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Tate Modernのオノ・ヨーコ展を体感する/一日一微発見450


僕は子どもの頃に、絵を描くことで随分と救われた。「アートの力」がずっと伏流水になって今があるのは、とてもありがたいなと思う。と同時に、それが「終わりのない」歓びと身体感覚をもたらしてくれているのもありがたい。

人類はその歴史の中で、一見「役に立たない」アートを、それにもかかわらず大量に生み出し続けてきた。
毎年、海外のアートフェアや国際展だけでなく、美術館、ギャラリーを見てまわるが、ほんとうに「終わりのない」ものだと思う。誰であれ、見尽くすことは不可能だろう。

そして忘れてならないのは、それらのアート作品のどれもが、人間の個人個人が、思考と制作作業のプロセスをへて生み出した産物だということである。複製芸術やレディメイドでさえ、それは人間がいないと成立しない。
アートはかえすがえす、奇妙で面白いものだと思う。

話は飛躍するが、一方で、人間の産物である戦争はどんどん無人化している。今やドローンによる戦闘が基本になったし、戦略には人工知能AIがますます動員されている。無人の戦いに人間がまきこまれ、兵士も市民も死んで行くのは愚かな「自滅」だ。愚かな政治家や将軍たちは、機械的な「スイッチ」にたよって、人間をゲームとして殺戮していく。領土拡張に血道をあげる残忍なゲーム、核兵器をもてあそびながらのゲームも終わらない。

これほどまでに人が愚かになった時代は過去ない。人類において最も進化しない領域は戦争についてであり、まさしく想像力の死だ。

兵器に比べて、アートは「無力」である。だがそれは本当だろうかといつも思う。

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