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生きてることに遠慮なんてしねえよ eastern youth「ソンゲントジユウ」を起点に、天賦人権論へ接近する

2024/08/17 初稿 2024/08/26 最終更新

導入:台風7号(アンピル)について

おはようございます。shuseimatsuiです。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか?無事ですか?

台風7号(アンピル)が、僕の住んでいる千葉もかすめていきました。午後に買い物に出かけましたが、かなり強い風が吹いており、千葉東部の銚子などでは、もっと強い風が吹いたとのこと。みなさんは無事でしたでしょうか?

僕の住んでいる幕張近辺では、「ソニックマニア」というオールナイトイベントが開催されているそうで(今は朝の4時半ですから、まだやっているんですかね)、交通網の混乱も心配されましたが、どうやらその心配もないようです。イベントも無事開催するとの発表がありました。このようなイベントが、無事ではないのかもしれませんが、予定通り開催されるというのは、なんとも喜ばしいことです。オールナイトイベントで一睡もしていないみなさんが、無事家に帰り、幸せな眠りにつけることを願います。

余談:名前を書いちゃった件について(3日目で実名公表してもうた)

今日でこのnoteも3回目を迎えます。お読みになってくださっているみなさん、本当にありがとうございます。繰り返しますが、みなさんからのリアクションだけが、僕の生きがいです。なので、ぜひ、「スキ!」やコメントをお待ちしています。僕はアマチュア無名作家なので、今のところ暇を持て余しています。なので、マツイと議論したい、コメントを交わしたいなどの要望がありましたら、時間の許す限りお答えします。

で、タイトルをご覧になり、かつ、昨日の原稿を読んでくださった方は、お分かりだと思うのですが、昨日ぽろっと自分の実名を書いちゃってました。

だから、今日の原稿を読めるのは、ある意味、今日だけです。熱心な松井読者の特権です。

8/16の原稿

はい、完全にやっちゃってますね。僕には昔からこういうところがあります。最初決めたことを、3日も守れないんですね。今回に至っては、無意識でやってしまってます。やれやれ。

で、考えたのですが、この際実名を公表しようと思います。というのも、考えてみれば別に隠すようなことではないし、また、僕のnoteは、実名を公表することでこそ輝くのではないか、という予感があるからです。後者は僕の感覚ですので、多分みなさんは「何言ってんの?」という感じだと思います。まあ、そのうちに明らかになるでしょう。

はい、ということで、実名を発表します。
僕は、松井 周星(まつい しゅうせい)と申します。松井が姓、周星が名です。松井という姓は、ありふれた名字ですので、さしたる驚きはないと思います。ただ、なんで自分に松井という名字がついているのかという点に、僕は好奇心を抱かずにはいられませんので、研究を始めることにしました。鋭意製作中ですので、しばしお待ちください。

明らかにみなさんを「?」とさせるのは、僕の「周星」という名前でしょう。僕も、物心がついた時には「?」となりました。星が周るってどういう意味??ということで、小学校2年生の時にあった、自分の名前の由来を親にインタビューする、という企画で、父にインタビューを行ったところ、

「まあ、生まれた時に顔を見たら、周星って感じだったんだよ」

と言われてしまいました。以降、何度聞いてもこの調子です。なので、僕は自分の名前に意味を求めることを、半分諦めました。最初は以上の言い分が、(たとえジョークだとしても)腹立たしい限りだったのですが、大人になるにつれて、この「生まれた時に顔を見たら、周星って感じだったんだよ」という一節が、非常に魅力的に思われてくるようになりました。この話題も本論ではないので、詳しい議論はしませんが、つまり、「わからない。故に、魅力的だ」ということです。

記憶を遡ると、僕は幼少期に自分の名前を尋ねられた際に「えーっと、あまねく、ほし、で、しゅうせいです!!!!!」と言っていた覚えがあります(小学校に入る前)。なので「周」は「あまね」と読ませるイメージなんですかね。すると、「すべての星」ということ?ということは宇宙?ふむふむ、なかなか興味深いですね。

でも、本当のことは分からなくてもいいやと思っています。あいまいでいいのです。そんなことは。僕らの世代が、現代文の授業で必ず習ったあの、ミロのヴィーナス論と一緒です。腕がないからこそ、腕の有り様の、無限の可能性に思いを馳せることができる。腕があったなら、それはそれで貧相なのです。

はい、というわけで、松井周星が書く「ヘタウマ生活曼荼羅」を、今後ともよろしくお願いいたします。さしあたり、アカウントネームはshuseimatsuiのまま行こうと思います。理由は、ある友達に「アパレルブランドみたいでかっこいい」と言われたからです。アパレルブランドは目指してませんが、僕もこっちの方がしっくりとくるので。それでは、今日もよろしくお付き合いください。

今日のメイン・ディッシュ:
生きてることに遠慮なんてしねえよ 
eastern youthを手がかりに「天賦人権論」を考えてみる

今回もようやく本題に入ります。本当にすみません。今回に至ってはタイトルを先につけて公開しておきながら、本論に入るのは翌日という顛末です。お許しください。ただ、なんというか、これを語るには、ある程度の時間が必要だったのです。ちゃんと原稿についてや、その論理をどうしようかみたいなことは、考えながら過ごしているのです。はい、というわけで、今回は私の心の師、eastern youth、および吉野寿についてです(注:以下、eastern youthは、eyと表記します)。

