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鉄斎の絵を迷子にならずどう旅するか?京都近代美術館にて/一日一微発見443

僕は子どもの頃、阪急宝塚線の蛍池に住んでいたので、うちの父親が初詣につれて行くのは、西宮近くの門戸厄神(東光寺)と宝塚近くの清荒神(清澄寺)の2ヶ所だった。
それはうちの本家が甲東園にあったことも関係していたと思うが、京阪神の商人たちがこぞって参拝する霊地だった。

そして清荒神には、鉄斎の絵のコレクションがあって公開していた(正式に美術館になるのは1975年である)。
当然ながらこちらは子ども故に、鉄斎のなんたるかなんぞはわかるはずもない。

しかし鬱蒼とした森の中に鎮座している「絵」はまさにその生命体としての森から生まれてきたようなもので、その後僕は子供ながら、クレーやフランシス・ベーコン、シュルレアリズムにひかれて行くのだが、最初の「絵画」との遭遇である鉄斎は、全く原理の異なる絵だった。

たしかにそれは「故郷」のようなものにちがいないのだが、それ以降も何度見ても、登り道がわからない山岳のように、「そこ」にあった。

京都国立近代美術館ではじまった「没後100年富岡鉄斎」は、僕にとっては鑑賞とか言うよりも「巡礼」のイメージに近い。
「巡礼」しているうちに、何かを見つけたり気がついたりするかもしれないというものなのだ。

そしてもうひとつのイメージがある。それは、僕は「京都画壇」というものをさまざまな画人が登場する「映画」のようにとらえていて、そして今回は富岡鉄斎の出番なのである。

この「映画」の監督、ナビゲーターは、もちろん我が愛する文章家の加藤一雄でなくてはならない。

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