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独居の独り言・心底の諦め感からの発信

人生は戦いか・・

 小生、五木寛之さんの現在のような生き様を崇敬する一人と自負します。
これまでのわが人生は、当たり前だけれど誰もが大いに異なりますが、特に五木さんは「ロートルになってからがますます素敵だなあ・・・と」、特にそのように思うようになったのは、己の生きて墓穴に落ち込んだと思った時のことからである。
 五木寛之さんの「大河の一滴」を書店で見出して読んだのがまさにその時であった。
その時の自分は自ら経営者として失格者の一人になる悲観的、後退的こころに陥っていたのだが五木さんの言う、人は生まれたときから苦しみと絶望の人生の始まりだ。心底にあきらめ感を据えて始めようではないか・・という意志力に燃え勇気づけられた。
 この五木寛之さんの大河の一滴で新たな人生を歩めることができるという前進的思考へと確信できたのである。その後、会社は崩壊、新会社を設立して旧会社を復活しようとする矢先に脳梗塞を2回見舞われ、難病指定の病態、5年でこの難病患者死亡率55%と言われた時期であったのでその覚悟をしていた。6人家族の中に認知症の母が加わって17年間の介護を妻に任せて来た。妻の興した小さな、小さな訪問介護事業の一部補足業、などでなんとか生きて20年経過、そして2年ほど前に妻に先立たれ今、独居生活、振り返ってみると中学卒業以来の履歴書を書こうとすると(厚生年金の支払い期間明細書で良くわかる)A4の用紙では書ききれないほど、転職もあった。こんな人生だが妻亡き後の独居生活も「これからは強い残り火のあるうち楽しんでね、お父さん」と言われる日々だ。
五木さんのようにはいかないが、子供のころから何か探求するのが好きで、結婚以来も続けていたことはこれと思ったことは弱化もしているが、とにかく実行してみる情熱は今でも変わらない。
 そんなことでほとんど独学人間だけれど、老いの手習いのようなものだが、某大学の博士課程まで修了、いま、年に2,3本論文、研究ノートをまとめ、年2~3回小冊子の発刊を続ける日々だ。そのための一人旅も楽しい。体力維持と強化も日々重ねてとにかくその時まで元気に過ごしたいものだ。去っていく人も多いが、この残日を清明に過ごしている人も自分の周囲には多勢いる。これも一つの大きな励みになる。
そして、五木さんの言うような、楽しみながら食し、楽しみながら手軽な運動を重ね、楽しみながら人と会い話し、楽しみながら詩を独吟し、楽しみながら探求、観察、分析、論考する。
 これも独り言でーす

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