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アート思考虎の巻 その2(上)NFTアート イブ・クラインから学ぶこと/一日一微発見349

アートはNFTの登場によって、大きな転換期をむかえたと僕は考えている。それは同時に混乱期でもあり、それもあって面白いのだ。
このような時にこそ、重要なアートが生まれてくるものだ。

NFTは、ブロックチェーンによるweb3の技術だがそれをアートにあてはめる。
そうすることで、今まで絵画や立体なフィジカルなモノだけに適用していた「唯一性」がデジタルデータにも適応することができる。

これはビデオアートやサウンドアートなどエディションが切りにくかったアートのマーケット的な「価値」を高めるばかりか、デジタルで構築されたさまざまなもの、ゲームやアプリやテキストデータだって「NFTアート」の仲間入りする可能性をひらいたということになる。

さて、抽象画は今まで「抽象」という名のモノ(マテリアル)であった。「非物質のアート」にしたかったのだろうが、テクノロジーが追いついていない。カンディンスキーやクレーが今生きていたら、どうしただろう?

「抽象芸術」は、今やさまざまなユーティリティやエフェクトを内臓したものとして、NFTアートにおいてアップグレードされるだろう。

さらに人々はメタバースやⅤRによって「抽象」の中に身や心を没入させることができるようにもなるのである。
既存のアートは、その可能性が封じられていたものを、再起動できるようになるだろう。

そのような視点で、アートを再編・再生・新生できる扉を、NFTやメタバース、VRなどが開くことになっているのである。

とは言え、今皆が実感しているように、デジタルイラストがミンティングされてもそのままでは、アートとしては「価値生成」されているとは言いがたい。

極論するなら、75億円で落札されたNFTアートであるBeepleの作品は、アートマーケット的にはNFTアートが「商品」として超高値で価値づけられたという意味で「事件」ではあっても、「批評的」な価値においては、ポップアートの亜流でしかない。
いかなる革命的な「価値生成」が行われているのだろうか?
これは混乱が生み出した価値生成以上のものではない。

また別の混乱もある。

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