自分を大事にするのって面倒だ
私は認知の歪みを持っている。
昔からカウンセリング系の本が好きで、カウンセリング養成講座も受ける中で、私は以下の歪んだ考え癖があると知った。
つまらない人間でも逃げ道があって、「顔が可愛い」「スタイルが良い」などの長所(相手に提供できる良い側面)があれば許容されるし、言動として「喋って会話の流れを止めない」などの回避策を取ることもできる。(と私は根底で信じていた)
で、「面白くあれ、でなければ死」のような歪んだ世界観で生きていると、もちろん焦燥感やら自己否定やら無気力やら、いろんな症状が現れる。
逆にいうと、そういった諸症状が顕在した場合、世界の捉え方に原因があると疑うこともできる。
そういったアレコレを学び、幾分か開放的に生きてきた私だが、数年も経つとまた歪みが復活する。
今日、通勤途中にあまりにも憂鬱で、「ずっと憂鬱感取れない」みたいな検索をすると、心療内科受診を勧める記事が山ほど出てきた。
仕事先の人はいい人ばかり。
けれど、ずっと「つまらない人間でいないように」頑張ることは非常に重荷になるようで、特にコミュニケーションの機会が増えると途端に耐え難くなる。
なぜなら、「つまらなくないコミュニケーションをした」と自分に太鼓判を押せる日なんて来ないからである。なので、「頑張っても報われない」気持ちが人と過ごすたびに溜まっていく。
と、何となく頭では整理できている。
しかし、長年培った認知の歪みはなかなか直らない。「3歩進んで2歩下がる」レベル。
なので、日頃から自分を大事にする、すなわち
・コンビニでは太らないものではなく、一番ほしいものを選ぶ
・無理して笑わない
・喋りたい時に喋る
・疲れたら仕事辞める
・自己否定が浮かんだら「まぁとはいえがんばってるやん」となだめる
といった、心身両面へのアプローチをしていく必要があると思う。それすなわち、毎秒の選択が要なのだ。
…認知の歪み直すのも、自分を大事にするのも、めんどくさい!!
とりあえず、今日は飲みたかった「ビタミンCゼリー」を選べたので、マル。
ちなみにトップ写真はウィーンに行った時。行きたいと思って行かせてあげられたので、こちらもマル。
思い出しては自分に優しくする、をこの先もずっと繰り返していくんだろうな、と思う。
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