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スイスのキューレターが手がけた現代写真展「SUPER NATURAL!」(スーパーナチュラル)/一日一微発見467

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朝、有楽町に仮設されたYAUのギャラリーに行った。写真家の小山泰介君がオープン前に入れてくれて2人で展示作品を見ながら話をした。

スイスと日本との国交樹立160周年関連企画。安藤留美、エスター・ヴォンプロン、マキシム・ギュイヨン、児嶋啓多、小山泰介、デルフィーン・バーティンの6人によるグループショーである。
キュレーションは、スイスのローザンヌに2年前にリニューアルオープンしたPHOTO ELYSEの辣腕館長ナタリー・ハッシュドルファーが手がけている。
小さな展覧会だが示唆的なことが多くて、その場で考えたことを記しておきたい。

スイスの3人は、全く未知の作家たちである。
動物園などのコンクリートの模造された山、機械の内部テクノロジーのクローズアップ、森や林のネイチャーズ・カオス。
日本サイドは、小山泰介、児嶋啓多の作品はよく知っており、不勉強で申しわけないが安藤さんの写真は初めて見た。

僕は自分で言うのはなんだが、新刊の『現代写真とは何だろう』で一章をさいて、「ニューネイチャー」について書いているぐらいなので、写真における自然と人工(都市あるいはデジタル)については考えてきた方だと思う。

その視点で見て、この展覧会はどうだろう。
もちろん日本とスイス(西洋)の文脈の対比で語ることもできるが、それはもちろん凡庸だしつまらない。
もちろん言語の壁は自動翻訳機が加速度的に突破しているとはいえ、まだまだ現前としてある。しかし、そのようなローカルな差異を、SNSやAIなど、ヴァーチャルテクノロジーは、ことごとく破壊していくだろう。

それよりも重要なのは新しいインフラの世界の中で、我々が自ら、さまざまなやり口で更新していくことだ。そう、自然と都市の関係も。

写真は、はなから「都市的」なものであり、今や明確に「デジタルアート」になったのだから、たとえ被写体が自然だからといって自然などではありえるはずもない。しかし、だからと言って自然と都市を対極の二項対立的なものとしてとらえることも、旧すぎる。

ならばこの「SUPER NATURAL!」という「かけ声」の行方はどこにむかうのか。
人間がロボットやサイボーグ、AIを設定するのは、自然を考えるために、自然から最も遠いものを選択し思考しようとするのだと思われる。
人間は、自からの自然から逃げることはできないが故に、非対称的にバランスを狂わせようとするのだと僕には思われる(密教の人間改造思想を思い浮かべよう)。
さて、写真でどうする?何ができる?

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