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~第132回~「氷川神と氷川明神の話」

武蔵一宮氷川神社は、社記によると第5代孝昭天皇(前475 ~前393)の御代3年4月未の日の御創立と伝えられます。

その後、第12代景行天皇(71 ~130)の御代には日本武尊が東夷鎮定の祈願をされたと伝わっており、第13代成務天皇(131~190)の御代には出雲族の兄多毛比命が朝廷の命により武蔵国造となって当社を奉崇し、善政を敷かれてから益々当社の神威は輝き格式を高めたと伝わります。 そのような歴史がある氷川神社ですが、文献上初めて登場するのは天平神護2年(766)の『新抄格勅符抄』。

そこに「氷川神に封戸三戸を寄進する」旨の記述があるのですが、これが氷川神社の現存する最古の記録史料です。

また、平安時代・延長5年(927年)に編纂された『延喜式神名帳』には「氷川神社 名神大 新嘗 月次」と記載され、この頃には武蔵国最大の神社であったことがうかがえます。

「氷川神」と表現される氷川神社への信仰は、特に関東地域で広がり、江戸時代に入ると「氷川明神」という名称でも信仰を集めたようです。

江戸時代後期成立の「江戸名所図会」に「氷川明神」(元・麻布氷川神社)の記述が見受けられます。

また赤坂氷川神社では神社由来としてHPに「江戸中期の享保元年(1716年)、紀州徳川家の吉宗公が8代将軍職を継ぐにあたり、紀州藩の中屋敷が赤坂にあったことから、氷川明神への幕府の尊信は高まりました。同14年(1729年)、吉宗公は老中水野忠之を総責任者に命じて現在地に社殿を造営しました」と記されております。 氷川神社への信仰が様々な呼び名を生んだのですね。

〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕                      #武蔵一宮氷川神社 #武蔵一宮 #氷川神社 #大宮 #氷川 #大宮氷川 #大宮氷川神社 #武蔵 #一宮 #氷川風土記 #延喜式 #神社 #神道 #氷川神 #孝昭天皇 #景行天皇 #成務天皇 #新抄格勅符抄 #氷川明神 #musashiichinomiyahikawashrine #shrine #jinja #shinto #hikawa #omiya #saitama

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