無題

俺様は猫である 第2話

※1話から読みたい人はこちら

ある日のこと。
遠くで聞こえるアラームの音に半分意識を覚醒させながらも、まだ夢の淵でまどろんでいた朝。
私は寒さに身を縮めて、胸まで被っていた布団を肩の上まで引っ張り上げた。
起きなきゃいけない、頭では分かっているものの、この寒さになかなか体を起こすことが出来ない。
あともう少しだけ、と意識が遠く離れていく。

「オイ、起きろよ」

その時、やけに低音でセクシーな響きの声が耳元で聞こえてきた。
振動が胸を震わすその音は、ずっと聞いていたい程心地いい。

「コラ、聞いてんのか。女」

……ん?
夢うつつだった頭が一瞬で醒める。
勢いよく体を起こした私は、辺りをキョロキョロと見渡した。

落ち着け、私。
ここは正真正銘私の家だ。
変わったところは微塵もない。
ふぅと胸を撫で下ろし、「夢だったのか」と一人で納得して伸びをした……んだけど。

「オイ、いつまで俺様を無視するつもりだ?」

さっきと同じ低音ボイスが傍で聞こえて、私は女らしさの欠片もなく「ぎゃあ!」と大声で叫んでしまった。
視界に飛び込んできたのは、黒猫だった。
猫はただじっと私を見つめているだけだ。
黒猫には珍しく、アイスブルーの澄んだ瞳がとても綺麗で一瞬見惚れてしまう・・・のも束の間。

「え?今の何?!」

この部屋には誰もいない。
なのに傍で男の人の声がした。
もう一度左右を見渡してみるけれど、やっぱり私しかいない……。

そこで私の頭にあり得ない仮説がひょっこりと顔を出す。
私は恐る恐る目の前にいる黒猫へと視線を向けた。

「……えっと、もしかしてさっき喋りました?」

そんな訳ないよね、という期待も込めて尋ねてみたものの、その期待はあっさりと裏切られてしまう。

「だから、さっきから何度も呼んでんだろ」

聞こえてきた声は、恐ろしいほど色っぽいセクシーな低音ボイス。
は?何で猫が喋ってんの?!

「う、う、嘘!猫が喋った!」
「ったく、これだから人間は・・・」

慌てふためく私を他所に、猫は大袈裟に溜息をつく。
いや、そんな盛大に溜息つかれても!私の反応普通でしょ!

「猫が喋らないなんて誰が言ったんだ?それは人間が勝手に作った固定観念に過ぎねぇだろ。そんな頭でっかちだからいけねぇんだよ」

ちょっと待って!昨日までの可愛い仕草と、この偉そうな猫が同じ猫だなんて……全然一致しないんですけど!

「いやいや、だってそんな猫見たことないもん!ってか猫だけじゃなくて、そんな動物だって見たことないよ!」
「だったら今この状況をどう説明するんだ?喋る猫は現実にいるんだぜ?」

ハッと鼻で笑うような仕草で私を見つめるアイスブルーの瞳。
ね、猫なのに何というか、威圧感がある。

「……あの、これホントに夢じゃないの?」
「だから、何度も言ってるだろ」

頭が痛くなってきた。
猫が喋るとか、普通じゃないでしょ。
そんなムツゴロウさんもビックリな展開に、何で私は巻き込まれてるんだ!……って。

「あ……私が、拾ってきたからか」

わー、自ら招いちゃってるよ!私のバカ!
そりゃあの時は気分も最低で、感傷的で。
いつもだったらあれこれ考えて猫なんて連れて帰ろうって思ったりもしないのに、ホントにホントに出来心というか魔が差したというか何というか。
とにかく、今はこんな小さな温もりにさえ縋りたいくらい私の心は傷ついていた訳で……。

「何染みったれた顔してんだ」

喋り相手がこの部屋にいるという状況は、例えそれが猫であっても私を弱くさせるのに充分だったらしい。
失恋のダメージはまだまだ癒えていないようだった。

「……失恋したの。付き合ってた彼氏が、浮気してて」

数日前の出来事が次々に蘇ってきて、いつの間にか頬に涙が伝っていた。

「私が本命ならよかったのに。私より、その子とやっていきたいって言われちゃった……っ」

彼のことが好きだった。
ケンカも多かったけど、それでも仲直りして、仲良くやってきたつもりだったのに。

「ホント最悪……っ」

浮気をされたと知った時は、どこか冷静な自分がいて、自分で自分を保ったままいられた。
だけど、時間が経てば『彼に裏切られた』という事実が私の中に押し寄せてきて、怒り、憎しみ、嫉妬、絶望……と負の感情が私を支配する。

たった数日で失恋の傷が癒えるとは思ってないけど、この鬱々とした日々がいつまで続くのかと思うと、気分は下がる一方だ。

泣き続ける私を、黒猫はただじっと見ているだけだった。
喋れるくせに何か慰めの言葉をかける訳でもなく、ただ見守るかのようにやっぱり傍にいてくれるだけだった。

**********

どれくらい泣いただろう?
いくら時間が経てど、私の涙は枯れる気配を見せなかった。
テーブルの上にあったティッシュを手に取り、鼻を噛む。
ツンとしてちょっとだけ鼻が痛かった。