「あれ、アイドルは?」みたいに思われた皆さん、こちらもすみません。今回は、というか、いまは、僕はeyを語りたいのです。ちゃんとアイドルについては書き綴っていく所存ですので、続編をお待ちいただければ幸いです。

なぜ、きょう、eyを語るかといえば、僕には時間がないからです。もっとわかりやすくいえば、僕の時間は有限だからです。

以下に示す、インタビューにおいても吉野が語っていますが、我々は本当に、いつ死ぬか分からないのです。いつこの日常に、幸せに、終わりが来るかは分からないのです。僕は会社員生活4年目になりますが、この間に2名の同僚をなくしました。どちらも、あまりに早すぎる死でした。本当に何の前触れもなく、ある日突然亡くなってしまいました。どちらの方も、僕にとって、とても大事な人でした。

なかでもそのうちのお一方は、僕の職業生活のもっとも厳しい時に、僕を支えてくれた人でした。公私共に、大変お世話になりました。僕の書いた原稿を読んでくれたことがあって、

「マツイさんは、物語を書く力が、絶対あるよ。だから大丈夫だよ。どんなにやばいって思っても、それを思い出して。これまでの経歴を思い出して。マツイさんにはそういう力があるんだから。なんとかなるって!」

と励ましてくださいました。説教臭さとは無縁の、まったく説明的でなく、多くを語らない人なのに、このことは僕に2回も言ってくれました。僕はこの言葉があったから、あの人がいたから、いま書けているといって、まったく過言でないです。あの人がいたから、この原稿があります。そんな大事な人が、ある日突然いなくなってしまったのです。その時ばかりは、僕はほんとうにこの世を呪いました。怒りがわきました。何も言えませんでした。この世界は、全部嘘だ、とさえ、思いました。

もちろん、彼らは僕の中では生きています。生き続けています。でもやはり、ある意味においては、亡くなってしまった、という事実は決定的なのです。

僕の生は間違いなく有限で、いつ終わりがくるかわからない。だから、やりたいことに順番をつけて、上から順番に取り組む。急がなければならないと思っています。なので、最近僕が会った人は、本当に、会いたい人なのであり、行った場所は心から行くことを熱望した場所なのです。また会おうと約束した人は、切実に、心から会いたい人なのです。

実現したいことに順番をつけて、上から取り組む。やりたいことをやる。さしあたり、僕は、それが生きること思っています。

(注:これは僕が常々思っていることであることには間違いないですが、だからといって僕が重篤な疾病を患っているとか、余命宣告を受けた、とかいうことではないです!ご安心を!)

この原稿だってそうです。僕は、書くことが好きで、書くということを通して自分を知りたいし、みなさんを理解したい。社会に働きかけたい。だから、大袈裟でもなんでもなく、僕は、松井周星という実存をかけてこの文章を書いています。僕がこの後死んだら、これが遺作です。そのつもりで書いてます。血の生あたたかさのような「生存の実感」を経験しているのです。

すみません、ちょっと熱くなってしまいました。僕は論理より、感情が先に働くタイプの人間で、時々、どうしてもこういう態度を示してしまいます。昔からそうなんです。だからそういう自分の特性をご理解いただいた上で、この試みを見守ってくださると幸いです。

まずは聴いてみよう

今回はeastern youthの作品と吉野の語りから、「天賦人権論」という思想的に接近しようという試みになりますが、まずはeyの楽曲、および、吉野の語りをみなさんに先にご覧いただく、というのが良いような気がしています。さしあたり、私は5つの資料を提示します。僕も一旦これを改めて見直したうえで、以降の記述を進めます。

資料1 「ソンゲントジユウ」ミュージックビデオ

資料2 ソンゲントジユウ 歌詞

ソンゲントジユウ   (「SONGentoJIYU」(2017) 所収)

今日も運命に流されてゆく
わかったつもりだったってなんだったっけな
思い出せないくらいフラフラになったって
生きている事に遠慮なんてしねえよ 遠慮なんてしない

そうさ、どう転んだって、俺は俺
生まれ持った生存の実感を
誰かの手に委ねちゃいけねえんだ
煮えたぎった日が落ちてゆく

どこかで声がする
光の加減で顔が見えない人達
伝わってくる気配の振動が
夜を震わせている 震わせてゆく

遠くの方に今日が逃げ去ってゆく
背後にはまた明日が迫ってくる
照りつける日差しにうなだれて
叩きつける雨に逃げまどって

それでも俺は俺さ
どんな時だって俺は俺さ
瞬間のフレーム 感覚のフレーズ
どんな時だって俺は俺さ
そうだろう

薄暗いバスにゆられ
まるで物体のように運ばれながら
国道を流れる 赤血球のようなテールランプを
眼鏡に映しては受け流していく
生きたまま死んでいくのか、死んでいるように生きて行くのか
瞬間のフレーム 感覚のフレーズ
魂の裂け目から湧き出すブルース 

そうさ、俺は俺
握りしめた生存の実感は
誰かの手に委ねちゃいけねえんだ
誰かの手に渡しちゃいけねえんだ
どう転んだって俺は俺
どんな時だって俺は俺さ
生存の実感とソンゲントジユウ
どんな俺だって俺は俺さ

だって そうだろう?
なあ、そうだろう?

