~第67回~「歴史人たちとの縁の話」
氷川神社の社殿が最初にいつ建てられたかは、文献上でははっきりしませんが、日本で初めて行政区画を定めたと伝わる第13代成務天皇の御代には、出雲族の兄多毛比命が朝廷の命により武蔵国造となって当社を奉崇したと伝わります。
その後、奈良・東大寺の造営を命じたことでも知られる第45代聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、平安前期、第60代醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預かりました。
その後の武家時代になっても、鎌倉・足利・北条・徳川氏等が相次いで当社を崇敬し、社殿の再建や造営を行っております。
例えば治承4年(1180)源頼朝が土肥次朗実平に命じて社殿を再建しました。
その後、文禄5年(1595)徳川家康が伊奈備前守忠次を奉行として社頭を残らず造営させ、次いで寛文7年(1667)に徳川幕府四代将軍家綱が阿部豊後守を奉行として社殿の建立をしております。
徳川家康と当社の縁は上記以外にも伝わっております。
例えば元和元年(1615)徳川家康は当社に神輿を1基寄進しております。
さらに元和8年(1622)徳川家康が鷹狩の折に奉納した扇をご神体として境内に東照宮を造営しております(江戸末期まで。現存せず)。
創建から現在に至るまで、日本を動かした多くの歴史人たちが当社に心を寄せてこられたのです。
〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕
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