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これでいいのだ


十月に入り、早い物で一週間が過ぎました。
いつの間にか、セミの鳴き声を聞く事は無くなり、音の主役は鈴虫に変わっていました。
季節とは、絶対的に固定されるものではなく、感覚の中で移ろい往くモノの様です。
有り難い事に、私の山では、今年も大量の栗が収穫出来ました。
人は川の流れの中に浮く小舟の様な物と、古より表現されています。
正信偈にも「信楽易行水道楽」とあります。 
この句はインドの哲学者、龍樹の段に書かれています。
インド人も日本人も同じ様な感性を持つ人は居るのかと思うと、意外に世界は近いのかもしれません。
親鸞聖人、法然上人、お釈迦様など、多くの歴史に名を残す方の共通点を考えていたのですが、「個性的」という言葉しか浮かばず、私の語彙力ではこれ 以上は、難しいようです。
私の住んでいる愛知県の西三河地方には、多くの
方が生活をなされています。
そしてその全員が、三河弁をお話されるわけではありません。
この地方は、北は北海道から南の沖縄県、四国など、日本中から人が集まり、生活をなされています。
ですので、色々な言葉や発音が混ざり合う地域であり、チャンポンは長崎県の名物ですが、この地方では、言葉のチャンポンが生まれています。
縁があり、日本中からこの地方にお見えになり、そして生活の根をこの地に張り、一生懸命に生活をなされている方々が奏でる、言葉のチャンポンが聞こえてくるのが、この地方の魅力だと思います。
親鸞聖人の遺された
「清風宝樹をふくときは いつつの音声いだしつつ 宮商和して自然なり 清浄勲を礼すべし」
という歌があります。
簡単に訳せば、「お互い様があれば、素晴らしい調和の世界がそこに広がる」という感じだと思います。
「清風」は気付きを促す風です。
「宝樹」の宝は命で、樹は浄土(気付き)の大地に根付いた命の樹になります。
「いつつの音声」は、五音階なので、和楽器の音階です。
「宮商」はドとレなので、ドミソかレファラでしか合わない和音が、ドとレの隣り合わせの音が、同時に奏で合っても、個性的で素敵なハーモニーを生み出すとあります。
「清」は空気「浄」は大地「勲」はおはたらきと考えます。
時々書きますが、誰もが知っている名曲の「世界に一つだけの花」は浄土三部経の一つ、阿弥陀経が基礎になっているそうです。
真宗の教えというのは、自分らしく生きる事の大切さを、教えてくれる宗教だと思います。
自分らしく生きるという事は、自分以外の存在に対しても、自分と同じ様に他人の自分らしさを認める世界です。
自分らしく私は生きるが、自分以外の自分らしさは認めないというワガママは、一切許されない教えが真宗の芯かもしれません。
真宗には、身体的な厳しさを求める様な、修行は在りません。
その代わりに、思考的な厳しさに対しては、相当だと思います。
私と同じ人はいません。
そう考えれば、みんな個性的です。
だから、面白いし、だから大変です。
そして、正解がある世界でもありません。
自分が正しく、他人がおかしいのであれば、その心から角が生まれ、傷のつけ合いが始まります。
だからこそ、他人の個性は、自分の個性と同等かそれ以上に尊重する事が求められます。
有名な詩の切り取りですが「みんな違ってみんないい」大切な考え方です。
そして、総てを認め合うお互い様の姿を
バカボンのパパは
「これでいいのだ」
 と言われています。
合掌


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