(注:https://l-hit.com/ja/24036 最終閲覧:2024/08/19 を参照し、一部筆者が改変)

資料3 株式会社トーチライトによる 吉野へのインタビュー記事

資料4 楽曲「ソンゲントジユウ」に関するインタビュー
2017年09月28日00時00分
eastern youth、最強伝説継続中! ──生存の実感は誰かの手に委ねちゃいけねえんだ(最終アクセス:2024/08/23)

資料5 (2024/8/29 追加)
吉野寿さん(eastern youth) インタビュー (2024/8/29 最終閲覧)


ey と松井の出会い、ソンゲントジユウをどう受け取ったか

では、はじめて行きましょう。まずは、松井とeyの出会い、それから今回の主たる検討材料「ソンゲントジユウ」という楽曲について語ります。

僕がeyの楽曲に出会ったのは、2015年、17歳の時です。コスタリカ留学から戻ってきた僕は、とにかく暇を持て余していました。放課後には部活もないので、とにかくやることがなく、TSUTAYAや、アマプラなどでシリーズを漁っていたりしていました(「龍馬伝」をイチから見直してみようと思うくらい暇だった)。

それで、たまたまハマったTVシリーズ「モテキ」の、挿入曲を通し、eyと出会うことになりました。確か長澤まさみ演じる女性と、森山未来演じる男性が、申し合わせてeyのライブに行くシーンがあったのですが、そこで吉野が「男子畢生危機一髪」を披露するショットを見た記憶があります。

先に紹介した映像等をご覧になった方はお分かりかと思うのですが、eyおよび吉野の特徴を一言で表すのならば、僕は「咆哮」だと思っています。なので、17歳の僕が初めに彼について抱いた印象は、「叫んでるバンドマン」程度でした。曲は音として入ってくるのですが、歌詞はなんと言っているのか分からなかったです。ただ、僕の脳裏には、その姿だけはすごく印象的に焼き付きました。

一方で、「モテキ」を観たからeyを追いかけよう、という風にはなりませんでした。というのも、「男子畢生危機一髪」という表題が大変堅苦しく、小難しく思えたし(僕は「畢生」を「ひっせい」と読むことも知らなければ、その意味もわかっていなかった)、当時の僕の趣味からは外れるものでした。この時点でのeyは、「美術館で見て、通過していった一枚の絵画作品」のようなものだったのです。

それから再びeyの世界に引き込まれたのは、2020年、大学卒業の直前でした。この時も大学の卒業試験を終わった直後で、やはり暇を持て余していたのですが、Apple Musicで音楽を漁っていたら、たまたま「男子畢生危機一髪」を聴いたのです。

この時の感覚は、結構衝撃的でした。「グワァーン!」というか「ズドーン!」というか、、、「がぼぉぉぉえぃぃぃぃん」(by 向井秀徳)ともまた違う、言葉にならぬ感覚です。これを言葉で表すのは至難の技です。ただ、その時、17歳の自分が覚えた原初的な感覚が蘇ってくると同時に、吉野の意図が少し見え透いたように感じられたのです。「彼が音楽を媒介に言いたいこと、表現してみたいことは、こういうことなんじゃないか?」という、自分なりの見立てを持つことができました。その見立てを足がかりに、僕はeyの作品を聴き進めていくことになり、今日に至ります。

そんな中で、もっとも僕の心を揺さぶる曲の一つが、「ソンゲントジユウ」でした。やっぱり最初のハーモニクスなんかは、とても引き込まれるものがあります。これしかないというような音色のハーモニクス。音楽でしか切り拓くことのできない境地があるのだと思い出させてくれる。ハーモニクスに始まり、そして、ハーモニクスに終わっていく。とても美しく、また切実な印象を受けます。

また、僕はこの作品の詞に、とても心を揺さぶられ、また同時に支えられているような思いです。この詞が、僕は、本当に本当に好きなのです。いや、「好き」はちょっと違くて、共感するというか、compassion=共苦 の念を覚えるのです。そうだよね、というか、そうとしか言えないというか、そういう心象の風景を、極めて感覚的にかつ写実的に表していると、僕は評価しています。

「天賦人権論」への入口
と同時に、学問では社会思想、職業選択においては福祉の分野の門を叩いた僕としては、やはりこの「ソンゲントジユウ」という作品から、「天賦人権論」を想起しています。

不勉強な僕が説明をさせていただくのは大変恐縮ですが、「天賦人権論」とは、簡単にいえば、人間は生まれながらにして自由で平等なのであり、幸福を追求する権利があるのだ、という思想です。
(注:以上の解釈は、松井によるものです。また、「天賦人権論」に関しては、今回の記述を足がかりに、さらにその理解を深めていく所存です。『社会思想史辞典』等にあたりたいところのなのですが、近所の図書館には配架されておらず、また現時点で参照可能な、他の辞典等の解説はやや信憑性に欠けるため、いったん上記の「平易な」解釈にのっとって話を進めます)

小学校の社会科から憲法や世界史などを学ぶ僕たちは、「人間は生まれながらにして自由で平等なのであり、幸福を追求する権利があるのだ」という論に対し、さしたる疑問は抱かないのが普通ではないでしょうか。僕の感覚では、こういうことを習ったタイミングで、「そうだ!」と声を上げる人もいなければ、「これを守らなければ!」と活動や実践をするという人は少ないと思います(少なくとも、僕が19歳で新潟高校を卒業するまでに、そんな人は一人もいませんでした)。僕自身も、この論については、人生のある時までは、問題にしようとも思いませんでした。

