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荒川修作とマドリン・ギンズの「意味のメカニズム」という宿題を解きに行く/一日一微発見398

軽井沢のセゾン美術館に、荒川修作とマドリン・ギンズの問題作(ぼくにとっての)「意味のメカニズム」を見に行った。

荒川修作というアーティストを知ったのは高校生の時だ。ある日のこと、美術部の本棚に講談社が出した『現代の美術』の全12巻がそろっていて、僕はむさぼるように見たのである。その時の体験は実に大きく、今この全集を再び見かえしても、内容は、もとてもラディカルだったと痛感する。

高階秀爾と中原佑介が企画の中心。
編集委員は大岡信、高階秀爾、東野芳明、中原佑介、針生一郎というそうそうたるメンバー。東野、針生、中原の御三家は皆40代で、猛烈に勢いのある頃だ。

東野が編集と執筆を担当した「ポップ人間登場」のテキストは、その巻に収録されるアーティストたちに東野が自ら手紙を出して、その返信が収録されていたりして、その編集のやり口にも、めちゃくちゃ刺激された。

1972年がハラルド・ゼーマンが、ディレクターを担当した「ドクメンタ5」だったことを思えば、激動の60年代が終わっても、世界には実にラディカルな風が吹いていたのだ。

さて、荒川修作を知ったのは第10巻の「記号とイメージ」だった。この巻の編・執筆は針生一郎。そのテキストは、当時の高校生にはちんぷんかんぷんで、今読んでも、ちんぷんかんぷん。正直、言いたいことはわかるが、ちょっともてあます。

しかし、そこに集められたアートの実作たちは今見ても新鮮なのだから、アートの力はコトバよりも賞味期限が長いと痛感させられる(一方カルヴィン・トムキンスの文章やデビッド・シルベスターのアーティスト・インタビューなどはそうでないのは、よく考える必要がある。つまり「理屈」は古くなりやすい危険性があるということを!)。

さて、この「記号とイメージ」の巻をひらくとトビラ横の作品が荒川の「図像絵画」(針生の表記によれば)である1968年に「描かれた」『窓べで』と題された作品の部分が掲載されている。

青、黄、赤など、電気コードを思わせるラインが画面を横断していて、その周辺にスポットされた点に「PARK」とか「MALL BOX」や「MAN」。下の方には「BROOKLYN」などと、ステンシル文字のような書体で指示づけされているのである。

荒川・ギンズの作品に、デュシャンがコトバとモノの分離を提起して以来の、コンセプチュアルアートの影響を読みとることは簡単だが、その知的プレイを上回る「魅力」を持っていた。未熟な高校生である僕にも特別なインパクトを与えるものだった。

それが何だったのかという漠然たる問いは、ずっと宿題だったのである。

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