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フォルトゥナの瞳 運命の話

映画「フォルトゥナの瞳」を観て、
ああ、それは運命だな。と思った。

誰が見ても、「ふたりの出会いは運命」としか捉えようが無いような話だった。

ただ、疑問に思う事は、
結婚を考えているふたりが、
なぜ大事な会話が終始抜けているのだろうか。
と感じた。


『わたしも、あなたと同じ能力を持っています。
わたしもあの日あの時、あなたと同じ場所にいた。
あの時のわたしです。

そしてまた、わたしたちは
偶然にこうやって再会した。

あなたとわたしが出会ったのは
紛れもなく運命だ。
ふたりの力を合わせて乗り越える、
何かがあるのかもしれない。
そのために神様が
巡り合わせてくれたのかもしれない』などと。

ふたりの会話、コミュニケーションで、
何度でもふたりの運命を確認し合えたのでは
ないだろうか。

この日、
あなたが大切だから、失いたくないから、
だから、何も言わず僕についてきて欲しい。
お願いだ。

などと相手に話せていればよかった話。

“わたしは、あなたに生きていて欲しい
自分の命にかわってでも”

そう、お互いに相手をとても大事に思っていた。

双方、共に生きる運命はなかったのか。

その結末がふたりの運命だったという
物語なのだろう。

もちろん、映画を制作した方々には
何か意味を持った世界観があるのだろう。

ただ、会話やコミュニケーションをするのが
大事だという事は、
この映画を通して、我々にも日頃から見直していかないといけない点があるのではないか。と思う。

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