一方で、僕は26年の人生経験を通し、この世の中には、明らかに不平等が存在するのを、この眼で何度も目撃してきました。また、僕は、幸福とは何なのかをまったく見失った時期があるし、その「幸福」とやらがあるとしても、その追求がままならない条件・状況がありました。つまり、教科書的に説明される「天賦人権論」なるものの正当性が、僕にはリアルには感じられない時期があった、ということです。そんなものは空虚なスローガンに過ぎない、と本気で考えていた時期もありました。少しだけそのことを掘り下げてみようと思います。

マツイの暗黒「大学シニア時代」(2020-2021)
「天賦人権論なんてわからん!!!」と思っていたのは、僕の大学時代、とりわけ大学3、4年の「大学シニア時代」です。西暦で表すと、2020年〜2021年。確か、2020年1月頃から新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大が始まったため、客観的に見ても閉塞感が強まった時期ではあります。この時期が、僕はほんとうに、ほんとうに、苦しかったです。自分の人生を振り返ることを求められることがあるとしたら、僕はこの時代を「暗黒時代」と呼ぶことにしたいと、いまはさしあたり考えています。

僕は、大学で社会思想史、経済思想史をベースに現代世界を考察するというような趣旨の研究を行なうゼミに所属していました。が、この学問領域に所属していることや、恵まれた環境で本物の学問に触れているという実感や喜びよりも、もっと巨大な苦しみと畏怖を感じながら生活をしていました。端的に言えば、ゼミが、とてもハードだったのです。ハードというのは、いろんな意味合いで選んだ言葉なのですが、より具体的にいうと、硬派で、対決的で、精神的なタフさが求められるようなイメージです。このことは、どこかでまた語ろうと思いますが、僕は何度、自分のゼミの発表のために徹夜したかわからないです。また、発表の後にトイレで泣いたかわからないです。ちょっと大袈裟ですが、あれはほんとうに命懸けでした。よく頑張った自分と言いたいです。
(注:ここまで書くと、アカハラじゃないかと心配されるみなさんもいると思いますが、それは断じて違いますのでご安心ください!!)

そして、そんな厳しい状況の中に重なるようにコロナ禍を経験しました。東京で生活していたため、新潟にも帰ることができず、バイトもやめとけということで、バイトをすることもできず、ひたすら四角い部屋の中で生活していました。当時の僕の部屋は高速道路の真下にあり、かつ、窓が一つしかありませんでした(弟には刑務所みたいと言われた)。そんな環境で、オンライン授業を受けたり、ゼミの発表では、パソコンに向かって怯えながら喋っていました。するとPCから批判されました。なんで俺は生の人間の声ではなく、「パソコンに怒られなきゃいけないんだ」という悔しさをぶつける対象がありませんでした。

そんな日々を送っているうちに、僕は、大袈裟ではなく、「自分は価値のない人間だ」と本気で思うようになりました。その時は大学4年だったので、世間的には就活シーズンだったのですが、ゼミで「怒られないようにしよう」ということしか考えていなかったので、就活はほとんどできていませんでした。というか、就活をやる資格がないと思っていました。これは、今考えれば極めて余計な心配なのですが、自分の所属する研究室の思想的立場に反する企業を受けてはいけない、と本気で思っていました(このことは卒業後に、ゼミの同期に一度告白したことがあるのですが、彼女も同じことを言っていました)。

何が言いたいかというと、

「いけてる研究ができない」→「自分にはセンスがない」→「自分は就活する資格もない」→「自分はそういう意味でも無能な人間だ」→「自分はもうダメだ」

と、本気で思っていたいうことです。ええ、本気です。その証人のひとりが、僕の母です。卒論の提出期限が1ヶ月後に迫った時、僕はにっちもさっちも行かなくなり、なぜそんなことができたのかわかりませんが、家に電話しました。すると母親が東京の自宅に駆けつけてくれたのです。完全に生活が行き詰まっていたので、家事を中心に生活を整えてくれたおかげで、いくらか僕はマシになりました。その後、なんと奇跡的に大学を卒業することができました。そして、へろへろになって試験を受けた会社に入り、介護の仕事をするようになったのです。

で、忘れもしないのが、「俺はもうダメだ」と何度も母親の前に口にしたということです。私の母を知るみなさんは、ぜひ聴いてみてください。気分転換に散歩でも行くぞ!という母の誘いに対し、とりあえずついていくのですが、家路に着く頃になると、またあの地獄に逆戻りだと思い、巨大な鬱の波が押し寄せてくるのです。ほんとうに、冗談でもなんでもなく、僕は真夜中の調布のまちで、「うわあー!」とか「もうだめだーーーーー!!!」とか、「もう無理だーーーーー!」とか叫びました。道で泣きました。どう考えても、あれは、近所迷惑でした。白い帽子を被り、インディゴ・ブルーのコートを着ていたのは私です。調布市民のみなさん、ほんとうに申し訳ありませんでした。ただ、それくらい僕は追い込まれていたのです。本気で自分には価値がないと思っていたのです。

「幸福追求権とか、生存権って、よくわかんないっす」の松井 vs 「尊厳と自由」を叫ぶ吉野

その後、僕は2021年に職業生活をはじめます。最初に取り組んだ仕事は、埼玉県にある、特別養護老人ホームでの、介護の仕事です。「なぜ介護???」とこれまでに何度も聞かれましたが、これを語ると原稿が長くなるので、別のときに話します。ただ、端的にいえば、「どれほど自分がだめだったとしても、人の生存自体を諦めたくなかったから」です。今度、詳しく話しますね。

