見出し画像

ワコのあるきかた 終     再会・ワコのエピローグ


    一緒に歩いていこうね     
                桜乃いちよう


 あれから、実は一度だけ、ワコは『こゆびのかお』に会った。
 ワコは中学生になっていた。

『こゆびのかお』は、小学四年生の時に消えて、それからは二度とワコの前に現れてこなかった。
 ワコも、あんなに話していたのに、なぜか自分から会いたいなんて思わなかった。
『こゆびのかお』が現れなくなった毎日は、最初はすこし変な気がしたけれど、それならそれでいいと思っていた。
 だから、会えたのは偶然だった。

 ある晩遅く、ワコはベッドで目を閉じて、『こゆびのかお』を思い浮かべてみた。
 いたずらのつもりだった。

 まぶたの奥に、『こゆびのかお』の小さなりんかくが映った。
その奥にわずかな光にてらされた細い細い道がみえる。
 その道をワコはずんずん歩いていった。


 くらいくらい道を行くと、蛍光灯のともった部屋が見えた。
ワコは部屋をのぞいてみた。
 灯りの下で、じゅうたんにトンボ座りをした女性が、ぽつぽつと指を動かして、キーボードを打っていた。
「こんにちは」
 ワコが声をかけると、女性はゆっくり振り返って、ワコの方をみた。


「ワコ?」
『こゆびのかお』と別れた日、最後に見た表情のような顔の人がそこにいた。

「こんなところに来るなんて」
 彼女はちょっと緊張していた。


 彼女が『こゆびのかお』なんだ。
小指に現れていた『こゆびのかお』の表情は、小さすぎて、実はあまりワコには細かく見えていなかったようだ。
なんとなく、ワコの母親の顔に似ているような気がしていたけれども。

 本当にちゃんとこうして会ってしまうと、知らない女の人のようにも見えた。

「ワコ、何か話したいことがあるのかしら?」
冷静さを取り戻したのか、女性は静かに、話しかけてくれた。
聴き慣れた、声だった。


 もしまた会えたならば、話したいと思っていたことはたくさんある。
それが二人にとっては自然の会話だったから。
日常の、なんとはない話から、気になった出来事まで、なんとなく話すのが、二人の自然な会話だった。
そんな関係だった。


 ワコは、いろんな話をしたかったけれど、なんとなくしてはいけないような気がした。
 ここに長居はしていけないことも、なぜか感じていた。


ワコの方から、聞きたいことなど、今は何もなかった。
あの時は、知らなかったから話せたんだ。ふつうに気持ちが言えたんだ。

 ただ。
 会えたなら、これだけは、伝えたい。
そうしておかないと、後悔するような気がする。

 これから、歩いていくために。

「本当はあなたがつらかったんだよね」
「なんの話?」
「ワコたちの出会いの時の話」
 ワコの心に、あの朝の、あのお兄さんとの、ひとこまがよみがえった。

「つらかったんだよね。ずっと」
 ワコは、できるかぎりやさしく伝えてみた。

 彼女は、泣きそうになった。
何かが泣くのをとめていたけれど。


  そんな、昔のこと。泣くほどの出来事ではない。
  ワコに話すことでもない。
  そう思ってきたけれど。

「私、知ってる。ワコだから。いつまで続いたかも、知ってる」
 ワコの言葉に、彼女は不思議そうに言った。
「なぜ知っているの?」
知っているはずがないのに……。女性はそんな顔をしていた。

「つながっているもの。そうよ。私たちはつながっているの。たとえちがう人生だったとしても。あなたが体験したことを、ワコは知っているのよ」

 なぜなら、あなたの名前は…。

「あなたは、わこさん、だもの」

 彼女は、ワコの前で泣きだした。
 自分のための、涙だった。

「わこさん、ありがとうね」


 ワコは、そう伝えると、すこし変な気持ちがした。


 よく考えたら、どう考えても変。
 まあ、いいわ。
 変でも、伝えられたから。

 ワコは、彼女に、にこっと笑いかけて、もと来た道を戻った。

 未来というものは、なるべくのぞかない方がうまく生きられる、ということを、わけもなくふと思いながら。


 この機会を最後に、ふたりは本当に会ってはいない。
 もっとも、お互いの胸の奥にいるのはわかっているけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?