他人に期待せよ!

というとなんだコイツ、逆張りが極まったクソ自己啓発本のタイトルか?と思われるかもしれないが、私は声を大にして言いたい。他人に期待せよ、と。

私の友人達だけなのかもしれないが"他人に期待しない"と公言する奴が多い。大学時代にそういう奴らに出会ったおかげで、そういう生き方もあるんかぁ。と思ったし、ちょっと真似してみるかと思ったこともある。しかし、私には不可能であるとすぐに悟った。「他人に出来て私に出来ないことはない」というのが私の哲学だが、"他人に期待しない"のは私にはできないのだ(一行矛盾)。というか"他人に期待しない"ことを、その友人達も出来ていない。いやできる必要もないのだが、むしろ"期待しない"ことをできないことに自責の念を感じているようにも見える。もしそうならタダのバカであるとすら思う。

一昨年に、岸田秀氏の著作を用いて自己嫌悪を構造から捉え直し、整理した。

 岸田氏の理論にあてはめると、期待しないと公言している奴の多くは"他人に期待しない架空の自分が他人に期待してしまう現実の自分を嫌悪している状態"といえるだろう。私が疑ってほしいのは、目標が自己嫌悪的でないかどうかである。そして"他人に期待してしまう"というのは変えようのないあなたであり、目標に据えるには重すぎるものではないか。あなたは本当に他人に期待せず生きられるのか??私には無理だった。無理なものは無理なのである。無理なことに苦しむくらいならサッパリ諦めて、他人に期待しよう。期待しておいて裏切られて落ち込む。良いではないか。期待しないことを目標にしておいて、やっぱり期待してしまって裏切られてドン底より余程ましではないか。・・・いないと思うのだが、逆説的に、「他人に期待しなきゃ」→「やっぱり私には他人に期待できないや」を繰り返している人がもしいれば、僕は声を大にして、お前は他人に期待をすることはできないから、"他人に期待するな"と言うと思う。

追記

久々にnoteを書いた。積もりに積もった非公開記事は沢山あるのだが、タイトル落ちの文章ばかりで、たぶんこれからも表には出ない(笑)。今日は思いついたことに対し思わず筆が進んだので公開できる。ちょっと気持ちがいい。今回は内容上、過去の自分の記事に触れることとなった。見返してみると、現在と見解が違うなあと思うところが結構あることに気付けたし、当時「ここは無理のある文章だけどこう書くしかない」と思っていたところにスッキリした文章を書ける気もしてきた。今でもたまに見てくれる人のある記事なので、後日追記として、今の自分の感性や見解に合わせたメンテナンスを行っていきたいと思う。読んでくれた方、ありがとうございます。それでは。