植本一子の本一覧

これまで何冊か本を出してきたのですが、自分でも出版年数を忘れてしまったりするので、ここで自分の思い出と共に整頓してみたいと思います。

「働けECD わたしの育児混沌記」(2011年/ミュージック・マガジン)

これが初めて出た自分の本です。2010年2月から2011年4月という、震災直後までの日記です。上の娘が1歳、下の娘を妊娠中の時に書き始めたブログ「働けECD」を見た、ミュージック・マガジンの工藤さんが本にしましょうと声をかけてくれたのがきっかけでした。自分にとっては本当に大変だった育児中の東日本大震災。ブログを始めたのも、ワンオペ状態で毎日が寂しく、誰か私と同じような思いをしてる人はいませんかーーー、と虚空に呼びかけるような気持ちで書いていたように思います。それでもこの頃は、子供は可愛いもの、育児は楽しいもの、と思いたかったのか、文章からは明るさを感じます。体感としてはもっと辛かったような気もするのですが・・・まだこの頃は子供達も小さく、石田さんとも仲良く暮らしています。ブログの時から家計簿を載せるのを珍しがられましたが、石田さんは全く嫌がりませんでしたね。石田さんに浪費癖があったので、抑止力になればと思ってやっていましたが、効果はあったのかどうか・・・。帯文は編集さんが考えてくれたもので「月給16万5千、家賃11万。家族4人(と猫3匹)、生活してこられたのが不思議でしょうがない。」とあります。確かに不思議です。

ミュージック・マガジンは音楽雑誌を出す出版社で、確か私のこの本が初めての単行本だったとか・・・編集の工藤さんに声をかけてもらった時は、まさか本に!という感じで嬉しかった。タイトルにはやはり「ECD」という文字が入った方が・・・ということでブログ名のままになりましたが、最後まで抵抗した思い出が。サブタイトルを入れてもらうことで、なんとか自分のものにしようとしている意地を感じます。明るいからか、評判もそこまでは悪くなく、万人に薦められる一冊。装丁は、今でも仲良しの坂脇慶くん。表紙の写真が私はそこまで好きではなかったのですが、いい写真だとよく言われます。(なんとこの写真のネガを無くしました)

「かなわない」(2016年/タバブックス)

前作の「働け〜」から5年の時を経て、かなわないが出ました。ブログは相変わらず続けていて、子供達が大きくなるとますます辛くなることが増え、もはや「誰か助けて!」と叫ぶような気持ちで書き続けていたような気がします。日記の部分は今でも読み返すことができず(基本自分の本は読まないんですが)何を書いたんだっけ、と出版社からのコメントを見てみたところ、こんな感じで紹介がありました。

2014年に著者が自費出版した同名冊子を中心に、『働けECD〜わたしの育児混沌記』後5年間の日記と散文で構成。震災直後の不安を抱きながらの生活、育児に対する葛藤、世間的な常識のなかでの生きづらさ、新しい恋愛。ありのままに、淡々と書き続けられた日々は圧倒的な筆致で読む者の心を打つ。稀有な才能を持つ書き手の注目作です。

タバブックスの宮川さんが編集です。2015年の、気持ちが一番落ち込んでいた夏に、自費出版の「かなわない」を買って読んでくれた宮川さんが連絡をくれたのでした。自費出版で出したのも、2014年にシャムキャッツ主催のライブイベントがあり、何か出店しないかと誘われた時に、ブログをまとめることを思いついたのがきっかけでした。自費出版の「かなわない」はそこまで売れると思っていなかったので、100冊ずつ刷り続けて14刷り、1400冊売れたところで宮川さんが声をかけてくれたのでした。宮川さんがいなければ、あのままダラダラと、大した上がりもないのに刷り続けていたかもしれない・・・。(計算したら1冊100円くらいの上がりでした)
帯文のコメントは、大好きだった末井昭さんにお願いしました。たくさんの媒体で紹介してもらい、今では都築響一さん、長島有里枝さん、栗原康さん、武田砂鉄、三省堂書店の大塚真祐子さんのコメントを帯に載せさせてもらっています。
評価がぱっくり割れることで有名で、あまりにひどいレビューがあるから、感想なんかは目にしない方がいいと周りから言われています。
装丁、高い山。挿画、今井麗。今ではずいぶん仲良しになりましたが、高い山の山野さんとも、パンの絵を快く使わせてくれた画家の今井麗とも、本が出る直前に出会った覚えがあり、タイミングというのは確実にあるんだなーとしみじみ思います。版を重ねて7刷り。私は「遺影」と「あとがき」がお気に入り。この本がなければ、今の自分はいないんじゃないかと思うくらい、私をいろんな人に出会わせてくれた一冊です。

