、どこまでもいける気がした。レオの後ろを動物の大群が追いかけてくる。たくさんの動物を引き連れて堂々と、レオは自分の道を進んでいく王様のようだった。


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