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マンガとアート・人格のエディットについて  手塚治虫のこと/一日一微発見362

コミックスのキャラクターを使ったコンテンポラリーペインティングが次々に作られている。
流行りだ。
それは元々はウォーホルやりリキテンシュタインのポップアートが始まりである。社会の中で浸透しているポップアイコンをモチーフにアートを作ることは、今や「盗作」とて騒かれることなく常識的なものになったし、「アプロプリエーション」という「アートをつくるための手法」としてある種、是認されてもいる。

ウォーホル以降も、アメリカではポップアートは独自進化した。
リチャード・プリンスやシンディ・シャーマンらは、アートマーケットで軒並みハイプライスだが、彼らは一括りにされて「ピクチャーズ・ジェネレーション」と呼ばれている。
社会で流通するイメージをハッキングして作品をうみ出す。ソーシャリーでクリティカルでありながら、マーケット的にも「勝者」であるという、矛盾に満ちた価値形態を形成しているのだ。

マンガを使ったアート。その力は否定できない。しかし、やり過ぎるとアートのコモディティ化を加速してしまう危険もともなうし、オリジナルのマンガへのリスペクトを喪失してしまいがちで、ひっかかる。

なぜそんなことを言うかというと、自分自身が戦後の1960年代から70年代のマンガの降盛期にきわめて人格がマンガや怪獣映画、ミュータントなどによってエディットされて形成されていると実感するからだ。
マンガ無くして自分なし。

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