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「野草」であることの戦略・横浜トリエンナーレをめぐって/一日一微発見442

「革命」や「前衛」が失効してしまった今だからこそ、やはり「アート」と「政治」について考えなければならないなと、横浜トリエンナーレの会場を歩きながら思っていた。

リウ・ディンとキャロル・インホワ・ルーの2人がディレクターをつとめる横浜トリエンナーレは「野草:ここで生きている」というタイトルのもとに93組のアーティストたちが集められている。野心的なキュレーションだ。

とりわけ美術館入り口のフリーゾーンは、アナーキーな雰囲気があり、よい出だしだ(ヨアル・ナンゴやピッパ・ガーナーなどが好きだったし、志賀理江子のアーカイブ資料もよかった)。

OUR LIVES。これは何より魯迅のテキストのレファランスをたてて、日本と中国の関係を接合するのみならず、国家と個人、西洋の美術史モデルを脱皮したポストコロニアルなアジアへのアプローチがキュレーションの下心として見える。

横浜美術館のグランドギャラリーは「いま、ここで生きている」をキュレーションの大きなワクにして、7章で構成されていた。会場に入り壁を見上げると厨川白村のテキストがスローガンのようであり、しかし、謎の物体のように勅使河原蒼風のオブジェが説明なく出現する。迷路のようだ。

ディンとリンホワ・ルーは、インタビューで確か「シンフォニー」と言っていた覚えがある。なるほど。しかし、その交響曲は、大交響曲ではなく、分散系のもののようだと会場をまわっていて思う。

失礼に聞こえたら申し訳ないが、全体の印象は「地味」ながら面白い。何せ「野草」なのだから、これでよい。スターアーティストで見る芸術祭ではないのだ。

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