しばらくの沈黙後、頃合いを見計らったかのように猫がポツリと呟いた。

「……もう、そろそろ泣き止めよ」

私が猫の方を向くと、毛並みのいい尻尾をくねくねさせながらこちらを見ている猫と目が合う。

「でも、思い出したら涙が止まらなくて……」

ズズズと鼻水を啜りながらそう言うと、猫はまたもや盛大に溜息をついた。
何だコラ、失礼な奴だな。

「泣いてストレス発散するのもいいと思うが、ずっとこのままでいるつもりか?」
「分かってるけど、あまりにショックが大きくて……」

思い出したら、また泣けてきた。

「じゃあ、そんなお前に良いことを教えてやろう」
「良いこと……?」

私がそう尋ねると、猫は「ああ」と言ってフッと笑う。

「お前には今、めちゃくちゃ大きなチャンスが舞い込んできたんだぜ?」

思ってもみなかった猫の言葉に、涙が止まる。

「ちゃんす……?」
「そうだ、幸せな人生を掴む"チャンス"がな」
「幸せな人生って……」

私がそう尋ねると、猫はキッとした鋭い瞳でこちらを見る。

「お前は自分の人生について、よく考えたことはあるか?ただ流れにまかせて、"周りがそうだから"って理由で生きてないか?自分にとっての幸せな人生について、ちゃんと考えたことがあるのか?」

矢継ぎ早に飛んでくる質問が、ぐさぐさと私の心に刺さる。
自分の人生について?
ぼんやりとはあるけど、多分、この黒猫が言ってる"ちゃんと"とレベルが違うような気がする。

「大方その男とそろそろ結婚なんて考えてたんだろうが、そもそもお前は結婚願望があるのか?結婚についても"周りに既婚者が増えてきたから"とかそういう理由で、ぼんやり考えてないだろうな?」

……も、もはや図星でしかない。
引きつった笑みを浮かべる私に、猫はさらに言葉を続けた。

「人間ってのは、"変わりたい"と思っても、そう簡単に自分を変えられねぇもんだ。リストラ、失恋、病気、家庭崩壊……そういう大きな出来事があって、初めて自分の人生について深く考え始める奴も多い。お前もこの失恋を、人生を考えるきっかけにすればいいだろ?だいたい、そんな二股かける不誠実な男とさっさと別れられてよかったじゃねぇかと俺は思うけどな」

一度頭を冷やして猫の話を聞いてみると、確かにそれは一理あるかもしれないと思い始め、すっかり涙も止まってしまった私。
彼のことは好きだったけど、見方を変えるとそういう捉え方も出来る訳だ……いやいや、頭では分かっていてもそう簡単にそれを受け入れられる心は持ち合わせていない。

「そもそも今回のことを引き起こしたのは、お前の責任でもあるんだぞ」
「ちょっと待ってよ!何でそうなるの?!」

思いもかけず責任の矛先が自分に向かったことに驚いて、声が大きくなった。
だって言うなれば私は被害者なんですけど!

「いいか?自分の身の回りで起きた全ての事は、自分が引き寄せたもんだ。つまり今回の件に関しても、同様のことが言える」
「つまりそれは私が悪かったってこと?」

まるで私を責める物言いに納得出来なくて、少し不貞腐れながらそう尋ねる。

「"類は友を呼ぶ" って言うだろ?あの原理と一緒で、この状況を引き起こしたのは、お前がこの状況を引き起こす生き方をしているからだ。"こんな人生嫌だ"と思うなら、まずは自分の生き方から変える必要がある。いつまでもメソメソ泣いてたって、現状は何も変わらないぜ?」
「でも……っ」

何か、猫なのにコイツの言うことはさっきからいちいち的を得ていて頷ける。
"今回のことは私が原因"って話は耳が痛いけど、自分が原因なら……それを変えれば、私は幸せになれるってこと?

「お前はどうなりたいんだ?」

考え事をしていた私の耳に、猫にするにはもったいない程イイ声が聞こえる。

「幸せになりたきゃ、俺がその方法を教えてやるぜ?」

ニヤリと楽しそうに口元を上げる猫は、氷のように透き通ったアイスブルーの瞳で私をじっと見た。

「本来ならこういう形で契約することはないんだがな。世話してもらった借りもあることだし、しょうがない。お前は特別だ」

拾った猫に幸せになる方法を教えてもらう。
何だかよく分からない展開になってきたけど、これは失意のどん底にいた私に神様がプレゼントしてくれた"チャンス"なのかもしれない。

幸せになりたいか?
そんなのなりたいに決まってる!
……だったら。

そう思った私が出した答えは、もちろんひとつ。

「教えてください、その方法」

数日前に拾った猫が実は喋れる猫で、その上"幸せになれる方法"を教えてくれると言っている。

改めて整理してみると、実に非現実的な話だ。
でも、今まさに、私はその非現実的みたいな現実の中にいる。

神様がくれたこの"チャンス"を逃したら、もうきっとこんな機会は巡ってこないと思った。

「俺様の指導は手厳しいぜ?」

ニヤつく猫に、私はしっかりと頷いてみせた。

こうして私と猫―――もといノーブルとの生活が幕を開けた。
それはまだ雪の降る、寒い季節のことだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?