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海の向こうの、声も知らない愛娘へ


私には海の向こうに、七つになる娘がいる。

ちなみに私は今年で27だ。結婚はしていない。

そして私と娘の間に血縁関係はない。

あるのは年に数度の手紙とプレゼントのやり取りと、毎月3000円の送金だけだ。

こう書くとなんてひどい親だと思われそうだけれど、いま、私が“娘”にできることがこれしかないのだから仕方がない。

いつかは彼女の住む国、フィリピンまで行って、彼女がどんな声で笑うのか、好きなことは何か、将来の夢は何かを直接聞きたいと願ってはいるけれど、なにせこのご時世だ。あと私はそこまでお金持ちじゃない。状況的にも金銭的にも、会いに行けるのは数年先の話になるだろう。

ここまで読んで気になった方もいるだろうと思うのでお伝えしておく。私の娘は娘ではない。

正確に関係性を言い表せばプラン・インターナショナル・ジャパンのチャイルドとスポンサー。

私はいわば国際派あしながおじさんだ。



存在理由を欲していた春



モチベーションやらテンションやらメンタルやら、とりあえず精神面がガタ落ちしていた。去年の春の話だ。

わけもなく泣きたくなって、というか泣いて、自分はなんて役立たずなんだろうと自暴自棄になり、かと思えば世界はなんて不条理にあふれているんだろうと憤り、突然なにもかもにやる気を見いだせなくなり、とにかく内向的に卑屈に否定的になっていた。ひとことで言って、病んでいた。本気で困っていた。こんなんでこの先生きていけるのかと。生きていてもいいものかと。

生存理由が欲しかった。

なにか、価値のあることをしたかった。

他人に向けて誇れることを手に入れたかった。

一人ではないと思いたかった。

どの理由を拾い上げてみても自己中心的だ。けれどメンタルがどん底に突き落とされていなければ、私はプラン・インターナショナル・ジャパン、長いのでここから先ではプランと書く、とにかくプランのチラシに目を留めることはなかった。と思う。

『遠い国の女の子の、私は親になりました』

この文言に惹かれた。

少額から、今困っている子供たちの助けになれる。彼ら彼女らの未来を変える一助になれる。

これだ、と思った。

やる気がマイナスに振り切れていたその当時の私としては驚異的なスピードで申し込みはがきを書き、郵送した。希望するチャイルドの欄にはなんとなく「女の子」とだけ書いた。どの地域の、何歳の女の子でも構わなかった。

そうして私は娘と出会った。

娘、便宜上ここではジェイミーとしておこう、ジェイミーは当時六歳の、フィリピンの女の子だった。

簡単な情報とともに印刷されていた写真には、緊張した面持ちで、家族に寄り添われて、気を付けをしてこちらを見つめているジェイミーがいた。

可愛かった。

私がこの子の未来のために、出来ることがある。

そう思うと少しだけ救われた。

さっそく手紙を書いた。

当たり障りのないことを書いて、プレゼントに苦慮した。

プランでは贈れるプレゼントの大きさや重さや金額にいくつかの制限がある。その制限の中で、長い距離と時間にも耐えられて、ジェイミーが喜んでくれそうなもの。本気で悩んだ。悩んで悩んで、文房具とヘアゴム、小さなメモ帳を贈った。

喜んでくれたらいいな、と思った。

久しぶりの前向きな感情だった。



そんなことは知らないままで、どこまでも



手紙の返信は、三か月後に来た。

ジェイミーの姉の代筆だった。

「妹はまだ文字がうまく書けないので、私が代わりに書きます」

という旨から始まった手紙には、スポンサーになってくれてありがとう、手紙もプレゼントもありがとう、妹は友達と遊ぶことが好きですと綴ってあった。

その頃にはもうだいぶメンタルは回復していたのだけれど、復調していたからこそ、なんだか申し訳なくなった。

違うんだ、違うんだよと誰かに叫びたい気分だった。

私は私のためにあなたの妹のスポンサーになったんだ。

そう懺悔したい気分だった。

だからしばらく、返事の手紙をかけずにいた。

インターネット上で申し込める、手書きの必要がないクリスマスカードは贈ったし、いくつか「これいいな」と思ったプレゼントを買ったりはしていたけれど。なんとなく気が重かった。

そのうちにコロナウイルスが蔓延し始めた。

世界各地で猛威を振るう新たなウィルスは、海の向こうの国への手紙を躊躇させるには決定的すぎた。

そうして半年くらいが経って、また春が来て。

この前、プランから封筒が届いていた。

私がスポンサーになって一年。ジェイミーの近況を知らせてくれる報だった。

新しい写真が添付されていた。

少し顔つきが大人っぽくなって、手には学校の授業道具が入っていると思われる透明なビニールのかばんを持っていた。そういえば、小学校に入学する年だった。

ジェイミーは変わらずに可愛かった。

調べてみると、電子データの手紙なら、現地の事務所と直接やり取りをするので送りやすいという事がわかった。

私は久しぶりにパソコンへ、ディスプレイのなかの便せんに向かった。

手紙をくれてありがとう、返信が遅れてごめんなさい、小学校入学おめでとう、あなたが健康で幸せでいてくれることを願っています、学校でたくさんのことを学んでください、そうすればきっと世界が楽しくなりますよ。

そんなことを書いた。

書き始めると伝えたいことが泉のように湧き出てきたけれど、文字数制限があったから、ぐっと絞って、どうしても伝えたいことだけを書いた。

書きながら、親って難しいな、と思った。

可愛い可愛い子供の将来を、幸せをたくさん考えて、思うこともたくさんあって、だけどそれを伝えたら重荷になるだろうかと悩んで、あの子は元気にしているだろうかと気をもんで、悲しんだり苦しかったりしていないだろうかとソワソワして、でもそれも成長の糧になるのだろうかと思ったりもして。

年に数度、手紙を送るだけの自分でさえこんなに思い悩むのだ。日々接している親は本当に大変で、苦労の連続だろう。

そして自分の親のことを思った。

あの人たちもこんなことを考えながら、私のことを育ててくれたのだろうかと。

100点満点のテストを誇らしげに見せてくる娘に将来は医者か大臣かと思いながら、その子が学校でいじめられていることをずっと隠していたと知った時にはどんなふうに思ったのか、家出をした冬の日のこと、部活動で夜遅くなる娘の送迎を毎日してくれたこと、
きっと大変だったろうに、それを大変だと分からせずにいてくれたこと。たくさん考えた。

親というものは難しい。

でも、私は知っている。

いつも見守り、時には背中を押してやり、真剣に話を聞いて、嬉しいことは一緒に喜んで、悲しいことは一緒に涙して、子供だからと馬鹿にせずひとりの人間として接して、好きなことは自由にさせてくれた。そういう風に育ててくれた親を知っている。

だからジェイミーにも、同じように。


幸せであれ。

健やかであれ。

行きたい場所へ、目指す場所へ、どこまでだって行ってくれ。

あなたを阻むものは何もないから。

あなたの望む人生を生きてくれ。

どうか、どうか私の思いなど知らないまま。

海の向こうの、声も知らない、私の最愛の娘へ。



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