ただ、学問研究でボロボロになっていたので、とにかく、深く考えずに働くということに徹しました。余計なことは考えずに、とにかく身体的に動く、必要な分だけのお金を稼ぐ、ということだけを意識しました。それが僕に唯一できることだったのです。ムカつくこと、言いたくなることは、ある。でも、社会はこういうものだと、一旦、割り切る。考えるのをやめて、社会の歯車になろう。そう考えていました。そんな時に心の拠り所にしていたのがイースタンユース、eyだったのです(夜勤前に「雨曝しなら濡れるがいいさ」を聴くのがルーティーンでした)。

ここから、この節のタイトルにさせていただいた、「幸福追求権とか、生存権って、よくわかんないっす」の松井 vs 「尊厳と自由」を叫ぶ吉野の検討と(少しの)分析を始めます。

まずは、「資料4」からいきましょう。これは現在でも閲覧可能な、「ソンゲントジユウ」という楽曲そのものを、吉野自身が語っている、極めてクリティカルな資料です。その一部を引用します。

──アルバム『SONGentoJIYU』が発売になりますが、1曲目の「ソンゲントジユウ」についてまず訊かせてください。この曲が1番最初にできたんですか?
吉野寿(以下、吉野) : そうではないですけど、1曲目のつもりでつくった曲ですね。
──表題曲みたいな形だったんですか?
吉野 : 曲をつくってるときは、こんな風にするつもりはなかったんだよね。「この曲を1曲目にして……」と思ってつくったら、歌詞がなんとなくあんな感じになって。役に立たない、生きてる価値がないとか経済効果もないとか、そんなこといわれる筋合いはないっていう、“尊厳と自由”ということを俺はずっと歌ってきたんです。こんな大袈裟なタイトルつけるつもりはなかったんですけど、これでアルバムをつくる機会が俺にとって最後だとしたら、何を言っておきたいのか、それをズバッと一発で単刀直入にいうと何なんだと思ったときに、やっぱり“尊厳と自由"だなと思ったんですよ。

障害者支援施設で生きる価値なしって沢山殺されたりとかさ、貧乏だから、働く能力ないから、納税しないから、不倫したから生きる価値なしとか、何を言ってんだと。いかめしい単語ですけど、自分が生きてる、尊厳としか言いようがない、それは誰かに許されて与えられたりするもんじゃないでしょう。それをどうして遠慮しないといけないのかってことですよね。死ぬまでの自分の一生ですよ。誰も責任とりゃしねえし。思ったようにやるのが1番、どう転んだって自分は自分なんだから。良いとか悪いとかじゃねえし。それで生きてるんだから良いじゃねえかっていうことを言っておきたかったんだと思う。だから後悔してませんよ。

OTOTOY 2017年09月28日
「eastern youth、最強伝説継続中! ──生存の実感は誰かの手に委ねちゃいけねえんだ」

いかがでしょうか?まずは、みなさん、自分なりの感覚や意見を大事にしてくださいね。ここから記す僕の記述は、僕の見立てでしかないのです。だからどうか、みなさんはみなさん自身の感覚を守り、大切にしてほしいです。

まず言いたいのは、人間の「尊厳」と「自由」というテーマは、eyの作品群を貫くテーマであり、それは僕の予感通りだったということです。つまり、この楽曲の以前から、eyはずっと尊厳と自由を歌ってきたのです。ならば、もう一度「ソンゲントジユウ」という曲をつくるということには、何らかの意図があると読むのが適当であるような気がします。また、これがカタカナで表記されていることには、どんな意味があるのでしょうか?

その問いに対してのアンサーは、僕はやはりこの箇所にあるのではないかと見立てます。

こんな大袈裟なタイトルつけるつもりはなかったんですけど、これでアルバムをつくる機会が俺にとって最後だとしたら、何を言っておきたいのか、それをズバッと一発で単刀直入にいうと何なんだと思ったときに、やっぱり“尊厳と自由"だなと思ったんですよ。

同上

この語りから、吉野が、吉野という存在をかけて、少なくとも2017年時点で言いたいことは、「尊厳と自由」という言葉に収斂していた、と読んでよいでしょう。もし、きょうが最後なら、今この瞬間が最後であるならば、俺は尊厳と自由を言い残す。そういう決意と切実さ、ことばの強さを感じます。

この箇所以降で、吉野は説明的にこのように語ります。

障害者支援施設で生きる価値なしって沢山殺されたりとかさ、貧乏だから、働く能力ないから、納税しないから、不倫したから生きる価値なしとか、何を言ってんだと。いかめしい単語ですけど、自分が生きてる、尊厳としか言いようがない、それは誰かに許されて与えられたりするもんじゃないでしょう。それをどうして遠慮しないといけないのかってことですよね。死ぬまでの自分の一生ですよ。誰も責任とりゃしねえし。思ったようにやるのが1番、どう転んだって自分は自分なんだから。良いとか悪いとかじゃねえし。それで生きてるんだから良いじゃねえかっていうことを言っておきたかったんだと思う。だから後悔してませんよ。

同上

みなさんはこの言い分をどう受け取りますか?

