ペットの王様(2)
数日後、レオに指示された事務所に向かうと、古ぼけた喫茶店に着いた。
「おお、こっちや」
入口から見える位置に、左手を上げたレオの姿があった。
「事務所なんて言って、ここ喫茶店だし」
遥が座ると、マスターがメニューを持ってきた。
「虎太郎はいつもここを事務所のように使ってるのよ」
マスターの見た目は、豪快な髭を生やした小柄な男性だけど、女言葉を使いながら、しなやかな身のこなしでレオの肩をもんだ。
「勝手に本名を言うなや」
マスターはぺろっと舌を出し、ピンク色をしたエプロンのポケットに手を入れながらカウンターの中へ戻っていく。
「虎太郎が本名? レオじゃないんだ」
「まあ、あれやな。プロレスで言うたらリングネームや。タイガーよりライオンの方が強いやろ」
「それで、レオなんだ」
頷きながらずずっとコーヒーをすすると、レオは話し始めた。
「モカは、依頼を受けた次の日にすぐ見つかったで。でも、数日追ってたらおもろいことがわかってな。まだ捕まえてへんねん」
「どうして? 早く捕まえてよ」
「捕まえるのは簡単や。逃げたモカが何してたか、お前に見せたなってな」
レオはどこで買ったのか、くすんだ虹色のジャケットを羽織ると立ち上がった。
「ほな、行くで」
レオが指した先にいたのは、間違いなくモカだった。遥が付けた赤と白のドット柄の首輪に、ゴールドのネームタグが光っている。薄い茶色の体とお尻に白いハートの模様が入っている。間違いなかった。レオは、本当に簡単な説明をしただけで、どんなに探しても見つからなかったモカを探してきたのだ。
「レオってやっぱりすごい」
「別にすごない。あんたら全然ペットのことわかってないんや。俺に言わせれば、そんな飼い主から逃げたなるのが当然や」
そんなレオの軽口にむっとしながら、モカを捕まえようと身を乗り出した。その瞬間、腕をつかまれた。
「まだや。モカがいなくなって毎日何してたか見るんや」
民家の垣根の隙間を抜けて庭に入ったモカを確認すると、レオは遥の腕を引いて静かに民家に近づいた。隙間から見えた縁側には、老婆が座っている。モカは老婆の膝に乗り、丸まった。
「ミイちゃん、また会いに来てくれたんだねぇ」
新しく付けられた名前を呼ばれ、背中をなでられながら気持ちよさそうに目を細めている。
「夜にはちゃんとおうちに帰ってるの? どっかの飼い猫なんだろうけど、ミイちゃんが遊びに来てくれるから、おばあちゃんうれしいよ」
老婆が首輪を触りながら、優しくモカに話しかけている。モカが知らない人と友達になっている。外の世界で人間と関係を築いている。盗み見ながら、少し複雑な気持ちになった。
「はい、お食べ」
老婆が置いた皿にはたくさんのいりこが入っていた。ぺろりとたいらげると、モカは大きく伸びをして歩き出した。
「もう行くの? また来てね」
モカは細い壁の上に飛び乗る。
「次の家や」
レオが言ったとおり、モカは開いていた窓の隙間から、別の家に入り込んだ。モカが訪ねてきて喜んでいる声が漏れ聞こえる。
「こうやって、いろいろな家を渡り歩いてるんや。しかも、すべて一人暮らしの老人の家。モカは、誰かに必要とされたかったんちゃうか。お前が悩みを打ち明けてくれへんから」
「……悩みなんてないもん」
「俺はペット探偵になる前に人間専門の普通の探偵してたんやぞ。休みの前日でもないのに、上靴が干してあるしな、毎日放課後は何もせんと家におる女子高生やろ。お前気づいとんのか知らんけども、通学鞄の横側に切られた跡があったで」
たった何十分しか家にいなかったはずなのに、それだけのことに気づいているなんてと遥は驚いた。
「モカは飼い主とは違って、社交的よね」
そうつぶやいた遥の顔を見ながら、レオは明るい声を出した。
「お前、明日から俺の付き人せえや。どうせ暇なんやから、俺が社会勉強させたるわ。学校が終わったら事務所に来いよ」
「事務所って、あの喫茶店でしょ」
「ほな、決まり。バイト代は出えへんけどな」
「えっ、待ってよ」
レオは家から出てきたモカにさっと近づくと、抱き上げて遥の胸元に押しつけた。
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