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大河に便乗して伝えたい、静岡市の底力。隠れた老舗の歴史長すぎ。

祝・大河ドラマ「どうする家康」放送開始

大河ドラマ、「どうする家康」が始まりましたね。
家康が 最長約25年 を過ごした我が静岡市も、
舞台のひとつとして作品に登場しています。

静岡は静岡でも
県西部の磐田市生まれ磐田市育ちだった私は
元来、静岡市に全くと言っていいほど縁がなく、
「静岡市?あー、県庁所在地ね」
ぐらいにしか思ってなかった。
それが、ご縁があって10年前から静岡市民になった訳ですが
当時いたく衝撃を受けた(そして今でも受けている)のは

① この街における家康の影響力すごすぎ
② 隠れた老舗の歴史長すぎ

ということ。

この街における家康の影響力すごすぎ

徳川家康は幼年期、壮年期、そして晩年と3度の期間を、駿府(現静岡市街地)で過ごしたそう。
このことを顕彰するため、静岡市街地には、
時代の異なる徳川家康の銅像3体(幼年期、壮年期、晩年期) が設置されています。
その3体の位置関係、直線距離にしてわずか1km余り。
・・・わずか1km余りの距離の間に、風貌が異なる家康が、3体も。
家康が渋滞している。

家康は、中心市街地のまちづくりにも存分に影響力を発揮しました。
商人・職人の住む地域は、町が作られた当初、職種によって住み分けられ、それぞれの町には職業の名前などが付けられたそう。
そして一部の地名は 400年を経た今でも残っている ので、
家康によって整備された駿府城下町=現在の静岡市街地の原型 ともいえます。

たとえば静岡市街地の中心エリアである「呉服町」の地名は
「駿府へ引退した徳川家康が慶長14年(1609)に行った町割において、駿府96ヶ町が定められた時から使われている」らしい。
他にも
「両替町」:慶長11年(1607)にこの地に銀貨鋳造所“銀座”が設けられ、金銀の両替商が置かれたことに由来
「鷹匠」:徳川家康に奉仕した鷹匠が大勢居住していたことに由来など、
家康由来の地名やエピソードには事欠きません。

隠れた老舗の歴史長すぎ

静岡市に住むようになって、最も興味深かったことがこちら。
たとえば京都だと、老舗は「いかにも老舗」って感じの、趣のある店構えだったり、それっぽい業態だったりするじゃないスか?(和菓子とか、お香とか。)
ところが静岡では、
雑居ビルの1階に納まっている、一見何の変哲もない雑貨屋さんとか子供服屋さん とかが
実は 創業300年を超える「スーパー老舗」 だったりするんですよね。
その代表格がこの2店。

① 三保原屋
ちょっとおしゃれで実用的な商品を扱っている雑貨屋さん。
創業1687年。つまり今年で336周年
去年このお店の入り口に「おかげさまで335周年!創業祭!」
というチラシが貼ってあったときには、「335周年?!!」と三度見しちゃいましたね。

② ふしみや
各種ブランドの化粧品と、子供服をメインで販売しているお店。
その歴史は古く、1607年、以前より家康と主従関係にあった初代小山善藏が京都伏見から移り住み、駿府にて創業したのが始まり とのこと。
私、子供のころ、「ふしみや」で母が買ってくれた服をよく着てたけど、
我が身が背負っていたのがそんなにも長い歴史の産物だったなんて、夢にも思ってなかったよ・・・!
ちなみに「ふしみや」さんで扱っている子供服、好みのデザインのものが多いので、息子の服の調達先としても重宝しています。
喜べ息子よ、創業416年の歴史の重みをそなたにも背負わせてやろう。


東京からわずか1時間。是非お越しください。

静岡市に住んでみて、この街が「家康の影響力の権化」「隠れた老舗の宝庫」だと気が付いてから、街中で、「隠れ家康」「隠れ老舗」を探すのが、ちょっとした楽しみになりました。

もし、そんな静岡に少しでも興味を持ってくださったのであれば、
次の週末は、是非静岡へ。
新幹線を使えば、東京からは61分、品川からは52分で来れちゃいます。
家康が愛した静岡の底力、是非現地で体感してみてくださいねー。

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