僕は正直、反論することができないです。特に「何を言ってんだと」の部分に、かなりグッときます。なにをいってんだ、と、ひらがなで書き直したいくらいグッときます。人の生は、「誰かに許されて与えられたりする」ものではない、という吉野の語りには、絶対の響きがあります。

一方で、先ほど述べたように、2020年の僕は、「価値がない」「自分はおしまいだ」と、自暴自棄になっていた。この差異はなんだ?????と、僕は思うわけです。だって、吉野のいうことはわかるのに、松井はリアルに自分を否定するのです。そして、曲がりなりにも回復はしましたが週の40時間以上を、会社で過ごすという意思決定をしました。僕の心の師である吉野は「生存の実感」は、「誰かの手に渡しちゃいけねえんだ」と言うのに。このズレ、相反はどういうことなのか?と、僕はいまだに本気で考えています。

この点については、もう少し吉野の「顔の見える」資料が必要だと思いました。とというわけで、「資料3」をあらためて参照してみましょう。

資料3 株式会社トーチライトによる 吉野へのインタビュー記事

こちらも、今日時点で閲覧可能な、吉野による語りが残されているインタビューの記事です。聞き手の質問に対し、吉野が答えていくという、「資料4」と同じようなオーソドックスなインタビューの形式が採用されていて、かつ、特定の楽曲やアルバムについてと言うよりは、吉野が少年期から現在に至るまでを回顧しながら語ると言う類のものです。松井の問題意識・関心にはかなり近い資料です。

吉野の話し言葉、語りの微妙なニュアンスも、読んで伝わりやすい形で記録されています。やはり、聞き書きは大事ですね。

(注:実は、このインタビューの一部は、以前はYoutubeで閲覧することが可能でしたが、現在のところ動画は削除されてしまっています。僕はこのインタビュー動画が大好きで、時々振り返るようにしてみるのが楽しみでした。なぜ削除されてしまったのかについては、今後トーチライト社に問い合わせてみようと思います)

(2024/08/29 加筆)
この記事を公開したのち、トーチライトの公式アカウントからコメントがあり、吉野のインタビューのダイジェスト動画を再公開してくださいました!ほんとうに、感激です。もっと分析します。トーチ社の社員様、ご多用のところお読みくださり、また、ご配慮をいただきありがとうございました!

非常に膨大な量のある資料で、話題もたくさんあり、どこを論点にするのかが大変難しいです。引用しておきながらすみません。ただ、「『ソンゲントジユウ』に共感するのに、『天賦人権論なんて嘘だ!』と言ってしまうマツイの中の相反」を検討するにあたっては、吉野と松井の人格形成の過程や、生い立ちに遡るのは有効かもしれないと思いました。というわけで、インタビューの終盤、ある意味で、吉野が自身の生い立ちの語りを含むこの点を参照してみましょう。

ー吉野さんが書く歌詞には、寂しさを感じるなと思っていて。暮らしのなかで、寂しさを感じていますか?

吉野:寂しいですね。友達がいませんから。付き合いもないですし、人と上手くいかないんで。だから寂しいですし、侘しいですよ。いかんともしがたいですね。どうしようもない。

ーそれは、集団のなかでしがらみを感じていた中学生の頃から変わってないのでしょうか?
吉野:変わってないですね。中学生どころじゃないですよ、物心ついてからずっとですね。上手くいったことがないですから、1回も。だから、もう受け入れてますけど。

ーその寂しさや侘しさは、克服したり、解消するものではなく、付き合っていくしかないものなんですかね。
吉野:周りの人から受け入れられないんだからしょうがないって感じですね。

ーこれだけファンの人がいたり、バンド仲間の方がいても、寂しいとか侘しいという根幹は変わらないんですか。
吉野:変わらないですね。ミュージシャンの友達なんてぜんぜんいませんし。

トーチライト社 インタビュー記事

この記事は吉野が、自身の言葉で生い立ちを語ることから始まりますが、吉野の語りを一言に要約することが許されるのであれば、「物心ついてからずっとですね。上手く行ったことがないですから、1回も」という部分であると僕は読みました。つまり、吉野はどこまでも個人的であったという事です。バンドメンバーの田森には、高校生活など懲役だ、やめとけ、と焚き付けるなど、根本的に集団に属するということに懐疑的です。それをさらに特徴づけるのが、以下の語りだと思います。

ー極東最前線に行くと、ぜんぜん知り合いじゃないのに、その場に集まってる人たちに不思議な親近感を覚えるんです。「自分と同じような鬱憤を抱えて、ここに来てるんだろうな」みたいな感じがして。だけど、それは「みんな仲間だ」という感覚ではなく、「ひとりの人がいっぱいいるな」みたいな感覚なんですよね。

吉野:まぁ、酒場みたいなもんですよね。ひとり客ばっかりの酒場。でも、似たような感じの客が多いみたいな。そういうのはいいと思いますね。街感っていうか。
群れるのはできないんですよ。嫌いだし、憎んでるんで。そこに居場所を見出して、みんなで傷を舐め合うみたいなのは嫌いなんです。そうじゃなくて、「ただ自分が気に入ってるから、そこに行く」って人が結果的に集まった状態。そこで、それぞれの目的を果たして散っていくみたいなのは好きなんですよ。〝街〟っていう感じで。ベタベタしてないし、しがらみで繋がってるわけでもない。そういうのが、なんかいいんでしょうね。

ーよくライブのMCでも、「音楽でひとつになるな。音楽でひとりになれ」ってことをおっしゃってますよね。
吉野:みんな、ひとつになりたがりですよね。ひとつにならなきゃダメですか? 俺は「ほっといてくんない? 勝手に聴いてますから」って思うタイプなので、他人にもひとつになることを強要したくないんですよ。誰だって、ひとりなんだから。
ロクなことがないと思ってますよ、ひとつになるのを人に強要するっていうのは。全体主義にも通じてくると思いますし。そういうのには散々泥水を飲まされて生きてきましたから、反感があるんです。

