高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!10~「ガーターベルトの女」エピソード動画集⑥

エピソード動画集を続けている
それは何よりエッセイ本文に興味を持ってほしいからで
それが映画や芝居をはじめ
何らかの作品化への協力アドバイスがいただければという思いから
この取り組みを記録する意味でブログを作っていたが
そこにエピソード集の動画を紹介するとき
簡単な日記を書いていたのに気が付いた
それを転載していこうと思う

「ガーターベルトの女」エピソード集 第11話

2018/2/4(日) 午前 9:00 日記

ぜひお読みください
高山:著「ガーターベルトの女」
https://blogs.yahoo.co.jp/mumeikon2013/13890722.html
映画化するために
制作スタッフ募集の呼びかけ
エピソード集に興味を持たれた方は
エッセイ全15話をお読みください
そしてスタッフとして協力してください
Yahoo!ブログ「無名魂」
https://blogs.yahoo.com/mumeikon2013
管理人:無名居士
Email:ichiro@black.interq.or.jp

楽曲 クラシック名曲サウンドライブラリー
http://andotowa.quu.cc/index.html

てな感じの説明文を
動画につけています
今のところ効果は
ほとんど無しですね
視聴回数も伸びてないし
でもこんなもんでしょうね
僕のやることは
でもとりあえず
15話まで続けましょう
その次ぐは
英語バージョンづくりかな

そのうちなんとかな~~~るだろお~~
なるようにしかならないからね

はい
早く誰か有能な人現れて
助けてくれないかなあというのが本根
おねげえしますだおかだ
エッセイ「ガーターベルトの女 11」

「ガーターベルトの女」エピソード集 第12話(フィクション編)

2018/2/5(月) 午後 7:55 日記

ちょっと今回は時間かかりました
でも何とかできましたが
どうでしょうね
全15話+1ですから
もうすぐ終わりますね
次の段取りは
英語バージョンを考えてますが
同じパターンではね
でも一人の人間がしてると
同じパターンになるよね
それいやだから
だれか手伝ってくれるといいんだけどね
暗に助けを求めてるんだよ
Help!!

これマジ!
「ガーターベルトの女 12」番外編(フィクション)

思うままに~ある人へのメールから

2018/1/2(火) 午後 2:00 日記

3時に目が覚めて

高山君のエッセイの

編集作業済ませ

まだアップしてないが

深夜だからね

夜が明けてアップする

新着記事として

目に触れることもあるだろうから

そのエッセイ

今回もよかった

Yもよかった高山君もよかった

そして当時の班長

彼の話しもよかった

そしてやはり

Yのことを想った

そして昨日

メールにYのこと書いて

君に送った文章を読み返した

その書いたものに

間違いはなかったと確認できた

良く書いたと思った

良く書けてると思った

バカだが

自分が書いたものに

感動した

だからこうして

君にもその思いを伝えている

君にも読み返してほしいと

そして

今日アップする11話を

読んで欲しいと

高山君への理解も

よく深まると思う

トンネル現場に生きている工夫の

人間を理解できると思う

トンネル現場だけでなく

社会における人間を

理解できると思う

君は私の

最高の理解者だ

だから

君も理解することが出来る

理解を共有できる

今はやりの言葉で言うと

シェアーするってことだね

そういう友を得ることが

どんなに幸せなことか

何も言わなくても通じ合える

そう信じられる

錯覚かもしれないが

すべてを知りあってるわけではないからね

すべてを知りあうことは

不可能かもしれないからね

それでいて

通じ合える

信じあえるって

願望 錯覚 思い込み

そうであっても

少なくとも今は

通じ合えると

感じている

これを書いているのは

それを確認したいからかもしれない

君にはたくさん要求してきた

期待してきた

そのすべてに

期待通りの答えを

まだ得ていないが

それは私の

勝手な欲なのだろう

赤子が泣くような

ネコの鳴き叫ぶ声が聞こえてきた

本能の叫び

生きのこるため

生存をかけた

叫び声だよ

夜中だからと遠慮はないさ

それを人は

やかましい騒音だと

嫌うかもしれない

殺したいほどの

敵意すら持つ人も居る

君はどう思うかな

私は自分をネコになって考える

競争 争い事が嫌いな人間としての思いを

ネコが持つはずはないけど

私がネコだったとしたら

生きてはいけないと

生存競争からは

脱落したいと

逃げたいと思うだろう

人間の感情を持ち込んでね

私はネコを飼ってたから

野良も家に来てたから

彼らの争いの結果も知っている

ボス的雰囲気のある黒猫の野良でさえ

耳の後ろの毛が剥がれていたよ

見るからに痛々しかった

でもどうすることもできぬ

彼らは痛みに耐え

何も言わず

じっと治るのを待つんだね

そして治るのだよ

またケンカして傷つき

そのくり返しで

いつの間にか老いて

その地位を追われ

人知れず消えていく

そんな野良の一生もあれば

人に飼われてすごすネコもいる

仕事の行き帰り

鴨川にじっとたたずむアオサギがいる

それをじっと見つめている僕がいる

やはり自分をアオサギに重ねて考える

アオサギのことを考えているのではなく

自分のことだけを考えてるのだろうね

考えたところでどうなるわけでもないのだが

そういう習性が僕にはあるのだろうね

仕事は止めたから

鴨川へは散歩のときにたまに通るだけになった

そんな習性も薄れていった

夜ということもあって

鳥たちが見えないこともあるがね

行き交うのはライトを点けたクルマたち

クルマたちという表現は

当たらないね

でも人が運転している

その人の家族の下に帰っていくのだね

だから車が生き物に思える

散歩のときにスマホで写真を撮る

嫌いだったことが好きになった

何を撮るかといえば

影だったり建物だったり階段だったり

窓だったり狭い道だったり

気になるものを撮っている

気になる一枚一枚が

私なのだろうと思う

健康のために歩いてはいるが

果たして健康のためになるのかは

分からない

写真を撮るために歩いている

そんな風でもある

写真を撮ることが

自己証明だと思っているのかも

被写体ではなく

撮っている自分の

存在証明かもしれぬ

撮っている間は

生きていると

こうして

何を私は書いてるのだろう

文章の内容ではなく

写真と同じように

撮ること自体

書くこと自体に

意味を感じているのかもしれない

何のために

誰のために

自分のために

自分を理解してほしいために

何も考えないようにしよう

考えるのは悪い癖だと思おうか

おかしな考えかもしれぬが

そう

考えるのはよくない

ある意味そう言える

夜がいけない

闇がいけない

思考の悪循環

若い時に陥る罠

もう若くはない

死が近い年になった

そうなると

思考の意味はちがってくる

悪循環ではなく

自己の確認作業

若い時に許せなかった自分を

許している自分がいる

歳月の浄化作用

死に行くものを誰が責める

自分の存在すら知らぬものが

責めるはずはない

責めるのは自分自身

許せばいい

許すのは自分自身

それでいい

死にゆくのだから

十分すぎるほどの歳月を

生きてきたのだから

生きるということ自体が

贖罪と考えればいい

それほど生きることは

つらい修行なのだから

都合よく考えればいい

決めるのは自分

思うままに

感じるままに

あてどもなく

書き連ねる

ありのまま

ただ

思うまま

自分を晒す

何もない自分

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