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悪人正機
沈黙は金、雄弁は銀という海外の諺があります。
ネットで検索しましたが、金と銀では当時の価値から優劣を語る内容が書かれていましたが、文化の違いもあるので、結局どちらも大切な気がします。
日本語には「言わぬが花」とか「口は禍の元」いう諺がありますので、やはり黙って済ませれる事は、黙って過ぎる時を待つのも大切なお作法なのかもしれません。
先日、不正の内容で書いたものをアップしました。
文字を書いた以上、たとえネット上という仮想世界であったとしても、その世界にも書いた人の責任が生まれると思います。
私もそれなりに気を付けているつもりですが、実際には読まれた方の感性により、どう捉えられるかは分かりません。
自己の責任とはいえ、先様任せが半分ある事も事実です。
レクサスの不正車検が明るみに出たのは、役所の発見か、現場の告発しかないと思います。
それぞれのお立場、お仕事に誇りを持たれている方だからこその行為だと思います。
人は生きる上で、誇りや責任を大切にしますが、とても大切な事だと思います。
今回の様に事件になれば、それを裁く人も出来てきます。
戦後の検察官に、山口良忠という方がお見えになりました。
この方は仕事柄、闇食糧を売る事で逮捕された人達を裁くお仕事を、なされていたそうです。
その職責から、自らは闇食糧に手を付ける事の一切を拒み、国からの配給だけを口にする生活を送る事で栄養失調になり、33歳で命を終えられたそうです。
人を裁くという事、そこに生まれる責任と覚悟とはこういう事だと思います。
私達は、自分の狭い世界だけで物事を見て判断をしがちですが、責任や覚悟の持てない事も多々ありますの。
それだけに、慎むことも忘れてはならないと思います。
残念な事実ですが、私達は気楽に他人の行為を評論します。
時にはそこに留まるだけで無く、攻撃を始める場合もあります。
無量寿経には「心塞意閉」という言葉があります。
本来の表現であれば、塞ぎ込むような消極的感情の時に使う言葉のようですが、勘違いも積極的塞ぎ込みなので同じだと思います。
コナン君ではありませんが、「事実は一つ」しかありません。
ただ事実と向き合う人は、様々です。
如何なる事実であっても、自分が正しい時に人は、周りは見えなくなります。
実際には自分が正しいと思い込んでいるだけの、勘違いに他なりません。
私達は、何かのきっかけに、自分の正しさに疑問をもちます。
この疑問を持つ瞬間に初めて聞く耳を持つ事ができ、そこから自分の正しさが、少しずつ壊れ始めます。
これが悪人正機だと思います。
そのきっかけを私達は「仏」と言います。
諸仏とは、気付きのきっかけは、沢山ありますという意味です。
気付く機会は常に、身の回りにあります。
幸福は各々とあります。
気付き「仏」も同じく各々だと思います。
合掌
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