同上

吉野は自分自身の言葉で、明確に「群れること」への疑義を唱えています。集団になることは、「ロクなことがない」という。「ほっといてくんない?」と、何かを強要されることにも、嫌悪感を呈しています。どこまでも、「個」として生きてきた人だという見立ては、決して間違いではないはずです。

このどこまでも「個」であること、誰がなんと言おうがまずは「個」として吉野寿が存在するのだという信念の強さが、筆者すなわちマツイとの明確な違いであると私は見立てています。私自身も、俺は俺だとは思っています。これまで、どうしてもうなづけない、という集団の流れに対しては、逆行してきました。小学校の植物栽培で、全員がなんとなくミニトマトを育てているのが気持ち悪くて、ひとりだけピーマンを育ててみたり、頑張って入学した新潟高校で、初日から大学受験の話をされるような高校教育のあり方に辟易してコスタリカに行ってみたりしました。

一方で、集団を完全に離れる勇気はなかったです。個でありたいと願いながら、一方で何かに属することから離れられない。たとえば、破局的な大学シニア時代でボロボロになりながらも、意地を張ってきちんと企業の内定はとりたかった。その理由はいくつかあります。一つには、みんながそうしていたから。そうではない進路を、選ぶ勇気もなければ、それがどんなものかすらわからなかったです。それがどんなに自分の身を滅ぼすような企業であったとしても、「会社員」にはならなければという強い思い、恐怖があったのです。この点が、吉野とマツイで、決定的に違う点だと思います。

「仮固定」的結論

先ほど、二項対立的に、以下の構図を設定し、問いを立ててみました。

「幸福追求権とか、生存権って、よくわかんないっす」の松井 
vs
「尊厳と自由」を叫ぶ吉野

つまり、「尊厳と自由」の絶対性にとても共感できるのに、「幸福追求権」や「生存権」ってなんやねん、と思ってしまうのはどういうことなのか。俺は俺でありたいのに、なぜ松井は「群れること」を選んでしまうのか。

この問いに対して、「仮固定」的な答えを出すならば、吉野と松井の決定的な違いとは、どこまで純粋に個でありたいかと願っているか、またその願望を実践にうつせる信念や魂の純粋さがあるかどうかである、というのが僕の考えです。書きながら、あまり上手くないし、ここまで長く書いたうえでは面白くない結論ですが、とりあえず仮にはそういうことだと思っています。

そうであるから、これを踏まえて、今後自分がどうするか、ということがとても大事であると考えています。本稿の執筆を通して、筆者である松井は、自分がどの辺に位置する存在なのか、ということを、曲がりなりに理解できたと思っています。より具体的にいうならば、上記に示した二項対立の、どの辺に自分が位置するのかがわかった、ということです。そして、それを踏まえて、いくつかの行動・実践を行うことができました。そのことは、機会をあらためて書くこととしましょう。

最後に言いたいこと + 今後の展開

ここまでお読みいただいた方、本当にありがとうございます。今日の原稿は、なんと、手元の原稿で、17,340文字を数えております。自分でもびっくりです。ほんと、何やってんですかね。でも、僕としては、これくらいの分量を書いてみないと、今日あつかったテーマについては適切に語ることができないのです。

また、プロが読めば、この文章は論理的な飛躍や、解釈の誤謬、そういうものが散見される代物だと思います。その点は、まったく、当方の力不足です。ただ、松井にはこう書くしかないのです。今後、書くことを通して、さらに上の基準に到達したいという思いだけはあります。なので、書き続けます。よろしくお願いします。

さて、このパートには、「今後の展開」と付しております。それは何かというと、僕が資料3で最も魅力的だと感じた、吉野の語りに着想を得て、今後の原稿で新たな論を展開したいということです。それが、人間の「さみしさ」です。

まずは、こちらをご覧ください。

ー吉野さんが書く歌詞には、寂しさを感じるなと思っていて。暮らしのなかで、寂しさを感じていますか?
吉野:寂しいですね。友達がいませんから。付き合いもないですし、人と上手くいかないんで。だから寂しいですし、侘しいですよ。いかんともしがたいですね。どうしようもない。

同上

僕は、この部分にとにかく惹かれます。「寂しい」し、「侘しい」。「いかんともしがたい」し、「どうしようもない」。なんて人間らしいのだろうと思います。

(注:前述の削除されてしまったインタビュー動画において、この部分の、吉野の切実な語りぶりが、僕は本当に本当に大好きでした。いつかもう一度見たいと、個人的には強く願ってしまいます)

この点については、一度僕も原稿で書いたことがあります。正確な引用も、後日行いますが、僕自身もさみしいですし、さみしさ、とは、人間が普遍的に感じうる性質の感情である、という趣旨の記述をしました。現時点でもその考えは変わらないです。初回の原稿で紹介した、「shuseimatsuiの愛好するもの」をご覧いただいた方の中にも、「きっとマツイはさみしいやつなんだ」と感じ取った方はいるはずです、そうでしょう?

