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孤独な駐在妻が2年間でやったことを書き出してみる

2年間の駐妻生活を終え日本に帰国した。ウルグアイの駐在妻生活2年間、最初はどうなることかと思ったが、結果としてとても充実した、長い人生の中で間違いなく大きな意味を持つ2年間になった。

コロナ禍だったこともあり、ほとんど活動を制限された2年間。しかし、そのおかげ(?)ではないが、日本で働いていた時は考えもしなかった、多くのことにチャレンジすることもできたし、新しいことを沢山始めたし、ウルグアイ・日本人問わず多くの人に恵まれた。

ここで、駐妻生活を振り返るという意味で、この2年間で私が「頑張った!」と思えることを書き出してみる。自分自身の価値観を喪失し、劣等感に満ち溢れていた専業主婦が自分を取り戻すことができた要因だ。

英語の家庭教師
夫の同僚の息子さんで、中学入学と同時に駐在に連れてこられた男の子がいた。英語が全くできず先生とコミュニケーションがとれないばかりか、授業についていけずに困っているということで、ご両親に頼まれて自宅で週に2回、英語の家庭教師をさせてもらった。インターナショナルスクール用のコミュニケーション英語と、日本の英語教育に合わせた読み書き文法。

日本語を教える
元日本語教師の夫のアドバイスをもらいながら、週に1回3時間、語学学校で日本語教師として働いた。働いたと言っても収入を得ることはできなかったので、給料は私のスペイン語の授業料と相殺してもらった。準備は大変だったが、やりがいのある素晴らしい経験だった。生徒たちの日本語の成長を見るのも嬉しかったし、何より彼らと出会えたことが一生の宝物になった。

スペイン語を習う
日本語を教えた語学学校で生徒としてスペイン語を習った。コロナ前は世界中からやってきたいろんなクラスメイトがいて楽しかったが、コロナでオンラインレッスンになってから状況は一転。先生と1対1で2時間、ただただ辛かった・・・。しかし1人で普通に出歩ける程度のスペイン語力を身につけることができたのは大きい。

ケンブリッジ英検受験
とくに最後の数ヶ月は受験生みたいにひたすら過去問を解きスピーキングの練習をしまくっていた。イギリス人チューターとのオンラインレッスンを週3回に増やし(かなりお金がかかった・・・)とにかくレベルをあげることに専念。受験は帰国の4日前だったので、荷造りや挨拶周り、お別れパーティなども重なってかなり大変だったが、なんとかやりきった爽快感。

TESOL受講
TESOL (Teaching English to Speakers of Other Languages)。つまり、英語を母語としない人に英語を教える英語教授法。これを取得するためにイギリスのスクールに所属し、オンラインでレッスンに励んだ。こちらは現在進行中、年内の取得を目指している。

J-shine (小学校英語指導者資格)取得
ウルグアイに行く前からずっと受講していた通信講座。資料一式を持って渡航し、コツコツと課題を提出してウルグアイ滞在中に資格取得することができた。しかし日本企業にありがちな古典的な郵送での提出だったので、エアメイルでのやりとりに時間がかかった・・・。

ブログ
主に駐在妻の生活、ウルグアイ文化、英語勉強法などについて書いているブログ。アクセスを稼ぐというよりは、自分のための忘備録的な役割を果たしてくれている。ブログを通して連絡くれる人も少しずつ増え、良い趣味になった。

習字
書道師範を持っているのもあり、ある筋から頼まれて不定期に作品を提出。何より現地の人が心から喜んでくれるのを見て、日本文化を趣味にするのは海外で強いと改めて実感。

収入を得られなくても何かを得た

私の口癖は「私何もしてないから・・・」だった。事実、自分は家事しかしていないと思っていた。人のためになることは何もしていない。社会に貢献していない。収入もないしスペイン語も話せないから1人では何もできない。自分自身に価値を見出せなくなり、劣等感で満ち溢れていた。

そんな時、夫が「もっと自分のためにお金を使いなよ。俺は2人で稼いでると思ってるから」と、自己投資することに背中を押してくれた。「いちこは何もしてないって言うけど、こんなにたくさんのことしてるよ」とも。

夫の駐在に帯同し一度は失った自信を、夫自身が取り戻させてくれたように思う。多くの人と環境にも恵まれ、ウルグアイでの2年間は間違いなくかけがえのないものになったし、新たな自分を見つけるきっかけにもなった。自分自身がこれからどうありたいか、どう生きていくか。いろいろな活動をする中で見つけた自分を、これからの人生で生かせていければいいなと思う。



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