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~第156回~「例祭の変化と走り馬の儀」

武蔵一宮氷川神社の例祭は現在、8月1日に斎行しております。
勅祭として勅使の御差遣があり、また御付きの楽師により「東游」が行われています。 とはいえ長い歴史を有する武蔵一宮氷川神社。
例祭にも変化がありました。

たとえば江戸時代。 江戸期の大祭礼には「神輿祭」や「大湯祭」があります(※当時は境内に、男体宮、女体宮、簸王子宮の三つの本殿があり、三社同格として三社が一体となって祭祀を行っておりました)。
神輿祭は旧暦6月14日、15日の2日間にわたり、14日に「仮殿神事、神秘神事」が行われ、翌15日に「神輿渡、神橋祭」が行われていました。 そして時代は明治へ。 明治元(1872)年10月17日、明治天皇は「祭政一致の詔(氷川神社御親祭の詔)」を発し、氷川神社を勅祭の社と定めます。
そして同月28日には桓武天皇が平安遷都後に賀茂神社(現・賀茂御祖神社と賀茂別雷神社)を祀った例に倣い氷川神社に行幸し、自ら祭儀を執り行いました(御親祭)。 この御親祭を機に「勅使参向六月大祭 例祭」は6月14日、「神輿渡、神橋祭」は6月15日に。
そして明治8年に

は農事繁忙により例祭日限引替の儀が上申され、例祭は8月1日に斎行となりました。
例祭では奉幣使が参向し、御神楽の儀と走り馬の儀が行われておりましたが、明治7年より御神楽の儀は賀茂神社に倣い東游の儀に改められ、走り馬の儀は、その後廃されました。
明治10年12月には官幣社間の祭礼が不揃いであることを理由に、賀茂神社ともども東游は廃止となりますが、その後、神社の願いにより明治25年に東游が再興され現在に至ります。 馬場や道を馬が駆け抜ける迫力のある神事「走り馬の儀」。
今は京都での葵祭で見ることができますが、氷川神社でも行われていた神事です。
長い歴史の中で途絶えてはいますが、もしかしたらいつか復活する日が来るのかも…と想いを馳せてしまいますね。


〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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