「家族最後の日」(2017/太田出版)

「かなわない」が出てすぐに声をかけてくれたのが、当時太田出版にいた編集の柴山さんでした。当時はお母さんについて一冊書きませんか?と言われていたものの、書き始めようとしたところで石田さんの癌が発覚し、この日々を残さなければ、と短期間で一気に書き上げた一冊です。

母との絶縁、義弟の自殺、夫の癌―写真家・植本一子が生きた、懸命な日常の記録。

と、帯にあります。「母について」「義弟について」はエッセイで、「夫について」は当時の日記の3つで構成されています。義弟が突然亡くなり、母と絶縁し、石田さんに癌が見つかり・・・と大変な時期でした。これも読み返したことはなく、もはや何が書かれているのか思い出せない。
装丁、高い山。「かなわない」には写真のページはありませんが(今井麗の絵が中に1枚差し込まれています)この本から、その時期に撮っていた写真のページが差し込まれます。色校が大変でした。

「降伏の記録」(2017/河出書房新社)

「家族最後の日」から約9ヶ月後という速さで出版されたのが「降伏の記録」です。

末期癌を患った24歳年上の夫は、手術によって一命をとりとめたが、半年後に転移が見つかった。繰り返される入退院のなかで育っていく子どもたちと、ときおり届く絶縁した実家からの手紙。そしてある日、わたしは夫との間に、決定的な〈すれ違い〉があることに気がついたのだ……。

「かなわない」を読んで声をかけてくれたもう一人の編集さんが、河出書房新社の岩本さんでした。目次を見る限り、2016年の11月から2017年の1月までの日記を収録しているようです。最後に収録されているエッセイ「降伏の記録」は、根詰めすぎたせいか、書き終わると発熱と激しい頭痛がするようになり、救急車で二度も運ばれ・・・髄膜炎になっていました。石田さんの癌の発覚から一年が経ち、日頃の疲れから免疫が下がり、風邪をこじらせた際に脳にまでウイルスが入ってしまった(うろ覚え)そうです。頭の痛さ、ヤバかった。石田さんの退院と入れ替わりで私が同じ病院に一週間入院という展開に。病み上がりの石田さんに家を任せるのは心配でしたが、近所の人も気にかけてくれて、なんとか乗り切りました。入院してすぐに岩本さんが初稿を持って様子を見にきてくれたのですが、ナゲットが食べたいとお願いして買ってきてもらい・・・「ろれつが回ってなくて焦りました」と言われたのをよく覚えています。だんだん体調が戻ってくると、入院という一人になれる時間がとんでもなく快適なことに気づきました。ご飯も出てくるし、友達も毎日のようにお見舞いに来てくれて。でももう二度と入院はしたくないです。とにかく石田さんがいなくなってしまう前に、二人の関係をなんとか言語化しないと・・・我々の結婚はなんだったのか、自分はどういう人間なのか、そして石田さんという人は。どうしても伝えなければいけないことがある、そんな私の焦りと本気で書いた一冊です。
ここで一度、断筆宣言というか書くことを休憩すると宣言しました。それくらい限界だったような気がします。

ちなみに、石田さんからの視点で我々の結婚についても書かれている、自分の生い立ちから遡って書いた彼の最後の本がこちらです。
縁あって装丁は鈴木成一デザイン室。憧れだった鈴木成一御大。装丁、とても気に入っています。

「フェルメール」(2018/ナナロク社・Bluesheep)

石田さんが亡くなってすぐに出発することになった、全世界に散らばる全35作品のフェルメールを全部撮って記録する、という謎に壮大なプロジェクト。そのプロジェクトの主役に仰せつかりましたのが何故か植本。
7カ国14美術館を約1ヶ月かけて、出版社のナナロク社・村井さん、Bluesheep・草刈さん(2つの会社からの出版物なのです!)、そしておなじみのデザイナー・山野さんの4人で行ってきました。この本については、フェルメールの絵が軸にあるので、これまで出してきた日記とはちょっと違う、と思いきや、やっぱり石田さんが出てきます。何故!?と思った方には、読んでもらうのが一番早い。私の初めて出した芸術書です。依頼された仕事で、かなりのチャレンジでしたが、本当にいい経験をさせてもらいました。仕事の話が浮上した時にはまだ石田さんは生きていて、果たして予定されている時期に行けるかどうか、そして文章を書けるかどうかとかなり迷っていた覚えがあります。何が出来上がるかもわからない状態で、見守り続けてくれた御三方には感謝しかありません。私のことを知らない人にも、先入観なしに是非読んでみてほしいです。