加えて、この「さみしさ」が、少なくとも僕が現代世界を見つめる時には、きわめて重要な、避けて通ることができないテーマだと考えています。なので、今後は
僕なりに「さみしさ」を研究していきたいと考えています。

おわりに、一言だけ

本当にこれでおわりです。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。何か記念品でも贈呈したいくらいです。いつかそういうのできたらな、と思っていますので、もしよろしければ、今後ともよろしくお願いします。一方で、「マツイ、疲れたわ」という方は、どうぞご遠慮なく離れてください。そして、また読みたいと思ったら、戻ってきてください。私も、強要することだけは、嫌いなのです。

毎回の原稿は、明確に読者を意識して書いています。この人に届けたい!という、その人の顔を思い浮かべ、書いています。それが誰なのかは、あえて、言いません(笑)。だって、そんなの、わかったら面白くないでしょう。

でも、これを書き終わった時に、この人にはぜひ読んでもらいたいな、という人の顔を思い浮かべました。それは僕の大学時代のゼミ同期・仲間のまっきぃです。

まず、僕は、まっきぃに謝りたい。僕は一度、音楽をテーマとしたまっきぃの研究発表の議論に対し、「音楽の論述可能性」について批判的なコメントをしたことがあります。そこで僕は、音楽を、言葉で語ることなんてできない。音楽は音として感じるものであり、それをことばで記述することなんてできますかね?という趣旨の発言をしました。

その後も、僕はそれについて考え続けてきましたが、あれは、ある意味では浅はかな発言だったと思うし、加えて本稿の試みは、まずもって音楽を言葉に変換することなしには成り立ち得ないものです。そういう意味で、まっきぃには大変申し訳なかったなと思っています。あの時は悪かった!僕が不勉強でした。ごめんなさい。

中山ゼミのみなさんに、この原稿を紹介するのは大変恐れ多いけど、この原稿は、まっきぃには読んでもらいたいかもって、こっそり思っています。この後少し考えて、共有するかどうかを決めますね。

遠くに住むまっきぃには、この前東京で、再会することができました。また、会える日を願って!その日まで、僕は、できることを続けていきたいと思います。

みなさんも、どうかご無事で!また、お会いしましょう!
Pura Vida!

まつい

付録 shuseimatsuiの研究ノート&メモ
(本稿で扱えなかったテーマたちの宿る場所)

個人主義 ← 社会思想史での頻出ワード 
マツイはこれまでの理解 新しい解釈を得た気がする個であるということ  
目的とか理念 集合的になっていくひとたち「ひとつになりたがり」
個であった時間 集団にいた時間 どっちが長いんだろう

壁をつくる 
「生存そのものが孕む絶対的孤独」 by シネウィンド(新潟) サイトウさん
 これもいつか書こう

ある先生の言葉
3年でインターン 4年で就活 そういう決まりきった道は歩まなくても良い
30くらいは何をやってもいいんじゃないかと言われたことがある
その意味がよくわからなかった

生き急ぐ 生きるとは?

ー「人間は誰しもひとりだ」という考えを強く持つようになったきっかけに、2009年のツアー期間中に心筋梗塞で倒れたことは影響していますか?

吉野:根っこの部分には、あんまり関わってないと思いますけど、あれを境に「やっぱり人は死ぬんだな」という実感を持つようになりましたね。時間ってのは、永遠にはない。それは頭じゃわかってても、身体があんまりわかってなかったというか。死ぬような気がしないじゃないですか、生きてると。

ー死をリアルに想像するのは難しいですね。
吉野:人間は必ず死にますからね。絶対死ぬんですよ。しかも、そう遠くない将来に。そういうことを実感しましたね。
だから、時間がないと思いました。もう、うかうかしてたら死んじゃう。食いたいものから先に食っとけじゃないけど、「やれることをやっとけよ、やりたい順に」って。やるべきだと思うことから順にやっていく。やりたくないことに時間を割いてる暇はないっていうか。そういう気持ちは強くなったような気がします。

ー死が実感を伴うものになって、残された時間を意識するようになったと。
吉野:そうですね。僕は今52歳ですけど、周りには同世代とか、年下で亡くなってる人がすごく多いんですよ。最近もひとり亡くなりましたけど、僕くらいの年齢の人間にしては多いほうだと思うんですよね。事故とか災害とかではなくて、各々の事情でいろんな死に方をしてるんですけども。
ちょっと前までは会ったら「おーっ!」なんて言ってた人が、もういなかったりするわけですよ。そうすると、やっぱ人は死ぬんだなって。終わるんだなって。50歳そこそこなんて短い人生ですよ。「どうだったんだろうな、あいつの一生は」とか考えちゃいますよね。
ー自分の人生と照らし合わせて。
吉野:ええ。俺はまだ生きてるし、生きてんならまだ時間があるんだなって。そう思うと、「そうだな、やらなきゃな」って気持ちになりますね。

同上

能力主義(メリトクラシー)に思うこと
 メリトクラシーとは何だったかは、今後の課題

 あのとき母にもいわれた
 「論文とか研究ができなかったら、生きてる価値ないってこと?そんなわけないでしょ!!!」
みたいなこと言われた

そうだとしても、たぶん誰の何の言葉も届かなかったと思う
本当にどうかしてたなさえ思うが、実際の自分に起きたことなのだ

ではなぜ書くことができたか?回復できたか?思い直せたか?

今となっては、批判されても仕方ない、嫌われても仕方ない、と思っている 
鈍感になった 慣れた
cf.千葉『センスの哲学』あとがき
なのでこういう試みをやるに至ったのだと思う

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