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善く生きる

善く生きる
この言葉はソクラテスが遺された言葉の一つです。
ソクラテスはよくわからない罪で死刑判決を受け、脱獄を勧められても一切受け入れませんでした。
ソクラテスは人生で大切な事は「善く生きる」事であり、そのため、善くないと判断したことはしませんでした。
因みに、善く生きるとは「ためになる生き方」とアドラー心理学で有名になられた岸見一郎さんは解説されています。
五逆という言葉が仏教にはあります。
殺(父、母、羅漢)傷(仏)破(僧伽)の五つです。
見落としがちですが、まずは仏教をどう捉えるか、しっかりした基準を自分に設けなければいけません。
私は東洋哲学を基準に考える癖がありますので、今の自分に対して答えを探す様にしています。
つまりは、仏教も私の外に正解はなく、私の中で正解を生み出すものだと考えています。
五逆も同じ理屈で、自身の行為を見つめる言葉だ、と考えています。
「殺」は総て対象が他人なので、他人の尊厳を重んじるとか、失礼な事をしない等、少しふんわりした感じの捉え方をしています。
「傷」は仏との向き合う姿勢だと考えています。
仏とは、縁や記憶から来る気付きと考えていますので、ここに「善く生きる」という言葉を置いています。
「破」の僧伽は組織を示していますので、社会とか人間関係とかを壊さないようにすると考えています。
そこには自分の関係する組織だけではなく、他人に対しても、関係を壊す様な事もしない事が前提になります。
人生は残念ながら、一度しかありません。
その中で、どう生きるかは自身の自由です。
今朝のニュースで、眞子さまがPTSDである事が報道されていました。
私達は、ご近所さんの事を気楽に話します。
その延長線上に皇族を置いているのではないでしょうか。
忘れがちですが、彼らも私達と同じ人間です。
ただ、扱いが我々と違うだけです。
イギリスの王族でも、ヘンリー王子が王族を離脱しました。
彼らは相当息苦しい生活を、求められているのだと想像します。
「殺」の中には羅漢が入っています。
羅漢とは修行者という意味ですが、一生懸命に日々努力をして生きている人の事だと考えます。
その人の中に、キチンと皇族を入れるべきだと思います。
そして他所の娘さんや、その恋人に対しても、大人の対応をするべきだと思います。
今のマスコミは、大人の行為とは大きくかけ離れている、と思います。
自分が正しければ、他人に対して何をしても良い、という事はありません。
それでは、戦時中行われた、ナチスのユダヤ人狩りと同じです。
あくまで、そこに「善く生きる」人生の時間が、しっかりと流れているか否かが大切だと考えます。
「傷」に書かれている仏は自分が作り上げて往く、記憶の世界が礎になります。
表現を変えれば、人生を振り返った時に、堂々と自分の過去と向き合えるか、という事です。
人を傷つける人生は、自分の人生を汚している事と同じです。
人には、人生を見つめ直す時が、大切だと思います。
その時を私は「お仏事」と呼ぶのだと思います。
合掌

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