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キュレーションが行われる「場所」のことについて考える/一日一微発見305

前回の『一日一微発見』で、練馬の住宅地での展覧会「Private House 生きられた家」のことについて書いたが、その初日の翌日に、話題になっている展覧会「惑星ザムザ」を見に行った。

牛込神楽坂という、出版社エリアにあった製本会社の社屋ビルが廃墟同然となっているのを布施琳太郎氏がキュレーションした展覧会である。

映像やオブジェのインスタレーションなどが、その「会場」に展示してあるのだが、廃ビルの圧倒的な雰囲気の中では、もとからそこで「生えていた」ようにしか見えない作品が多く、それがなぜなのかを考える良い機会となった。

今回ここでは展覧会の一つ一つの作品についてはコメントすることはしない。

それよりもこの廃ビルを選択したキュレーションの幸運と慧眼について考えたい。

なぜなら「この場所」を展覧会場として選ぶことが言語以前にコンテクストを形成していたからである。

それは廃ビルの宿命とアートの宿命、そして僕らの宿命の同質性を摘出することになるからである。

今やキュレーションは、ホワイトキューブの中でのアートゲームなんかではありえない。
「現実」という時空を引き受け、そこで異物としての機能させることを趣としなくてはならないだろう。
この『惑星ザムザ』は、その僕らの宿命を、引き受けた展覧会だった。

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