「台風一過」(2019/河出書房新社)

石田さんが亡くなって一週間が経ち、よし、今日から日記を書こう!と久々に書き始め、一年続けた日記です。河出書房新社の文芸誌「文藝」で連載していたものに加筆しました。亡くなってすぐに発ったフェルメールで旅の間の日記も。これまでにも大勢いた登場人物が、さらにどんどん増えていきます。

自分自身として生きること、
自分たちの家族をつくること――。
気鋭の写真家が模索した鮮烈なるドキュメント。

2018年1月24日、壮絶なる闘病生活の果に、末期癌を患った夫にしてラッパーのECDが亡くなった。悲しみと喪失感が押し寄せるなか、激変していく毎日の暮らし。友人たちの支え、ふたりの娘の成長、そして新たな恋人との出会いの先で、今もなお家族のなかに生き続ける夫の姿とは――。気鋭の写真家が記録した、新しい家族のかたち。

装丁、鈴木成一デザイン室。

「働けECD」改め「家族最初の日」(2019/筑摩書房)

一番最初に出した「働けECD わたしの育児混沌記」を、2019年に筑摩書房で文庫化した時は、タイトルを「家族最初の日」に変えました。単行本の時はブログから抜粋していたのですが、文庫本化に際して全て収録。なので大幅に増えました。まさに完全版。編集は「家族最後の日」の柴山さん。装丁は鈴木成一デザイン室、イラストレーションは友人のZUCKにお願いしました。


「うれしい生活」(2019/河出書房新社)

石田さんが亡くなり、これまでの写真をまとめるのにもちょうどいいタイミングだとわかっていながらも、なかなか重い腰があがらなかった写真集。ぼんやりしていたところに、広島市現代美術館の学芸員・竹口さんから、一年後の展示「アカルイカテイ」に参加しませんか?と声がかかりました。渡りに船とはこのことか!と、その展示に合わせて写真集を作ろう、と発起し、一年をかけて作ったものです。そういうタイミングがなければ、もしかしたら今も完成しなかったのではないかと思います・・・。石田さんと出会う少し前から、亡くなった少し後までの、およそ10年間撮りためた写真から選んだものです。何か解説のようなものを最後に書こうか迷ったのですが、読んでもらった人に好きに考えてもらえればと思い、文章は本当に短いものしかつけていません。文章は文章に、写真は写真にしか表せないものがあるなと思った次第です。我が家の家族アルバムでありながら私を支えてくれた、たくさんの人たちとの人生の記録でもあります。

装丁、高い山。


「個人的な三月 コロナジャーナル」(2020/自費出版)

そして私の一番最新作がこちら、2020年の3月の1ヶ月間を記録した日記「個人的な三月 コロナジャーナル」です。2月末に全国一斉休校が発表され、その辺りから一気に雲行きが怪しくなった日本。私は戸惑いながらもすぐさま日記を書き始めました。この有事を残さなければと思ったのです。書いている最中は、まあ数週間もすれば落ち着くだろうと考えていたのですが、まさかここまで長引くとは。世の中も自分も大混乱に突入しつつある日々でした。友人のお店も休業要請などで窮地にたたされ、お世話になっている個人店の力になれれば、とすぐに出版し、直接取引できるお店に卸して販売を開始しました。その後日記本がたくさん出版社から出ましたが、どこよりも早かったと自負しています。なぜなら自費出版だったから!
2刷。残りわずかです。

10月20日(火)まで送料を除くご注文金額が1,000円以上のお買い物から5%OFFクーポンをご利用頂けます。※ご注文時にクーポンコード shop120thx をご入力ください。


時系列になっているので、順番に読むのもよし、気になるものから読むのもよしです。バーっと一気に書いてみましたが、また思い出したことなどあればちょこちょこ加筆したいと思います。在庫があるものは石田商店のリンクを貼りましたが、それ以外はamazonのリンクを貼っています。ですが、可能であれば、ぜひお近くの本屋さんで注文して買ってもらえると嬉しいです。

本を読んでもらうと、石田さんと娘たちを含む私という存在を、たくさんの人が支えてくれているのがわかるかと思います。大変な時期も、こうして残しておいてよかった。読み返せないものもまだありますが、その頃がきちんと残せているから。自分もそうですが、いつか娘たちに伝えられたらなと思います。

そして、私の本を出したいと言ってくれた、今でも公私に渡って仲良くしてくれるそれぞれの本の編集さんに、心から感謝しています。


いただいたサポートは我が家の血となり肉となり、生活費となります。